つよさとは 本当の自分自身を識っているということ | 光のエレベーター

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五井先生、ありがとうございます。

誰でも
つよさ
というものに憧れます
憧れて
勇士の物語なんかを読んだりする
そして
自分も物語のなかの主人公のように
ああいうつよさを持ちたいと思う
勇気を持ちたいとおもうんです
だけど
本当は
ただつよさに憧れるだけじゃなくて
その主人公なら主人公が
本当に生きているところ
そういう場面に
感動してるんです
その人の生命が
生き生きと
躍動しているところに
ぶつかると
我々の心は
よろこぶように
出来てるんです
なぜか


それは
さながらのいのちを
生きているからです
その人に無理がなく
いのちがスッキリと流れているからです
なるほど
この人ならそう思うだろう
そう行動しただろう
とおもいながら
我々は
主人公の世界に
ひきこまれていくのであります


そうして
全体をよみおわったときに
印象にのこるのは
主人公のつよさとか 
勇気でありますけれども
我々は
本当は
その人をとおして
人間というものに感動するのであります


ところで
つよさとはどういうことかと
いうと
本当に自分自身と
いうものを
識っている
ということであります
あるいは
識ってゆく
識ろうとする
ということであります
そのために
我々は
自分というものを
神様に預けて
消えてゆく姿で世界平和の祈りを
なしつづけているのであります


先に申しましたように
本当の人間というものは
無限のなかに生かされている存在
ですけれども
私どもの真実のすがた
何物にもとらわれない光そのもの
自分自身というものは
ひたすらな祈りによってこそ
しらされてゆくのである
そして我々は
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
という
世界平和の祈りのもとに
参集しているのであります
祈りによらないでは
本当に自分を識っていく
ということはできないのであります


先程の物語の主人公に
ひかれてゆく
ということにしましても
無理のない
背のびのない
人間のすがたというものに
ひかれている
けれども
もう一歩すすめると
それは
そういう風に
人間は
どうしてなってゆくのか
その力というものは
どこから与えられているのか
という
私どもの
根元の根元にさかのぼっていく
ことになるのであります


たとえば
あの人は自分をよく知っていると
普通いう場合には
その人自身が
自分の立場をよくわきまえている
とか
さらにすすめても
自分の短気をよくおさえて
人とつき合っている
とかいうことになるわけです


自らの足らざるところをしって
しりつつ生きる
そしてそこに
生かされているんだという
思いなり祈りなりがあるときには
これはもう祈りながらの生活と
いってもよいかも知れませんが
さらに自分というものを
大生命のなかに投げ込み
神のなかにあずけてしまうと
そこから
本然の生命というものが
あらわれてくるわけであります
そしてそのなかに
つよさというもの、神からながれてくる光を
うけて
今、自分がここに存在するのだ
神様ありがとうございます
というこころで
自分の生命をいただきなおしますときに
本当の自分をしるよろこびのなかでの
つよさ
というものを
受けとることができるのであります
    平成2年2月11日 記