書道を始めたきっかけは、「無になりたかったからです」と言った生徒さんがおられた。
私もひとり家で書道の練習する事は瞑想のようだな、と感じる。
なぜなら、一人で無心で練習しているとき
時を忘れ、必死で筆を動かしているとき
現実の何もかもを忘れて一心に書いているから。
家族の事、仕事の事、お金の事、人間関係のこと、健康のこと、全て忘れる。
ただ、その状態は「無」ではなく、
かなり脳を駆使しているんだけど。
筆の穂先の向き、力加減、スピード、墨の量など一瞬も気が抜けないくらい集中する。
情報を得て分析する左脳と、感覚で捉え動かす右脳の両方が凄いスピードで行ったり来たりする。
どちらかに偏っても、良い作品は生まれない気がする。
勢いや情熱だけでも、考えすぎても、心を打つ作品にならない。
だから面白い!
そして、房仙先生は生徒がどんな気持ちや思いを抱えて書いたのか作品を見たらすぐに分かる最高の指導者なので、
私達はひたすら練習し、書と心から向き合うことが出来る。有難いことだと思う。
書道を学ぶのが面白い、というのもあるが、房仙先生でなければ面白くなかったと思う。
昨日のお稽古で、今年の社中展のMVPに輝いた力与ちゃんが作品の生まれた経緯をシェアしてくれた。
今年4回目の出展で、初めて自分の身体と筆と紙が一体になった感覚をおぼえた、とのこと。
何十枚も何百枚も書いたのかもしれない。
右脳と左脳が行ったり来たり。。という感覚ではなく、、もう身体が自動運転するほどに書き込んでの事だと推察する。
その一体感で書けた作品はたったの1枚。それを先生が「これが良い」と選んで下さったとのこと。
やっぱり房仙先生はすごい!と思います。文字から伝わる目に見えない何かが見えるのでしょう。
さらに、社中展では来場者が100以上ある作品中から一番好きな作品を投票したのだが、
力与ちゃんの作品はそこでもMVPに選ばれる!!!
凄すぎる!!
身体と筆との一体感、紙(神)とも繋がった一瞬なのかもしれない。
私も音楽でならその感覚を味わったことが1度だけある。
どういうシチュエーションでその状態になったのかを思い出すと、あるヒントが見つかった。
私はバンドのキーボードで演奏していたのだけれど、リハーサルでは大丈夫だったのに
本番、自分の音が周りの音にかき消されて全然聞こえなくなったのだった。
だけど、本番はお客様のために演奏することが私の使命と心得て
「音が聞こえないで弾いている」ということを悟られないように笑顔で演奏した。
そして私のソロの順番。音が聞こえない状態でソロを弾く。初めての体験だった。
やるしかない。
満面の笑顔で(笑)心の耳で音を感じて演奏をした。
その時、私は私でなくなったかのような、楽器と一体、バンドと一体、お客様と一体になったような錯覚に陥った。
とても気持ちが安らかで嬉しく最高の演奏が出来た!と錯覚した(笑)
あとで、録音を聞くと、ミストーン(弾き間違え)がたくさん。
それでも、スピード感や躍動感にあふれていて活き活きとした演奏だった。
やろうと思って出来るものではなく、あんな演奏はもう二度と再現できないけれど、
我を忘れて楽器と一体になった時にあの状態になれると知った経験だった。
書道ではまだ、私はその域には達していない。
一体感を得られるには、練習の量がまだ足りないのだと気付く。
書道でもあの感覚が味わえるのだ!と力与ちゃんの話を聞いて心が喜んだ。
我を忘れるくらい集中して、何も考えないでかみと向き合った時に、あの境地になれるのかもしれない。
また書道の奥深さを新たに知り、さらに練習への意欲が高まった!
房仙先生、力与ちゃん、ありがとうございます。
力与ちゃんがフェイスブックに投稿した作品への思いをシェアします。
(房仙先生のブログから)