どうも、お久しぶりです。

ひかみや矢持です。




ひかみや二大巨頭の西垣と池本に割って入り、

ご無沙汰だったブログを更新したいと思います。



さっそくですが、

当店オンラインショップのワインリストが

少しばかり充実しているのはご存じでしょうか



最近、徐々にですが掲載アイテムを増やしておりまして、

主に80~90年代などのオールドヴィンテージが

中心となっております。


本日は、そんなリストの中から、

お手頃とは言えません(ある意味お手頃・・・)が、

確実にオススメはできる1本をご紹介します!



はい、それは初夏と言うことで白ワイン。

しかも、せっかくなので世界最高峰であるブルゴーニュ。

からの、最高のアペラシオン「ピュリニー・モンラッシェ」。

より、二大巨頭と言われる偉大な造り手のひとり。

それは、エティエンヌ・ソゼ。

銘柄は、バタール・モンラッシェ1994でございます。


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ピュリニー=モンラッシェという名前は、

ラテン語の地名である『Puliniacus』と

『山』を意味する『Mont』 、『禿』を意味する『Rachet』

つまり、「Puliniacusの禿山」という言葉に由来してます。


かつて、この地域一帯は、ぶどう以外に何も育たない

貧相な土地だったことから、「禿山」という名前が付いたそうです。



そんな「禿山』で偉大な造り手「ドメーヌ・ルフレーヴ」と並び、

ピュリニー・モンラッシェでもっとも尊敬を集める造り手が

エティエンヌ・ソゼです。


1903年に生まれたエティエンヌはわずかな畑を親から継承し、

1950年頃にはそれを12haまで広げました。


当時としては画期的な「ドメーヌ元詰め」を始め、

フランス各地の著名レストランに直売するなどの先駆者でもあります。




惜しまれながらも1975年に他界。


ひとり娘は嫁いだため、孫娘のジャニーヌが

夫のジェラール・ブードとドメーヌを継ぐことになりました。



ところがブドウ畑はエティエンヌの娘、ジャニーヌの母であるマダム・ボワイヨの所有で、

1989年に相続税の問題を解決するために、これを3人の子供に分け与えることにしたそうです。


彼女はドメーヌがバラバラになることを望んではいなかったそうですが、

息子のひとりが相続分を自身のドメーヌに組み込んでしまったため、

エティエンヌ・ソゼの畑は9haまで縮小・・・

ただでさえ需要に対して供給量が不足しているところにもってきてこの始末。


顧客のことを思えば畑が減ったからといって

簡単にアロケーションを3分の2にすることもできない。


そう考えたジェラール・ブードとジャニーヌは、

91年から買いブドウで生産量を維持する道を選び、

このネゴシアン方式により、ドメーヌの看板を下ろすことになります。


しかし、そんな苦境のなかにおいても

ドメーヌ時代と変わらない徹底したワイン造りを行い、

今日、世界中のワインラヴァーが求める非常に入手困難なワインとなっております。