行って帰ってきた烈車戦隊トッキュウジャー 夢の超トッキュウ7号 | 気紛れな心の声

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気がついたこと 不意に感じたこと とりあえず残してみようって^^…最近は小説化しているけれど、私の書き方が上手くなるように感想くださいね

トッキュウジャー《あらすじ》
シャドーラインとの最終決戦から10年後。2025年の世界で本当の大人に成長したライト、トカッチ、ミオ、ヒカリ、カグラは長い間、姿を晦ませていた幹部・ヘイ大公が率いるシャドーラインの残党と遭遇。イマジネーションを失って変身できない5人は戦うことができずに逃げるが突然出来た穴に落ちて、2017年の世界に来てしまう。そこは5人の母校だった昴ヶ浜小学校の卒業式前日。その時代のライトは虹野明に会うために駅に向かい、他の4人もライトを追っていた。だが…。

《私的にコメント》
特撮は結構好きです。子供向けから大人向けまで。ホラーはあんまりですが…
ということで、日曜朝の特撮戦隊モノから2015年作品(最近はパワーレンジャーとして毎年海外に排出されていますが…個人的には海外のように同じヒーローを複数年使ってくれる方がすきだけど、スポンサー的な問題もあるしw制作側のあれもあるだろうから…)列車戦隊トッキュウジャーの続編。
基礎的な保管として、トッキュウジャーの面々は止まってしまった時間からこぼれ落ちることで成長をしてしまった青年たちが、戻るべき故郷を求めて、シャドーラインを撃破していくという物語で、最後、止まっていた時間に戻るために戦士たちは少年期に戻って終わるのです。で、そこから10年、本当に成長した戦士たちは、シャドー欄の残党と遭遇することで、自分たちの中でかけている記憶に気がつく。それを取り戻すとき…
ともに戦い、別れを体験した仲間との再会を。そして、子供の時代にはごく当たり前にしていた未来を思い描く力を取り戻す。というようなものです。
この手の特撮は、予備知識ありきで見ないとわからないけれど(仮面ライダーも)、そういえば、と思い出させてくれることがたくさんある。例えば、この物語で中心に使われるのは、未来を想像する力。イマジネーション。ごく当たり前に思い描いた未来、それが成長するにつれて現実の中で、「どうせできないし」とかなって忘れられていく。
最後には夢など見ない。となっていくのだろう。それがいいのか悪いのかは別にして、何というか、寂しい時間をいつの間にか過ごしてきているんだと感じる。
子供の時、いろいろなことに興味を示し、いろいろなことに挑戦し、大人の助けや否定を受けながら育ってきた。その先にあるのが今だとしたら、親である今、子供に対して、何らかの助けをする側でいたいと思う。と、観ている時にはお思っていた。
子供の頃の力、大人になったから使えないわけではない。成長は、出来ることを増やす。そして、責任も。でも、だからと言って、何かに背を向ける必要はどこにもない。
ということを思い出すには、こういう作品もいいものです。特撮戦隊物は、特に単純明快な理屈の中にドラマが込められていて、結構、バカにできないものです。