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色彩治療担当の聖です。

 

🍀🍀🍀

 

8月25日(日)、色彩診断治療の生みの親である国際色彩診断治療研究会の名誉会長故加島春来先生がご逝去されました。93歳でした。

 

振り返れば、当院を開業してから、鍼灸の壁にぶち当たり、もっと優しくて(痛くなく、熱くなく)、即効性があって、副作用もなく、子供、妊婦さんであっても安全に怖くなく受けられる医療があるはずだ!!と理想を掲げて全国あちこちと走り回ること10年目の2002年。初めて色彩診断治療に出逢い、衝撃を受けたのがはじまりです。

 

当時100本の探索棒と色を揃えて始めました。宝物が届いた!!と嬉しかったな〜♡

 

当時、71歳だった春来先生は歩く医学事典のような存在でした。研究発表の時に、この先生は内科の先生だからと婦人科のことをお尋ねすると、「僕は内科だから婦人科のことはわからない」。この先生はたしか耳鼻科の先生だからと耳鼻科のことをお尋ねすると、「僕は眼科だから耳鼻科のことはわからない」と断られる。結局最後春来先生にお尋ねすると、何科であってもすべて答えてくださるのでした。

 

故加島春来名誉会長

 

入会した当時は疑問だらけで、それ以来質問はすべて春来先生にFAXや急ぐときは電話でしていきました。「こんなに質問してくるのはおらん」と言われながらも💦💦とことん納得いくまでお尋ねしていました。今思ってもご多忙の中、本当にご迷惑であったことと思いますが、よくご返答くださったな~と今でもそのFAXのやり取りは宝物として残しております。

 

 

 そんな春来先生から、「次の研究会では発表しなさい」と言われれば、断ることもできず、初心者で稚拙なながら発表し、促される度に回を重ねていた日々を思い出します。やっと自ら発表しようと思った症例は乳がんで露出がんの症例を小さくして症例でした。はや10年が経っていました。

 

若かりしころ💦💦

 

春来先生のがん治療を目の当たりにして良くなる症例を数々みてきたことや、諸先生方が素晴らしいがん治療の効果を発表されていたので、見よう見まねで取り組んでいました。

 

とにかく、全てががむしゃらでした。とにかくやってみる。そんな精神も全て春来先生がお手本でした。先生がいてくださったからできたことです。春来先生はご自分の持てる全てを惜しみなくご指導くださいました。

 

今、現在治療ができているのは、故加島春来先生という偉大な存在があったからでどんなに感謝しても感謝し切れないほどのご恩があります。このご恩は、会の発展と皆様への治療.ご奉仕しか返せないと思っております。

 

今は、会の部外で研究しておりますが、また諸先生方と春来先生が残してくださった前人未到のそして未来の医療を明るく照らす色彩診断治療の発展に全力を注いでまいりたく思う次第でございます。

 

春来先生、長い間お世話になりました。このご恩は決して忘れません。

 

そして、必ずや世の中の医療が色彩診断治療があってよかった!!と一人でも多くの方に思っていただけるように全人生尽くしてまいります。

 

皆様おつきあいくださりありがとうございましたm(__)m

 

 

今では1万を超える探索棒と色が作られました。そのテキスト。

 

当時の加島会長と横内副会長と共に💕

  


名誉会長なられた第25回時

 

良くここでご指導受けました🍀 ̖́-

 

 

これからも今ある身体を回復、維持して未来に希望が持てる身体作りの応援をしていきます✨️

愛と平安、感謝で満たされる日々でありますように~お願い

むらまつ東洋医学治療院 💓https://muramatsu.xtr.jp