だが、覚えておきなさい・・
あなたが「助ける者」を演じる時、「助けられる者」は決してあなたを許しはしない。
あなたは、彼のプライドを傷つけた。あなたは、彼のエゴを傷つけた。
あなたは、そんなつもりではなかった。
あなたは、ただ自分自身のエゴを膨らませたかっただけだ。
だがこれは、あなたが他人のエゴを傷つける時にしか起こり得ない。
あなたは、他者を傷つけることなしには、自分のエゴをふくらませることは出来ないのだ。
あなたのより大きなエゴには、
より大きなスペースが必要になる。
そして、他者は、あなたとともに在るために、
自分のスペースを、自分の人格を縮めなければならない。
まさに最初から、真摯な愛情深い人が・・
そして、私は、愛に勝る治療はないことを絶対的に必要なポイントとする。
技巧は助けることが出来る。
だが、真の奇跡は愛を通して起こる。
セラピーに加わっている人々を愛しなさい。
そして、彼らの中の一員でいなさい。
より高いとか、より神聖だという気取りなしに。 まさに最初から、明確にしなさい。
「これは、私が学んだテクニックだ。私の体験はほんの少しだ。私はあなたにテクニックを与える。
そして、私の体験を分かち合う。だが、あなたは私の弟子ではない。
あなたはただ、まさかの時の友だ。私にはいくらかの理解はある。
そんなに多くではないが。私はそれをあなたと分かち合うことが出来る。」
おそらく多くの者が、様々な分野、様々な方向からの彼ら独自の理解を持っている。
彼らもまた、自らの体験を分かち合い、グループを豊かにすることが出来る。
言葉を換えて言えば、私が言っていることは、セラピーのまったく新しい概念だ。
セラピストはたんにコーディネーターに過ぎない。
ただグループをより静けさに満ち、穏やかにしようと試みる。
彼は、何も間違った方向に行かないよう目を見張る。
マスターというより、むしろ保護者だ。
そしてあなたもまた、明確にしておかなければならない。
「私もまた、自分の体験を分かち合おうとする中で学んでいる。
あなたの話に耳を傾ける時、それはあなただけの問題ではない。
私の問題でもある。
そして私が何か言う時、私はそれを言っているだけではなく、聞いてもいる」と。
あなたが特別な誰かではないことを、強く明確にしなさい。
これはグループの始めになされなければならない。
そして、グループがより深く探求していく中でも、それを続けなければならない。
あなたは、ただ数歩だけ先を行っている年長者であるにとどまる。
さもなければ、あなたは人々を助けることは出来ない。
彼らはテクニックを学ぶだろう。
そして、自らセラピストになっていくだろう。
それに、愚か者は充分にいる。
地球上には50億の馬鹿者が・・彼らは、彼ら自身の追従者を見い出すだろう。
人々が自分を尊敬し始めると、
「人々が私を尊敬しているのなら、私には何か偉大なものがあるに違いない」と考え始めるのは、
人間の弱さだ。
人々は悩んでいる。
彼らは、人間の脆さゆえに苦しんでいる。
だが、あなたも人間だ。そして、間違いを犯すことは、まったく人間的なことだ。
どんな非難もなしに、大いなる愛を持って、彼らが自分自身を開くのを助けるがいい・・
それは、あなたが自分自身を開いてのみ可能だ。
(続きます。)