天職に出会うには? その8 捨てる神あれば拾う神あり | 塚越友子(臨床心理士・公認心理師)オフィシャルブログ Powered by Ameba

塚越友子(臨床心理士・公認心理師)オフィシャルブログ Powered by Ameba

築地駅徒歩1分のカウンセリングルーム 東京中央カウンセリングの心理カウンセラー(臨床心理士・公認心理師)塚越友子が薬に頼らず「うつ」や心の病を治す方法♪&だれとでもうまくつきあえるようになる人付き合い上手になる方法♪を教えます♪

おはようございます


東京中央カウンセリング の塚越です(´∀`o)



いよいよ、天職(カウンセラー業)とめぐりあえそうな、

クライマックスも近づいてきましたね。


いつものように続きから(前を読み返したい方は目次をどうぞ



自分を受け入れようと、自分に向き合おうと決め、今度こそ

最後の力を振り絞って「うつ」から脱出するぞと決心したときに

他にも3つ決めたことがありました。



1、どんなに自分をみつめ、受け入れるプロセスがつらかろうと

  今回は絶対に逃げない。


2、医師に期待するのではなく、自分で治癒していこうという姿勢

  で臨む


3、会社のためにとか誰かのために、自己犠牲で頑張るのはやめる

  今度は自分で何か事業を起こして、自分のために自分の持てる

  力を使える仕事をみつけ、社会に貢献していく



さて、病院は追放されて一時治療が中断してしまったので、

まずは、自分と相性のいいドクターを探すことを始めました。



いろいろ、行ってみましたが、医師に期待するのはやめようと

決めてはいても、なかなか相性のよい先生にめぐり合えません。


医師探しをはじめて、2から3ヶ月したころ、ネットやいい医者ランキング

みたいな本で、必ず紹介されているある先生を見つけました。


もしかしたら、となんとなく思い、その先生のところへ行きました。



やっぱりW先生は、とても穏やかで、

「ああ、そう。そうなのね。うん。そうですか」

と私の怒りのストーリーをじっくり聴いてくださいました。



そして、過剰に処方されていた薬を減らしてくれて、薬によるうつの

悪循環を取り外してくれました。



W先生はカウンセリングもできる先生だったので、お薬だけではなく

カウンセリングを受けた方がいのではないかとカウンセリングを

薦められました。



今カウンセラーを仕事としてやっていながら、お恥ずかしい話ですが

私はこの時までカウンセリングというものがあることを全く知りません

でした。



最初の見立てで、「インターフェロンの副作用のうつ。本人に問題なし」

ということが頭に残っていて


今思えば、自分の「うつ」を薬のせいにして、自分と向き合うことを

避けていたのですが。



そして、カウンセリングというものも、薬物治療と同時並行に

やっていってみようと考えました。


W先生はとってもいい先生だったのですが、この時の私は医療不信

医者嫌いを通り越して、恨んでいましたので、カウンセラーは別の

ところで探すことにしました。



病院からもらったカウンセリングルームのリストとインターネットで

カウンセリングを探しました。



どのカウンセリングルームも甘い言葉が書かれています。

「一人で悩んでないで、相談してください」

「あなたを大切に扱います」



ああ、きっと理解してもらえるんだなと思い、片っ端から電話を

してみました。



ですが、どこも対応は結構冷たく、甘い言葉をささやいておきながら

なに??みたいな応対のところが多い。



だんだん、イライラしてきて、問い合わせては絶望して、イライラが

増す日々になりました。



そんな時、最後に出会ったのが、O先生でした。


O先生以外の先生は、誰もが短絡的に

「○○○が原因ですね。これを排除すればいいでしょう」

と、私の気持ちは無視でカウンセリングが進みました。



しかし、O先生だけは、短絡的な結論、誰か悪者を見つける

というカウンセリングではなく、

まずは、私の思いのたけを全て聴いてくれ、



そして、私の「うつ」は年単位の治療が必要であること

回復していく過程には、気持ちの波が襲ってくるから

まずはその波を小さくしていけるようにしよう


右肩上がりにまっすぐには回復しない

続けることが重要


そいういうことを初回では、念押ししてくれました。


これは、私がとっても短気で、すぐに結果を出したいと

焦っていたから、その焦りをとくためにも最初にきっちりと

説明してくださったのです。



今までのカウンセラーとは全くちがって、怒りでいっぱいの

やっかいな私を、そのまんま受け入れてくれ、短絡的に

何かを原因とすることはせず、私の気持ちに寄り添って

くれました。



正直、初回は、これでどうなるのか、わかりませんでしたが

思いの丈を否定されずに、聞いてもらえるカウンセリングに

何か希望の光を見出したことは確かでした。


だから、しばらく頑張ってついていこう、と決めたのでした。



そして、カウンセリングが終わるたびに、ノートをつけ

どんなことをはなし、どんな気持ちになったか、

何を気づいたかのノートをつけました。



今読み返すと、最初のころは、


1、病院への怒り

2、自分は悪くない

3、どこにも居場所がない

4、誰もわかってくれない

5、なんで今こんな状態なの?何でわたしが


という思いがつづられています。


通って5回目あたりでしょうか。少し自分の文章がかわっています。


「一方的に狂わされたと被害者意識を持てばもつほど、

自分で自分の道を閉ざしていた。

「自分の責任について」受け止めることが必要


こんなことがつづられています。


そして6回目の面接では、


気持ちがすっきりしたと書かれています。


それは、O先生のある一つの質問からハタと気づいたことが

あったからです。


そこから、本当はO先生には、まだまだ働いてはダメですよ

といわれていたのですが、社会と隔離された自分がいやで

仕事をすることにしました。


でも、私には決め事がありました。

もう、会社には勤めない、自分で何かの事業をおこすまでは

どこにも所属しないで、やっていきたい


9時~17時の仕事ではなくて、うつの治療の邪魔にならなくて

勤務時間も短くて、急に具合悪いといっても休める仕事は

ないかと探していると



そう、水商売という選択肢がでてきたのです。


勤務時間は4時間。お給料もよい。一人暮らしできる。


でも迷いもありました。

私は元来、人見知り、引っ込み思案、気が利かない、プライドが高い

協調性がない、というコミュニケーション下手のモデルのような人間。


コミュニケーションが勝負の世界でやっていけるのか

とても不安でした。


でも、社会心理学を大学院まで行って、勉強していたので、きっと

その勉強が生かせる、本当の社会というもの、人間の姿というものを

見たいという興味も手伝って、水商売の世界に飛び込んでみました。



最初は新宿をフラフラと歩いていたときに、

スカウトされたキャバクラに一日体験入店をしてみました。



正直、キャバクラの世界はなじめませんでした。



でも、なんとなく、水商売って面白そう


そう感じたので、業界について何の知識もなかったわたしは

いきなり「銀座」という最高峰で働き始めました。



まー、それはそれは、大変な仕事でした。


仕事は上手くできなくて、怒られてばかりの毎日でしたが、


「うつ」に対する社会の理解がないので昼間の世界へ戻れない

私にはもうどこにも居場所がなかった。


この居場所を逃してはもう再起できないと思い、日々必死で、

接客について取り組みました。



水商売での苦労談は、第10回で詳しく話しますね。


そして…





でも、今日も長くなりました。続きはまた明日!



最後まで読んでくださいましてありがとうございますあひる



最初から読み直したいなと言う方は、目次からどうぞ



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

東京中央カウンセリング

http://www.tc-counseling.com/