(前日からの続き)
生きてる時も死んでからも本当にまあずっと
浄め続けていますけれどね、ただ、業を浄める
時にね、皆さん浄める立場の方だから
申し上げますけれど、業というものに対して、
やっぱり恐れるとかね。例えばですよ、どこか
お家を浄めてください。すごい病人がおります、
浄めて下さい。想いがくっついて来ますよ。
だから、○○さんなんて、いつか病気に
なったんじゃなかったかな。出すぎてね、印を
もらっちゃった時にね、あれだって、病気に
なるというのはね、こっちから見ていると
大変なことだけれども、あれで、体の中の
余分な、○○さんの業なら業というかなあ、
そういうものに対する抵抗力ですよね。それを
つける為に病気にさせて、病気が治ったとたん
にというか、病気をとり去った時に、光が
うーんと中へ入って、そして浄める力と
いうのがうんとアップするように、病気を
するということはそういう事です。
病気をするということは、熱を出すという
ことでも何でも、浄化作用なんですね。だから
その時に、ああ病気になってありがとう
ございますと言えたら一番いいんだけれども、
苦しいのが先にくるね。だけども、煎じ詰めて
言えばそういうことですね。
業を浄める時にね、一番大事なのは恐怖心を
なくすことね。それから、私がいつも言って
ますように、私がやるんじゃないということ、
神様がさせて下さる。守護霊さん守護神さんが
ついてて下さる。お浄めする相手にもね、
どんな人にでも守護霊守護神というものが
ついてましょ。だから、その人たちから
頼まれて私は代理人でやるんだから。
私がやるんじゃなくて、私の後の神霊が
動くんですね。あるいは五井先生が
動くんです。あるいは、五井先生を通しての
神様の愛情が動くんですね。
そこをちゃんと見てますとね、私の体を
使って私の祈りを用いて私の言葉を用いて、
実は、そういう大愛というものが動くから、
だから、スーッといろんなものが上に昇って
いくんですよ。
この間、ほら、五井先生がどうのこうの
というの大変だったでしょう。あれだって
もうちょっとね、君がさ、きっちり信仰
してればといったらあなたを責めることに
なるかもしれないけれども。君だって皆そう
だけれども私に出来るだろうかというのがある
から、ある間はやっぱり昇り切らないんだよ。
印を切る時だって、私がやるんじゃないん
です。任せてしまって、向こうから力がきて
エネルギーがきて、いつの間にか消えるんです
よね。そういうもんなんです。
浄めるということは祈るということと
いっしょなの。祈るということは自分をなくす
ことですと先程言いましたよね。なくする
練習をすることです。浄めるということは
もっとすごいでしょ。もっといろんな想いとか
病気とかいうものをねえ、浄めて下さいとか、
浄めることによって窮地から脱却させて下さい
とか、そういういろんな人の想いを受けます
でしょ。受けて受け取ったまんま、苦しい
まんま印を切ったってしょうがない。仕方が
ない。それじゃあ駄目なのね。それは、業と
いうものは消えるんだから。いろんな意味でです。
神様すいませんお願いしますと言った
とたんに神様が受けとって下さってるんですよ。
目には見えなくてもね。そこをちゃんと
信じて、そこをおもいながら祈って統一して、
印なら印を切らないと。
僕みたいなのがやって出来るかなあとかね、
私みたいなのがやって出来るかしらとかね。
それがやる間ってのはあれは大変ですよ。
上に昇らない。昇りきらない。もうちょっと
なんだよね。又別の課題を出しますから、
その時にはちゃんと今度は切るんだよ。
結局ね、自分がさせていただいている
というのをもう少し進めていくと、私が
するんじゃないになるでしょ。そして、私が
するんじゃないというのをもっと進めて
いくと、神様の愛がこの業を消して下さるんだ
でしょ。業というものはなくなって、光に
なっていくということになりますね。
(翌日に続く)