この文書「オウム真理教時代(1983~1999年)の総括」は、ひかりの輪として、オウム真理教時代(※1983~1999年)を時系列的に振り返り、その経緯を総括・反省するとともに、その反省に基づいて、今後ひかりの輪が進むべき道について述べたものです。

 

 なお、この文書は、ひかりの輪の専従会員が会合を重ねて2008年に作成し、同年7月10日の記者会見においても、マスコミを通じて広く社会に公表しています。

 

〔※教団名が「オウム真理教」になったのは1987年ですが、便宜上、前身団体の時代を含めています。また、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚については、オウム真理教時代に「麻原彰晃」と名乗り数々の犯罪を行ったことから、文中では「麻原」で統一表記しています。〕


            目  次

 

 【1】 1983年(昭和58年)~1985年(昭和60年)
    ・オウム真理教の前身組織の設立
    ・初の「空中浮揚」――誇大宣伝の始まり
    ・誇大妄想による武力行使思想の萌芽
    ・霊石収集とハルマゲドン予言の始まり
    ・年末セミナーでの「シャクティーパット」
    ・この時期は比較的穏健だった説法

 

 【2】 1986年(昭和61年)
    ・インド各地を訪問、使命を託されたと主張
    ・「傲慢になりやすい人間」と自認
    ・「最終解脱」をしたと主張
    ・パイロット・ババ師の麻原に関する見解
    ・サンガ(出家)制度の発足

 

 【3】 1987年(昭和62年)
    ・「大乗の年」と位置づける
    ・殺人肯定説法
    ・「核戦争を起こす」と発言
    ・一方で、核戦争防止の説法も
    ・この時期まではあった穏健な説法について
    ・ダライ・ラマ法王等からの「称賛」――その背後にあったもの
    ・弟子を成就させる――その成就体験について
    ・教団を「オウム真理教」と改称
    ・エジプトに行き「過去世」を語る
    ・アメリカに活動展開

 

 【4】 1988年(昭和63年)
    ・「タントラヤーナの年」と位置づける
    ・社会への宣伝活動を強化
    ・「水中エアータイトサマディ」の実施
    ・「血のイニシエーション」を実施
    ・カル・リンポチェ師との交流――麻原への真の評価
    ・ダライ・ラマ法王等を低く位置づける
    ・グルイズムを強調
    ・初の違法行為――真島事件
    ・予言解釈による麻原絶対視の始まり
    ・妄想的な予言を連発する
    ・一部の霊的エリートだけを残すという危険な構想

 

 【5】 1989年(昭和64年・平成元年)

    ・ヴァジラヤーナ路線の宣言
    ・麻原個人崇拝的な修行
    ・宗教法人化をめぐるトラブル
    ・初の殺人事件――田口事件発生
    ・グル絶対視、殺人肯定説法を繰り返す
    ・魂の二分化――二元的思想の強まり
    ・衆院選への選挙活動のスタート
    ・『サンデー毎日』の批判報道への反発
    ・キリスト妄想の始まり
    ・坂本弁護士一家殺害事件の発生
    ・事件に揺れる教団を組織固めする
    ・選挙活動における違法行為

 

 【6】 1990年(平成2年)
    ・選挙落選は国家の陰謀と主張
    ・落選を機に教団武装化へ
    ・信者避難のための石垣島セミナー
    ・武装化拠点として波野村に進出
    ・進む武器の製造
    ・ヴァジラヤーナ活動に基づく成就認定
    ・国土法事件――ヴァジラヤーナを決意

 

 【7】 1991年(平成3年)
    ・違法行為を一旦停止、マハーヤーナ路線へ
    ・社会的評価を得るために諸活動を展開
      「死と転生」「創世記」公演/海外への訪問
       テレビ、雑誌等のメディアに登場/大学等で講演会を行う
       大量の出版物を刊行
    ・自らをキリストと宣言

 

 【8】 1992年(平成4年)
    ・引き続き社会的評価を得る諸活動
      海外への訪問/テレビ、雑誌等のメディアに登場
      大学等での講演会
    ・ロシアへの大規模な進出
    ・ロシア進出のいきさつ
    ・パソコン会社「マハーポーシャ」設立
    ・警察との対決を煽る
    ・教団武装化、ヴァジラヤーナ活動の再開
    ・日本を救う最終解脱者と自称
    ・教団への敵対者は報いを受けると説法
    ・核戦争予言、アメリカを敵視

 

 【9】 1993年(平成5年)
    ・軍事力による世界統治に論及
    ・自動小銃の製造、化学兵器、核兵器の研究開始
    ・全ての魂の「ポア」を神に誓う
    ・自己破滅的な予言
    ・さらに戦闘的な発言を続ける
    ・救済のための大量殺人を肯定
    ・さらに進んだヴァジラヤーナ活動
    ・「額に刻印イニシエーション」を実施
    ・教団が毒ガス攻撃を受けていると主張
    ・「パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーション」の始まり

 

 【10】 1994年(平成6年)
    ・大量殺戮、国家との対決意図を強固に示す
    ・さらに進んだ武装化計画
    ・多くの信者を兵士へと養成
    ・兵士として洗脳するための「修行」
    ・頻発する暗殺・殺害事件
    ・落田耕太郎氏リンチ殺害事件
    ・滝本太郎弁護士サリン殺人未遂事件
    ・冨田俊男氏リンチ殺害事件
    ・江川紹子氏ホスゲンガス襲撃事件
    ・VXガスによる連続殺人(未遂)事件
    ・松本サリン事件
    ・省庁制度(教団内疑似国家)の発足
    ・「戦争」ムードを盛り上げる
    ・事件を招いた信者の潜在的闘争心

 

 【11】 1995年(平成7年)
    ・毒ガス製造隠蔽のために第三者を攻撃
    ・サリンプラント・第7サティアンの偽装工作
    ・阪神大震災を予言していたと主張
    ・目黒公証役場事務長逮捕監禁致死事件(假谷事件)
    ・『日出づる国、災い近し』でハルマゲドンを強調
    ・地下鉄サリン事件
    ・強制捜査の開始
    ・強制捜査を宗教弾圧と主張
    ・上祐ロシア支部長が帰国、緊急対策本部長へ
    ・警察庁長官銃撃から村井氏刺殺事件へ
    ・第7サティアンの偽装発表など
    ・麻原や多数の信者の逮捕
    ・少しずつ報じられ始めた事件の真相
    ・上祐氏の逮捕と新しい指導体制
    ・社会との対決姿勢を示す「尊師メッセージ」
    ・宗教法人解散と破防法手続きの開始

 

 【12】 1996年(平成8年)
    ・破防法と破産法による教団追及
    ・麻原公判の開始
    ・新たな指導体制――「長老部」
    ・長老部の指導の問題点(1)――麻原と子息の神格化
    ・長老部の指導の問題点(2)――陰謀論の展開と事件の宗教的肯定
    ・長老部内の不和
    ・観念崩壊セミナーの開催
    ・事件を正当化した宗教的理論――「マハームドラー」
    ・大部分の信者が事件を起こす可能性はあった
    ・分散居住と破防法への備え

 

 【13】 1997年(平成9年)
    ・教団への破防法適用棄却へ
    ・妄想の中に逃げ込み始めた麻原
    ・個人崇拝のさらなる強化へ
    ・パソコン事業で社会を欺く

 

 【14】 1998年(平成10年)
    ・全国的な施設確保へ
    ・破局予言の流布
    ・非現実的な信徒倍増計画
    ・教団の偽装会社による詐欺的訴訟
    ・全国的な教団反対運動が発生

 

 【15】 1999年(平成11年)
    ・全国に飛び火する教団反対運動
    ・反対運動への教団の対応
    ・街頭パフォーマンスで批判を受ける
    ・「サバイバル」に多額の金銭を消費
    ・1999年の予言が当たらず崩壊へ
    ・教団活動の「休眠宣言」
    ・ようやく形式的な謝罪・賠償へ
    ・1995年から99年までを振り返って

 

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