友達から連絡がきて、数年ぶりでお茶をすることになりました(^^)
ところが
待ち合わせ時間を過ぎても、友達は来ません
前日に彼女から待ち合わせ時間の確認メールが来ていたのに。
連絡しても音沙汰がなかったので
まさか事故とかではないよねと気にはなりながらも、30分ほど待って帰りましたε- (´ー`*)
連絡がきたのは約束の時間からなんと2時間後
時間を勘違いしてたらしく、メチャクチャあせってた
メチャクチャあせってる友達の声を、とても冷静に聞いている自分にビックリしました
今までだったら
きっと“怒って”帰ったことでしょう。
そして、電話で相手の声を聞いた瞬間に、その怒っていた時点の自分に戻って、また怒り出していたと思うのです(^^;
なにが違うのかなーと考えました。
2時間たっていたから、気持ちが落ち着いていたというのもあるとは思います。
それよりも、
こういうことがあると私ってこんな反応をするんだ、ということを、待っていた30分の間に自分で観察できたからじゃないかと思います
仕事がおしたので、遅れる旨の連絡をいれ、あせって駆けつけた。けれど、彼女が待ち合わせ場所にいなくて、待たせなくてよかったとホッとしたと同時に、“返信なしで遅刻なの?頑張って駆けつけたりしなくてもよかったじゃん”みたいな黒い気持ちもわき上がってきたり
待つほどに、“私が”待ち合わせ時間か、場所をまちがえたのではないかという不安感が出てきたり。
もう帰ろうという思いと、でもそのすぐ後に来るかもしれないという思いの綱引きがあったり。
たぶん時間の勘違いで来ないんだろうなとは思ったけれども、携帯も見ず、時間も間違える、って、どんだけ楽しみにされていないのか、っていう被害妄想的なものまで出てきちゃったり(-_-;)
帰ると決めたきっかけは、ずっと立っていて貧血起こしそうになったから
連絡がないのにも関わらず、もう充分待ったという想いもあったし。
このような、自分の中にわき上がってきた想いを振り返ってみると、それに振り回されている自分が可笑しくなった
だって、
彼女はただ“遅れただけ”なんです
それ以外、なにもしていない。
私が勝手に作り出して、怒ったり、不安がったりしてるだけ。
このことに気づけたから、怒って帰ることもしなかったし、彼女からの電話で怒らなくてすみました(*^_^*)
自分の心にこだわりがなければ、他人からの言動が気にならないというのは、こういうことなのかもしれない、と少しわかった気がしました(*^_^*)
とは言うものの、私の中にこだわりが全くないわけではなく、今後は十二分にも配慮した上で彼女と会うようにしようと思ってしまったのでした(^^;;