当ブログにご訪問いただきありがとうございます。感謝します。
今回は、最近感じていることを書きたいと思います。
自分に向けて書いているので、偉そうな文章になっているかもしれませんが、ご理解いただけますと嬉しいです。🙏
嫌な出来事というのは
嫌な出来事は、日常生活がフツー・当たり前だと感じたときに起こります。
それは、フツー・当たり前なんてないということを教えてくれるために起きています。
例えば、今 あなたが「人を見下してくる上司」に苦しんでいるとします。
これは「人を自分の物差しで判断し、優劣をつける人を嫌っている」ことを意味しており、あなたがその考えを大切に思っていることを教えてくれています。
その「人を見下す上司」はそのことをあなたに気づかせるために現れています。
ここで、その「人を見下す上司」を変えようと頑張るのではなく、周りにいるあなたのことを見下さずに「対等に扱ってくれる人たち」に目を向けます。
そうすると、あなたの周りにいるあなたのことを「対等に扱ってくれる人たち」に感謝ができるようになります。
あなたの周りにいるあなたのことを「対等に扱ってくれる人たち」はフツーや当たり前にいる人々ではなくなります。
あなたが、フツーで当たり前のように感じていた日常生活は、フツーや当たり前で成り立っていたのではなく、感謝すべき人たちによって成り立っていたことを知ることができるのです。
周りのあなたのことを「対等に扱ってくれる人」たちに感謝できるようになると、不思議と、そのことを気づかせてくれた「見下してくる上司」にも感謝できるようになります。
あなたの中のエネルギーが「嫌い」から「感謝」に変化すると。
その「見下してくる上司」に対するあなたの放つエネルギーが変わり 相手の良いエネルギーを引き出すことになります。
そうすると その「見下してくる上司」の言動や態度が変わったり、自然と離れていったりするのです。
これがフツー・当たり前だと思い込んでいるものを書き換えるために嫌な出来事が起こる理由です。
もう少し例を挙げます。
元気であることがフツー・当たり前と思い込むと病気であったり、ケガをするなどの出来事が起こることがあります。
ケガについても同様に考えることができます。ケガした箇所のことを「痛い、痛い」とひたすら考えるのではなく、その他の通常通りに動いてくれている箇所に目を向けます。
いつもと変わらず動いてくれていることやケガした部分を保護する形で働いてくれていることに感謝します。
そうすると、そのことに気づかせてくれたケガした箇所に対しても感謝の気持ちが沸いてきます。
いつも元気に働いてくれていたことに感謝することができ、そのケガした部分の大変さや大切さがわかるのです。
仕事も同様です。仕事ができて当たり前・フツーだと思い込むと「仕事で問題が生じたり、ミスをしたり」します。
他の人の助けがあってはじめて自分の仕事が成り立っていたことを知ることになるのです。
嫌な出来事というのは、フツー・当たり前なんてものはない。全てが感謝と奇跡で起きていることなのだと気づかせるために起きていることなのです。