そもそもなぜ体調を崩してしまったのか。
その前に、私自身の教師人生を振り返ってみます。(興味ない人は飛ばしてください)
私自身、教師という仕事が大好きです。
子供にも周りの職員にも恵まれ、大変なこともたくさんありましたがそれ以上に幸せなことがたくさんありました。
(もちろん思い出補正も入っていることでしょうが)
初任の頃から部活の主顧問を任され、朝練習、放課後練習に授業準備、生徒会、学級の準備など盛りだくさんでした。
帰るのは20時、21時は当たり前、テスト前ともなると日を跨ぐことも珍しくはありませんでした。
クラスや学校が落ち着いていたかというとそういうわけではなく、破壊行為や陰湿な陰口、暴力行為などさまざまで
その対応に追われていました。
何事に対しても本気で生徒とぶつかっていたのはこの頃が一番だと思っています(笑)
授業が何よりも好きで、授業準備には手を抜きませんでした。
行事も大好きで、生徒以上に進んで行動していました。(←生徒の成長を考えるとあまり良くない)
部活も自分の専門以外しか顧問をしたことがありませんが、一緒に常に活動していました。
ただダメだったのが、仕事を趣味にしていたこと。
休みの日も授業準備に明け暮れていました。
それだけ遅く帰ってきても、ご飯、お風呂、仕事と自分の自由時間を作ってあげませんでした。
若い時はそれでいけていたかもしれませんが、去年転機が訪れました。(悪い意味で)
そう、今流行り?の「教師不足」です。
「初めての2つの要職主任兼務」に教師不足により「授業の持ちコマが20」を超えていました。
(自分自身20コマ以上持ったことはありますが、さすがに2つの要職の主任兼務は無理ゲー)
2023年4月からいきなり残業時間は100時間を超えていましたが、何とか走っていました
が、
2024年に入り、体に異変が、、、、、
・呼吸がしんどくなる
・家で仕事をしている時に右目が見えなくなる
・頭痛やめまいがひどい
・喋ると吐き気がする
この辺りで明らかに変なんですが、持ち上がりの3年生をみていたこともあり、意地で走り抜けました。
2024年3月今思えば、体はずっと悲鳴をあげていたんだと思います。
気づいていていながら何もしてあげられなかった自分に災難が訪れます。
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