法務省によると、夫婦同姓を法律で義務付けている国は世界で日本のみだ。かつて義務付けていた国も1990年代以降、次々と夫婦別姓が選択可能に。国連の委員会は日本の制度を「差別的」として、たびたび改正を勧告している。
「国会の判断」当面進展せず 自民、集約先送り―夫婦別姓
衆院調査局の資料や専門家によると、かつて同姓を法律で義務づけていたドイツでは、連邦憲法裁判所が91年、夫婦間で合意が得られなかった場合は夫の姓とする規定を「違憲」と判断。93年、別姓を認める法改正がされた。オランダでも98年、子どもの姓に関し、母の姓を認める改正法が施行された。
アジアでは、夫婦同姓を採用していたタイが2005年の法改正で選択的夫婦別姓制度を導入。トルコは02年、妻について夫と妻の姓をつなげる「結合姓」を認めた。
国連の女性差別撤廃委員会は、03年と09年の勧告で民法の夫婦同姓規定について「差別的だ」と批判、選択的夫婦別姓制度の導入を求めた。
日本政府は14年、同委員会に対し「法改正は国民の理解を得て行う必要がある」と弁明。最高裁は15年に夫婦同姓を「合憲」とする判決を出したが、同委員会は16年、「女性が婚姻前の姓を保持できるよう法改正を」と再び勧告した。<引用ここまで>
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また始まりました。
「外国が正しくて、日本が遅れている」という主張。
戦後一貫して行われてきた、この「日本破壊工作」。
これは、
「あなたは個性を持ってはならない!」
「個性は差別だ!」
「あなたは女性(又は男性)であってはならない!」と
言っているに等しいのです。
騙されてはいけません。
その国の文化・伝統を知らずに、そして調べもせずに、一律に「世界を同じようにする」=「個性を持たせない」という政策は、誰がいったい何の為にやっているのかと考えてみると、自ずとその存在が見えてきます。
法律的に日本は「夫婦同姓」ではなく「夫婦同氏」が正しいので、このニュースの表現は間違っています。
この苗字の問題を、日本と韓国に例にとってみてみましょう。
佐藤や田中といった「氏」は一つの家族の呼称であるのに対して、金、朴という朝鮮系の「姓」は、祖先祭祀を中心とした男系(父系)の血族集団の呼称です。
まず、ここを押さえておく必要があります。
「氏」が家族の呼称なのですから、結婚して「ひとつの家族になったら、新たな氏に纏まる」わけです。その場合「新たな家族」になるのですから、男性の氏でも女性の氏でも、どちらかをその「家族」の呼称にすることができます。日本は、大変自由なのです。
(夫婦の氏)
- 第750条
- 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。
ところが、朝鮮系の「姓」は男系(父系)の血族集団を表していますから、女性は結婚しても父親の娘であることに変わりは無く、生涯「姓」が変わることがありません。 「姓」とはそういう性質のものなのです。
子供は男系(父系)の血族集団ですから、父親の姓を名乗ります。
婚外子とか何か問題が無い限り、母親の姓を名乗ることはありません。
ですので、韓国の家庭では、ふたつの姓の人が同居することになるのです。お母さんだけが、実家の「姓」を名乗るわけですね。
ばあばは、ある韓国人女性に「家族の中で、自分だけ姓が違うことを淋しく感じないか」と尋ねたことが有りますが、特に何も感じないとの返事でした。習慣だからでしょうし、彼らのそれは「氏ではなく姓だから」です。
ことほど左様に、各国には、それぞれ固有の伝統・文化というものがあるのです。
国連が「赤」に染まっていると言われて久しく、「国連不要論」も出ています。
それでなくても、国連に日本の伝統・文化を潰す権利も権限もありません。
この主張が通れば、その内に遅かれ早かれ、「相撲は女性差別だ。国技館の土俵で、男女無差別で相撲をさせるべきだ!」との主張をして来ることでしょう。
これは冗談ではありません。
トランプさんの一般教書演説の原稿を、議会内で破って捨てるというパフォーマンスをした「トランプさんの天敵」、ペロシ下院議長(民主党)が今年、「今後は、議事堂内でお父さん、お母さん、妹、弟など、男女を区別する全ての言葉を使ってはならない」という下院規則を提出しています。
これらの言葉は、彼女に言わせると「差別」なのだそうです。
<トランプさんの一般教書演説の原稿を破くペロシ下院議長 2020年>
こんなことは、今に始まったことではありません。
カメラマンは女性差別だからといって、フォトグラファーに変わりました。
その他にも
actor/actress➡actor(俳優)に統一
chairman(議長)➡chairperson("man"→"person"に置き換える)
fireman(消防士)➡firefighter
mailman(郵便配達員)➡letter carrier
policeman(警察官)➡police officer
外国の影響を受けて日本でも、スチュワーデス、スチュワードは客室乗務員やキャビン・アテンダントに変わり、看護婦は看護師に、助産婦は助産師に変わりました。
看護婦のような、かつては女性の職場だった場所に男性も進出してきたから、という理由なら現状に合うように変更するの良いと思いますが、「男女差別だから」というレッテル張りはイデオロギーに染まっているとしか思えません。
今に「女性らしい」とか「男性らしい」と言う言葉も差別だと言ってくることでしょう。「家内とは何事だ!」「奥さんとはけしからん!」「主人とはなんだ!」ともね。
言葉は文化なのです。文化を育み、文化が言葉を育む。
「差別」というレッテルを貼って、そうした文化を壊そうとする行為に、ばあばは納得がいきません。
そういう人たちは、「相撲が神事だ」ということを絶対に受け入れません。
「神事だ」と言っても、日本文化や伝統を壊すのが元々の狙いですから、「神事から女性を締め出すのか!」とへりくつを言い出すのは目に見えています。
国体を潰して、国民をバラバラにして隷属化させる。
日本に於いてそれは、「天皇を無くしてしまう」ことと「家族を壊す」ことです。
明治以降、西欧風個人主義が広まって、どれほど家族関係が壊れてしまったことか。この工作は静かに進められ、確かに成功しているのです。
日本を隷属化させる工作は、宣教師が日本に来た頃から行われています。当時、スペイン人やポルトガル人らによって、日本人が拉致され奴隷として外国に売られていたことを、いち早く察知した織田信長や豊臣秀吉が、この工作を食い止めました。
それがキリシタン弾圧の実相です。このような動きと宣教師たちは、裏で繋がっていた。キリシタン弾圧の陰には、そんな歴史があったのです。
ポルトガル人の宣教師であるルイス・フロイスが書き残したように、当初織田信長は宣教師たちを手厚く保護したではありませんか。
信長も秀吉も、異国の悪辣なる者たちから日本人を守ったのです。ですから「キリシタン弾圧」、この表現も変えるべきでしょう。
日本は神代の昔から、「異なる者」に寛容です。受け入れこそすれども、虐げることが有りませんでした。
それは「個」が「家族」という核の中で、また「国」という組織の中で等しく守られてきたからでしょう。
足下が揺らがないからこそ、外の文化に対しても盤石で居られるのです。
今はどうでしょう?
明治新政府以来、「日本らしさ」を全て「悪なるもの」として排除し、「欧米のものが素晴らしい」としてきた結果が、社会にひずみとして現れています。
日本は神代の時代から、年齢でも男女でも差別しない「合議制」でした。人類初の民主主義国家は、日本なのです。
世界で初めて、国際舞台に於いて「人種差別撤廃」を発議したのも日本でした。トーマス・ウッドロー米大統領(当時)に握り潰されてしまいましたが。
万葉集には、職業も男女の差別もなく、素晴らしいと評価された歌が集められています。
平安時代から、女性も仕事人として朝廷に仕えていました。
紫式部も和泉式部も、れっきとした作家で仕事人です。
こんな時代から、女性の作家が居た国があるでしょうか。
世界を見ても、日本ほど平等で先進的な国は無いのです。
他の国は異民族を奴隷として扱い、「支配構造」の中で力の強い者がのし上がり、生き残ってきました。弱肉強食の世界です。
ですから「善人説」が成り立ちません。「ひとを見たら泥棒と思え」の世界です。米国の半数の人々が、絶対に銃規制を受け入れないのは、その為です。自分の命は、自分で守らなければならないからです。
善人説が成立する国は日本くらいでしょう。
それは、天皇が「国をしらす存在」であって、力で統治する存在ではないからです。「権威と権力を分けてきた」唯一無二の国が日本なのです。二千数百年にも渡って、国として続いて来た秘密がそこにあるのです。
彼らは「それを壊したい」。一種の嫉妬でしょう。
イエロー・モンキーの国のはずの極東の「弱小国」日本が、世界一長い歴史と天皇を頂く国であることが許せないのでしょう。自分たちが持てないものを、ふたつも持っている日本が許せない。だから、何としても潰してしまわなければならない。
そのひとつの工作が、この「夫婦同姓は違法」と訴える人々の運動です。この裏の動きを知らずに、結果的に加担している人も居るでしょうが、先にも書いたように、訴えるならまずは「同氏」と「同姓」の違いや歴史を学んでからにしてほしいものです。