(前日からの続き)
自愛他愛っていうことを
いってますよね
教義で
本当に
自愛他愛ってのは
きびしいもんなんです
ただ
神様が
そのはじめから
人間を
極みまで
愛して下さっている事実をおもうと
そのきびしさは
むしろ
ありがたいんですよ
ペテロだって
三度主を拒みましたよね
愛ってものを
あれ程
イエスの近くにいて
身に沁みて
知ってる筈のペテロが
やっぱりイエスを拒んだんです
そこを通らなければ
ペテロは
さながらのペテロにはなれなかったんです
それを
イエスは
誰よりもよく承知していたんです
その時
イエスは
人間としては
やはり寂しかったでしょうよ
今
そくそくと
その寂しさが
私の胸に迫ってきています
世界人類が平和でありますように
っていう
この祈りが
あまり
簡単にみえて
はなれていった人も
沢山いますからね
また
そのとき
はなれる
私のこころ
私ってものが
神様ってものが
わからないっていうふうに
させられるのが
その人にとっての
修行で
必要なことなんですけどね
だから
安心してるけど
やっぱり
人間の心を持つ身としては
寂しいですよ
正直に
そうおもいますよ
そういう
いろいろな心というんですか
気持ちといったらいいのか
やり切れなさね
そこを通って
みんな光に
なってゆくんです
神様が
絶対に
人間を
愛して下さったように
辛くても寂しくても
そこの、ああ辛いな
寂しいな
けれど神様
どうぞここを無事に過ぎて
私を朗らかにして下さい
私を朗らかにして
真実の自分のいのちと
対面させて下さいって
いうのが
世界平和の祈りなんです
(つづく)