天職に出会うには? その7 だれも助けてくれる人なんていない! | 塚越友子(臨床心理士・公認心理師)オフィシャルブログ Powered by Ameba

塚越友子(臨床心理士・公認心理師)オフィシャルブログ Powered by Ameba

築地駅徒歩1分のカウンセリングルーム 東京中央カウンセリングの心理カウンセラー(臨床心理士・公認心理師)塚越友子が薬に頼らず「うつ」や心の病を治す方法♪&だれとでもうまくつきあえるようになる人付き合い上手になる方法♪を教えます♪

こんにちは


東京中央カウンセリング の塚越です


今日は更新が遅くなりました。ごめんなさいm(_ _ )m


今までの流れは目次から





今思えば神様からのギフト。


それは、弟が母の誕生日にプレゼントした一匹の子犬

との出会いでした。



私はじつは、小学生のころ、大きな野良犬に追いかけられた

ショックで、動物恐怖症でした。


犬も猫も何にもさわれませんでした。



実家に子犬がきたというとき、内心とっても心配。怖くて実家にも

帰れなくなるかなとまで思ったくらい。


でも全く違いました。


両手で持てるくらいの小さなパピヨンの子犬。


くるっとした何も穢れをしらない、純粋なその瞳で見つめられると

それだけで癒されました。


そして、実家に帰って、ココ(子犬の名前です)と遊ぶたびに、

癒されていく自分に気づきました。


うつは、薬の副作用からはじまったとはいえ、もう3年も抱えているので

その間の出来事などが複雑に絡まりあって、抜け出せない状態でした。


しかし、ココと遊んだり、ココにじっと見つめられると、なぜだか心が

やわらかくなり、


「自分って何やってるだ」

「みんな人のせいにして、自分だけわめいている」

「いい加減にしろ」


と自分にだんだん嫌気がさしてきました。



そして、そうだ「仕事がヒマだ」といっているくらいなら、

正社員の仕事を探して、バリバリ働けばいいじゃないか


働いているうちに、うつだって良くなる。


そう決心し、転職活動をはじめました。



ひまではありましたが、広報の仕事がとても楽しかったので、

広報関係に絞って探すことにしました。



コミュニケーションというのが私にとってテーマなんだなと

気づいたのがこの頃です。

転職活動も結構な自己分析になるなと感じましたね。



そして、最終的に就職したのは、とある美容皮膚科クリニックの

広報のお仕事でした。



ここでは、エステサロンも経営していたので、ほどなく私の担当は

エステサロンの広報になりました。



私はエステなど受けたことがなかったので、最初は新入社員の

エステティシャンと一緒にエステの研修をうけたり、化粧品の成分の

勉強をしたりからはじまりました。



本部部門は少数精鋭での仕事でしたので、本当に毎日残業残業

終電で帰るのは当たり前。


終電で帰り、始発で会社に行って仕事をするという日々がはじまり

ました。


思い描いていた通り、忙しい仕事だったので、眠気と闘いつつも

やることが多いので、今までのように寝てしまうということはありません

でした。



しかし、これは危険なことでした。

本来うつは、心の疲労蓄積がもとでなる病気。



365日24時間仕事しまーーす!という自分のテンションでは

ポキっと折れるのは時間の問題だったのです。



忙しくも充実した日々をすごしていると感じている自分がいました

が、同時にどんどんイライラがまして、会社での人間関係が

うまくいかなくなりました。


うつといってもいろんな症状がでます。

私はイライラが増すという症状が強くでました。



社外の広報活動では、受けがいいのですが、

社内では自分のペースについてこれない人には、とても厳しく

ふと気づくと、社長以外誰も回りにいなかったのです。



いくら広報で雑誌にパブリシティをして、掲載してもらっても

サロンの現場のエステティシャンの協力がなければどうにも

なりません。


そんな当たり前のことが、分からなかった私は、衝突する日々。


一人でできることには限界があるのです。


そんなこともわからず、一人猛進していると、新規店舗出店

のプロジェクトの途中で体に異変がおきました。


絶対に1日も1分たりとも穴があけられない状態なのに、

37度から38度の発熱がつづく毎日。


勤務先は病院ですから、点滴をうちつつ、仕事を進める

毎日でした。



2週間も発熱が続いたので、仕方なく一度ちゃんと調べようと

病院にいくと、なんと腎盂炎だったのです。



そこで、1週間強制的に休みをとり、抗生剤をのみながら

腎盂炎を治すことになりました。



ここで、私は今どうしてもどうしてそんな考えに至ったのか、

思い出せないのですが、


なぜかもう会社にいけない!誰もわかってくれない!

世間中の人がみんな嫌いだ!


火山が噴火するように地下にたまったマグマが噴出して、

大きな怒りの波にのみこまれ、会社に復帰することはおろか、

外に出ることができなくなりました。



すべてに当り散らす毎日がはじまりました。

それは、両親であったり、

近所の人であったり、

彼氏であったり、

店の店員さんであったり、



怒りのランボーじゃぁないですが、火炎放射器ですべてを

焼き尽くすようなことをしていました。



そして、とうとう運命の日がやってくるのです。




そう、病院の看護師とささいなことで衝突。

その看護師が怖くて出勤できなくなったということで、

精神科の担当医から、


「詫び状を書いてもらわないともううちでは診察できません」


と言い放たれたのです。



怒りの塊のような私を眼の前にそんなことがよく言えるもんだ

と思った私は、衝動的に


「4年間まじめに、薬をのんで、まったくよくならないじゃないか。

こんなとここちらから願いさげだ!

自分の技量のなさを私のせいにするな」


と吐き出し、病院から追放されたのです。



まぁ、今ならなんて自分勝手な人間なんだと冷静に見ますが


この時は完全な医療不信というか医者嫌いになりました。

そして、その恨みの力だけがバネで、うつを克服しようとしていました。


それではうまくいくはずないですよね。

自分と向き合わず、誰かのせいとしか考えられない

誰かが治してくれる



こころの病は、自分と向きあって、自分でどうにかするしかないんです。

能動的な態度にならなければ、治らない。

そんなことも分からない状態でした。


でも唯一当時の私の気持ちを理解してくれる人?がいました。



実家で暴れているときに、いつも駆けつけてぺろぺろ

必死で私の顔をなめてくれ、

起き上がって怒りをぶちまけようとする私を

全身を使って抑えてくれたのがココでした。



いつも私のベッドの上で横についていてくれました。



ある日、そのココの無条件の愛に気づいた私は、こんどこそ

きちんと自分の心と向き合おう、自分が「うつ」であること

を受け入れようと自然に思うようになったのです。



そして…


長くなったので、続きはあした!



最後まで読んでくださいましてありがとうございます。



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

東京中央カウンセリング

http://www.tc-counseling.com/