「人権感覚」という言葉を初めて知った | 夢と希望と宝塚

「人権感覚」という言葉を初めて知った

宙組のあの事件のあと、「人権侵害」という言葉をある記事で読んだ。有愛きいさんの人権が侵害されたのだと理解した。宝塚は、人権侵害している組織として烙印されたと理解した。


最近、「人権感覚」という言葉を初めて知った。


◯人権が擁護され、実現されている状態→望ましいものと感じる

●人権が侵害されている状態→許せない


と思う感覚だそうだ。


この感覚が敏感な人とそうではない人がいて、宙組での事件の後、ファンが離れたりそうではなかったりしたのかもしれないと思った。


人権侵害を断固として許せない!!と感覚が過敏な人は、過激な言葉になることがあるのかもしれない。


大好きな宝塚だから、清く正しく美しくの宝塚だから、人権感覚が鋭くて、個人を最大限に尊重するお手本のような組織であってほしかった。


ただ、96期問題の時の酷さを知っているので、人権感覚が鋭くないことは百も承知なのだけれど。


勝手に期待して、勝手にショックを受けてるだけなのかもしれない。


ちなみに人権感覚を検索すると、文部科学省のホームページがヒットした。


以下、コピペしたもの↓


人権感覚とは、人権の価値やその重要性にかんがみ、人権が擁護され、実現されている状態を感知して、これを望ましいものと感じ、反対に、これが侵害されている状態を感知して、それを許せないとするような、価値志向的な感覚である。「価値志向的な感覚」とは、人間にとってきわめて重要な価値である人権が守られることを肯定し、侵害されることを否定するという意味において、まさに価値を志向し、価値に向かおうとする感覚であることを言ったものである。このような人権感覚が健全に働くとき、自他の人権が尊重されていることの「妥当性」を肯定し、逆にそれが侵害されることの「問題性」を認識して、人権侵害を解決せずにはいられないとする、いわゆる人権意識が芽生えてくる。つまり、価値志向的な人権感覚が知的認識とも結びついて、問題状況を変えようとする人権意識又は意欲や態度になり、自分の人権とともに他者の人権を守るような実践行動に連なると考えられるのである。