今回は、旧教団の中心的な教義となった、予言や、今後の未来に関して、自分の考えをお伝えしておきたい、と思います。

 


■元代表の復活の願望について

 まず、教団の一部では、「元代表が今後復活する」という考えや、「そう考えないと、グルとの縁を傷つけ、悪業になる」という考えがあることは承知しています。

 その心の背景にあるものは、元代表に対する愛著や、元代表が復活することで自分たちが救われたり、自分たちの信仰の正しさが証明されたりしてほしい、という気持ちがあるのだと思います。

 しかし、ここでも、「愛著のあまり、現象をありのままに見ることができなくなっているのではないか」ということを考えてほしい、と思います。

 「グルに懇願すれば、グルが復活する」というのは、一見して、現象は全て心の現れ、という法則に基づいているようで、実際にはそうではない、と思います。

 というのは、これまでに、元代表が逮捕されて、死刑判決が確定したことも、日本や世界の多くの人々の心の現われだからです。

 一連の事件でひどい苦痛を味わった被害者遺族、治安当局、そして日本国民全体の意思として、逮捕があり、裁判があり、その確定がありました。

 非常に多くの人々を苦しめたがゆえに、その人たちの意思・心の現われとして、逮捕・死刑判決があったということが事実だと思います。

 元代表の復活を懇願する心の背景の奥底には、やはり、自分たち側の心の不安定、不安、苦しみがあるのではないか、と思います。

 元々、グルへの帰依という行為自体が、私たちの中の苦しみ、不安、不安定といったものに対して、グルに依存して解決しよう、という側面がありますから、これは自然なことだと思います。

 しかし、その苦しみ、不安、不安定さがあるがゆえに、懇願しても到底実現しえないことを懇願し、その結果として、実現しない時に、ひどく落ち込むのであれば、状況が悪化してしまいます。

 私たちは元代表に依存し、95年以来の状況を経験しました。そして、その後も、教団においては、たびたび、信者の依存の対象が崩壊することが、繰り返されました。それは、元代表だけでなく、ハルマゲドン予言にしても、時々の上層部にしても。

 これは、私たちに対する重要な教訓ではないでしょうか。

 「依存が全くいけない」とは言いませんが、その依存の仕方が、あまりに非現実的であれば、それは当然、苦しみをもたらします。また、そういった非現実的な依存自体が、苦しみから生じている、危うい行為ではないでしょうか。

 私自身、旧教団の幹部の一人であり、こういった信者のものの考え方が形成されたことに対して重大な責任を負っていますから、これは決して批判ではなく、私自身が抜け出すのに苦しんだ問題です。

 それから、「修行者が(元代表の復活を)思念するのと、一般の人が(元代表の死刑を)思念するのとでは、力が違い、信者がごく少数でも、懇願すればグルが復活する」と考える人がいるとも聞きます。

 これは、以前の教団が、「たった一つの教団がヴァジラヤーナ活動によって日本国家を転覆できる」と考えたことを思い出させます。「修行者の智慧と力は違う」ということが時々言われていました。
 しかし、現実は、皆さんがご存じの通りです。

 この背景として、教団には、自分たちを特別視する考え方があるのではないか、と思います。これは、予言自体がそうです。予言は成就しませんでしたが、その予言は、自分たちを聖なる特別な魂と位置づけています。

 人は自分自身を一番愛していますから、「自分が特別でありたい」という気持ち、そして、「自分が巡り会った元代表が特別な存在であってほしい」という気持ちがあると思います。

 それは、人を向上させる面もありますが、行きすぎると非常に危険です。それは、誇大妄想的な狂信を生じさせる恐れがあります。人は皆、自分や、自分の指導者、自分の集団を現実よりずっとよく見たい、という願望がありますから。

 それから、教えというのは、すべて時と場合によって適用すべきかどうかを考える必要があると思います。

 すなわち、択法覚支ですね。これは、「どんな教えも、絶対ではなくて、時と場合によっては、逆効果になる場合がある」ということだと思います。いわゆる、「法は無我なり、識別は無常、苦、空、非我」という教えです。

 グルに愛著する、という法則も同様です。また、修行者として、「自分は凡夫とは違う、というプライドをもって修行を進める」という教えも同様です。

 これらは、修行を進めるために、煩悩を活用する教えですが、それゆえに、このような教えは、本質的に、修行を進める手段・方便であって、常にどんな場合にも、絶対ではないと思います。

 時と場合を考えずに適用され、それが行きすぎてしまうと、狂信、盲信になってしまいます。

 例えば、愛著は、対象をありのままに見ない心の働きであり、無常である対象に依存する心の働きですから、元代表に非現実的な期待・依存をして、苦しむ結果になる恐れがあります。

 修行者と凡夫を区別するプライドも、仏教が求める最終的な境地は、自他の区別をしないこと、慈悲ですから、それに至る過程においての方便としては肯定されても、行きすぎてしまえば、誇大妄想・狂信状態になる、と思います。

 誇大妄想的な意識は、自分たちが形成したプライドに、自分たちが振り回されてしまい、現実が全く見えなくなってしまっている状態です。

 そして、場合によっては、事件で苦しんでいる被害者遺族を含む人たちの心情は全く考えない状況となると思います。場合によっては、依然として社会と闘う、という心の働きになり、教団によって傷ついた人たちと闘い続けることになります。

 一般の人々が、「信者は、被害者遺族を無視し、自分のことばかりを考え、未だに事件を反省してない」と考えれば、その結果は、元代表に対する怒り・恨みが強まるばかりで、逆効果になると私は思います。

 死刑執行も、オウム問題が解消され、元代表が多くの死刑囚の一人になっていった場合の方が、今のように特別に注目される存在である場合よりも、遅くなるのではないか、というのが合理的な見方だと思います。

 こうして、グルに対する絶対的な帰依、グルへの愛著、修行者としてのプライドといった、自分たちが修習した宗教的な方便・手段によって、自分たちが、とんでもなく、振り回されているのではないでしょうか。

 教えは、人のためにあるのであって、人が教えのためにあるのではないと思います。

 また、宗教が、人のためにあるのであって、人が宗教のためにあるのではないと思います。

 しかし、宗教的な観念が固定観念となって、信者を拘束し、それによって振り回されて、教団においても、世界においても、多くの人たちが、盲信・狂信に陥り、また、それがゆえに、他と争い続けているように思います。

 


■旧教団の予言の分析

 さて、次に、元代表の復活とも関連した、旧教団の予言に関する信仰について、今現在の自分の考え方をお伝えしておきたいと思います。

 私は、昔は違いましたが、今の段階では、ハルマゲドンが起こり、キリストが登場する、という予言を信じることは盲信・狂信であり、信者にとって、望ましくないと考えています。

 まず、皆さんもご存じのように、最後の著書である『亡国日本の悲しみ』で、元代表は、「2003年までに核が落ちる、そのターニングポイントは97か98年である」としましたが、既に2007年になる今、それは全く成就していません。

 そして、元代表は、その書籍の中で、「このときまでに何も起こらなければ、私の予言は外れたことになる」と言明していますから、この意味で、予言は外れた、と考えることが、他ならぬ元代表自身の考えと解釈できます。

 こうして、皆さんは、ハルマゲドンやキリストの登場の予言を信じなければならない、ということはないと思います。また、今の現実から見ると、それを依然として信じる場合は、妄想的な願望ではないか、と心配しています。

 私は、95年に弁護士を通して、元代表の見方を聞きましたが、その中で、元代表は、自分は死刑を覚悟しており、自分の役割は外の者の修行を確保することである、ということが伝わってきました。

 また、その前後、私は、ハルマゲドンが起こるかどうかも、弁護士を通して、質問してみましたが、私が質問した時には、それに対して明確な答えは、全くありませんでした。

 しかし、私が逮捕された後くらいから、元代表は、徐々に、再びハルマゲドンについて語り始めます。私にとっては、これは意外なことでした。

 私自身について話すならば、95年の強制捜査と逮捕の時点で、私は、もう予言は成就しないだろうと思いました。

 なぜならば、私たち高弟だった者においては、「予言は自ずと成就するものではなく、教団が、その科学技術省のヴァジラヤーナ活動、すなわち、軍事力の開発とその行使によって、成就させるものである」という考え方があったからです。元代表は、このことを、「予言とは計画である」と一言で表現していました。

 しかし、元代表が逮捕された後も、元代表が予言を語り、「97年や99年の予言を信じるべきである」というメッセージを教団に送っています。さらに、元代表は、「不死の身体である陽神を作る瞑想をしており、2004年までには、自在の神通を誇ったとされるミラレパのようになる」というメッセージもありました。

 しかし、実際には、これらの予言は全て成就しませんでした。

 どうしてこうなったかを考えると、一つには、いろいろな事実から推測すると、元代表自身が、予言を深く信じていた、ということがあるように思います。

 それに加えて、たとえ、そうでなかったとしても、あの状況下では、元代表としては、信者に修行させ続けるためには、「もはや予言は成就しない」と言うことはできなかったろう、と思います。

 なぜなら、95年当時の信者にとっては、一連の事件の関与の疑惑と、組織が大崩壊する未曾有の事態において、この事態も予言された艱難であり、97年や99年までがんばれば、ハルマゲドンが起こり、キリストが現れ、全てが変わる、ということが、おそらく唯一の希望だったと思うからです。

 その意味では、事件で逮捕されて、ヴァジラヤーナ活動がなくなった後では、非現実的とも思える予言を語り続けたのは、信者との関係があったのかもしれません。

 そして、結果として、予言は、全く成就しないままに、2007年まで来ました。しかし、これは、ある意味で、当然の結果なのでしょう。

 


■元代表の予言は、逆成就している

 その中で、私は、私たちがハルマゲドンを含めた、元代表の超越的な予言を期待する時期こそ、逆に教団には良くないことが起こるパターンがあることを発見しました。

 これは、法則で言えば、とらわれると得られないということかもしれませんし、もっと奥深い理由があるとも、考えています。

 1997年は、ハルマゲドンの予言の最初の年でしたが、元代表が不規則発言を始めて、全く連絡が取れなくなったときです。教団にとってのハルマゲドンでした。

 1999年は、これも、ハルマゲドンの予言の時でしたが、団体規制法が制定されて、これまた、教団にとってのハルマゲドンの時となりました。

 2003年も、『亡国日本の悲しみ』などで、上記のように、核戦争の予言があったときでしたが、私が修行入りとなり、教団の方針が大きく変わったときでした。

 2004年は、この年までには、元代表が陽神を成就して、言わば「復活する」ことが期待された時でしたが、逆に元代表の死刑判決があり、同時に、陽神の修行をしていたカッピナ師が、山での修行で遭難死するという悲劇がありました。

 2006年には、この年までには、広島に原爆などが落ちて、ハルマゲドンが起こっているという予言がありましたが、元代表の死刑判決が確定し、代表派と非代表派の分裂が決定的となった年でした。

 これは、何か偶然の一致でしょうか。

 私は、この不思議な現象の原因を思索しているうちには、どうやら、元代表の予言は、日本や世界で成就するのではなく、教団で成就するものだと解釈すると、現実に非常にマッチする、と思うようになりました。

 まず、元代表の予言には、世紀末に日米決戦があるとか、日本が再び天皇を元首にする、といった予言がありましたが、実際には、教団こそが、アメリカを敵とみて、米軍の毒ガス攻撃を主張しましたし、また、元代表こそが、事件直前の教団体制では、法皇と位置づけられました。

 実際に、元代表を絶対神の化身・キリストとして世界を統治すべき存在と位置づけたことは、大日本帝国が天皇を絶対神として大東亜共栄圏を形成しようとしたのと非常によく似ている、と思います。

 他にも、教団には、大日本帝国のデータがあるように思います。例えば、「進めオウムヤマトのように」という歌や、毒ガス攻撃とコスモクリーナーといった、宇宙戦艦ヤマトのパロディーが、教団の中にありましたが、このアニメのヤマトは、大日本帝国の戦艦大和の復活版です。

 これは一体何を意味するのか。

 


■教団と日本社会の接点

 結論を先に言うと、教団と、教団を生んだ日本は、別物ではなく、やはりつながっている、ということだと思います。

 教団の信者は、「教団は聖で、社会は邪」という旧団体の教えに影響されているでしょうし、社会から見ると、「社会が正義で、教団は悪のテロリスト」という見方でしょうが、よくよく考えると、やはり釈迦牟尼の説いたカルマの法則に従って、両者の間には根底の部分で何かのつながりがあって、特に、日本の過去の傷である大日本帝国と教団には、非常に似た点=つながりがある、と思うようになりました
 
 まず、当たり前のことですが、この教団は、教祖から信者まで、全て日本製です。

 次に、教団は、元代表を絶対神の化身・キリストとして、キリストが統治するハルマゲドン後の千年王国を作るために、ヴァジラヤーナの活動を行なって、その結果として起こった、一連の事件を十分に総括・反省できず、元代表の個人崇拝が続いており、依然として日本社会の中で、地域社会と摩擦を抱えています。

 これと全く同じではありませんが、日本は、第二次世界大戦を行なう中で、天皇を絶対神とした国家神道に基づいて、西欧の植民地支配ではなく、天皇を中心とした神の国である日本を中心としたアジア世界を理想とする大東亜共栄圏を唱えていた、という事実があります。

 もちろん、日本の天皇は、強権的な人ではなく、戦争を主導はしなかったし、戦後すぐに自己を神と位置づけた体制を否定する「人間宣言」をなした、という大きな違いがあるため、元代表とイコールではありません。

 しかし、戦争の首謀者とされる東条英機などの当時の国家指導者たちについては、彼らを英霊として祀った靖国神社があり、そこに現在の首相が参拝することが、中国や韓国が、日本が戦争を反省していないと感じる原因となり、強い反発を買い、大きな外交問題になっています。

 また、少し前に、森元首相は、「日本は天皇を中心とした神の国」と発言し、近隣諸国から激しく批判されることもありました。ある大学教授の本には、「日本は戦後、第二次世界大戦について、表では反省した形を取り、裏では聖戦と考える、という顕教と密教の二重構想を持っている」と書かれていました。

 もちろん、第二次世界大戦では、欧米も植民地侵略をしていた以上は、日本だけが侵略戦争をしたのではなく、本音として日本は悪くないと考えている日本人は少なくないでしょうし、その意味で、それと教団のテロ事件をだぶらせるべきではない、と思います。

 しかし、私は、大学時代に韓国人の留学生と友人になりましたが、日本が進出した先である、中国や韓国から見れば、「欧米も悪いから」と言って、「日本は悪くない」ということにはなりませんし、依然として日本に残っている、欧米人に対するのとは違った、韓国人・中国人に対する見方、一種の差別的な、見下した見方などは、全く受け入れられません。

 そして、そもそも、日本が欧米と敵対し、孤立する過程においては、その背景として、日清・日露を初めとして、複数の戦争に連勝し、神風伝説なども生まれる中で、自分たちの力に過信が生じ、「神の国である」という錯覚が広がったのだろう、と思われます。それが無理な戦争に行く一因にもなったと思われます。

 この点は、坂本弁護士事件、国土法事件を初めとするさまざまな事件を起こしながら、それが十分には摘発されず、その後も勢力を増大させた教団が、95年に破綻を迎える前までに抱いていた、自己と宗教に対する過信と、ある意味で、よく似ている面があるだろう、と思います。人間にとって慢心は怖いものです。

 ここで、対比してみると、以下のようによく似ています。

(1)教団信者は、依然として元代表を礼拝・帰依・信仰している
 →首相を初め、依然として、「A級戦犯」を英霊として祀る靖国神社を参拝している

(2)教団信者の中には、依然として教団の事件の反省が不透明な者がいる
 →日本人の中には、依然として過去の戦争の位置づけ・反省が不透明な人がいる。

(3)教団は、近隣住民の摩擦が続いているし、賠償も終わっていない
 →日本は、依然として、近隣諸国との外交問題があるし、賠償問題もくすぶっている

 こうして、日本社会の暗部である、大日本帝国の戦争の問題は、私たちの教団の問題と、どこかで繋がっている、と思わせる面があります。

 すなわち、日本で生まれ育った教祖と信者が作った、この教団は、大日本帝国の傷を完全には払拭していない日本のカルマのある部分を「極限的に拡大投影した」という面があるのでないでしょうか。

 


■私たち日本人の信者の潜在意識、カルマが投影された元代表の予言

 そして、元代表の成就しなかった予言の中に、日米決戦とか、元首天皇の復活だとか、大日本帝国のイメージが多い理由は、元代表だけではなく、日本人である私たち信者の潜在意識に、そのようなデータがあったからだ、と思うのです。

 一般にも、教祖となるようなカリスマの人は、人々の潜在意識にある願望をくみ取って、それを満たすことに長けている、という見解がありますが、元代表も、信者の潜在意識にある、願望・イメージを実現した、教団を作ったのではないか、と思います。

 教団の信者の中で人気があった、アニメの宇宙戦艦ヤマトは、大日本帝国の敗北の象徴である戦艦大和が、新しく宇宙戦艦ヤマトとして蘇り、西欧人を象徴するガミラスと戦って、今度は打ち勝つ、という物語ですが、これは、日本人の潜在意識において、過去の戦争の敗北に対するリベンジという意味合いがある、とも解釈できると思います。

 というのは、もし、本当に過去の戦争を反省していたら、過去の戦争の象徴である戦艦大和が蘇って、自分たちのヒーローになる、というアニメが人気を博すだろうか、と思うからです。
 すなわち、日本人が未だに、過去の宗教的な戦争・闘争を適切に総括して、闘争を越えた、新しい国家の思想性・宗教性を創造することができない意識状態であることを示す証拠のように思います。

 また、日本人である信者の潜在意識には、当然、現実の平凡な日常には飽き足らない中で、それを劇的に変えるハルマゲドンのような状況が起こり、さらに、その中で自分が、突然に特別な能力を持つヒーローとなり、戦いに勝利する、という願望があると思います。
 ヤマトでも、ガンダムでも、エヴァンゲリオンでも、ナウシカでも、そういった特徴において共通しています。

 そして、そのような日本人の信者の潜在的な欲求にマッチした形で、元代表が作り上げた世界が、私たちの教団であり、「ハルマゲドンが近づく中で、元代表というキリストの弟子として、解脱して超能力を身につけた、真理の戦士となり、マーラの勢力と闘って、私たちが勝利して、理想の世界を作る」という構図が形成されました。

 こうして、私たちの潜在意識の願望・データが作り上げたものが、元代表の予言であり、教団であった、とすれば、その予言が、日本や世界で現実化することはあり得ない、と言うことになります。
 アニメでは、たった一艦の戦艦や、未熟な若者が、奇跡的に勝利を収めますが、現実の世界では、それはあり得ず、オウム真理教という一教団が、国家権力と戦って勝てるわけはありませんでした(大日本帝国が、国力で何十倍にも上る米国に勝てるわけがなかったのと似ています)。

 そして、こうした信者の願望と、現実の世界のギャップが、95年以降も、教団に災いをもたらしていると思います。

 例えば、97年は、ハルマゲドンの年でしたが、それは現象化しませんでした。そして、その前後から、元代表は、不規則発言を始めて、意思疎通が不能となり、意見陳述では、「もう第三次世界大戦が起こった」という趣旨の不規則発言をしました。

 もし、元代表が、その弁護士や家族の方々が主張したように、本当に精神病理的な状態にあるとすれば、その背景には、「現実世界では、予言が成就せずに、弟子に裏切られていった元代表が、その現実を拒否して、自分の内側の世界で予言を成就させていった」と解釈することが、心理学的には可能だろうと思います。

 また、99年は、現実には、到底起こるとは思えないハルマゲドン予言を信者が捨てることができずに、サバイバルのために、各地の不動産を取得しました。その結果として、団体規制法が導入されました。

 そして、今現在も、依然として、元代表の神格化や、元代表の復活への期待がありますが、客観的に見れば、信者側の非現実的な認識、期待、願望だと思います。
 そして、それが、教団内の意見対立の根底と関係しており、2003年以来の教団の分裂の原因となっていますが、この点については機会を改めたいと思います。

 こうして、代表派としては、ハルマゲドン・キリスト登場といった、旧教団の教義については、私たちを取り巻く現実を、勇気を持って直視し、甘え・妄想を越えて、地に足をつけた努力を積み重ねて、真実の未来を切り開いていくべきだと思います。

 

 

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