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「今日は東京の日」って何かヘンなテーマだな。
『東京に憧れたことある?』、あははっ、昭和の時代の質問かもなぁ・・って。
もちろん憧れはありますよ、ってかありました、何度かね。
① 東京への憧れその1
1964年10月に開催された東京オリンピック、オリンピックに合わせて夢の超特急・東海道新幹線が開通して、
これまで在来線で6時間30分かかっていたのをたったの3時間10分で結ぶことになりました。
(開通直後は最速ひかりで4時間運転していました)
全線高架、踏切が一つも無い、在来線が山を避けるような路線になっていたのを距離を短くして所要時間を短くする、ということから長大なトンネルを何個も作って直線区間をたくさん設け「そこどけそこどけ、新幹線が通るぞ」とばかりの路線は時間短縮の効果があるものの、一方で景色はほとんど楽しめない、そんな感じでした。
私が新幹線に初めて乗せて貰ったのは開通後半年経った春休み、新大阪駅から乗りこんだ0系新幹線電車、もうワクワク・ドキドキの瞬間で当時はビュッフェ(軽食堂車)に速度計が設置されていて、米原を通過直後に連れてって貰って速度計が210Kmを指すのをジッと見入っていました。
あっと言う間の3時間の新幹線の旅、着いたのが東京駅、初めて見る皇居に二重橋、そして東京タワー、大阪では絶対に見れない大都会の雰囲気がプンプン、気後れしてしまったのをハッキリと覚えています。
憧れの東京、そしてはとバスで巡る首都東京の観光地の数々、これが東京なんだ、って小学校低学年の《ひかり》クンは本当に圧倒された感じでした。
母親がそっと「大きい声で大阪弁しゃべったら恥ずかしいから・・・」なんて今思うとアホらしいことを真剣に言っていたのも良く覚えています。
しかしあの真っ黒な出汁のそばにはもう気分が悪くなってしまって食べるモノは大阪の方が美味しいなぁなんてそんなことも記憶にしっかりと残っています。
② 東京への憧れ その2
大学受験の時。
何を隠そう私の第一志望は某私立大学(@三田)、ここの文学部か経済学部が第一志望で入学したら神宮で六大学野球の応援をして・・・なんてそういう夢を高校1年の時から抱き続けました。
模試ではなかなかA判定は出なかったけど、とにかく受験したい、と両親にお願いして関西の私立大の受験・発表が終わってから新幹線で受験に向かいました。
受験日前日に下見にいって、何と素敵なキャンパスか、これぞ大学生、憧れの東京で一人暮らし・・・、もう膨大な夢を抱きました。
結果的にはその夢は見事に打ち砕かれ、地元の大学へ進学することになりましたが、当時の国立大1期校に不合格になってすでに合格していた関西の某私立大には行く気がせず浪人することがほぼ確実になって来年また憧れの東京へ、と勝手にロードマップを作っていましたが奇跡的に2期校に合格して費用も安いし、下宿代とかも要らないし・・ということから地元進学を決めました。
今でも六大学野球やラグビー対抗戦などを見ているとああ、あの時もう1回挑戦したかったなぁ、なんて大いなる憧れをこの歳になってまでも抱き続けています。
③ 東京への憧れ その3
何と云っても演劇を楽しむなら東京です。
宝塚歌劇はもちろん、その他の演劇、歌舞伎など何でも東京には揃っている、まあこれだけ揃っていると経済的にしんどいだろうなって思いますけどね=笑=
何処へ行っても人、人、人、だけど楽しみはそれこそいっぱいある、日本初出店というレストランなどもほとんどが東京、いつまでも関西人からすれば憧れの存在、それが首都・東京なんでしょうね。
