『日本国記』 限りなく真実に近いアナザーストーリー 42B 【日本人のルーツ その40】 『日本国記』 地球(キ)はこうしてできた。「安芸津の家」は日本にもある。 『日本国記』 第7惑星である地球に ひじかたすいげつ
つづき
「地球」は「キ」。「月」は「キングウ」である。
どうやって地球と月ができたのかをシュメルはなぜ知っていたのか?
シュメルとアッカドの重要な古代メソポタミアの新年は、「安芸津akitu」という。
ゼカリア・シッチンはいう。
「12日間の新年の祝日は太陽系の構造であり、7日間の祭りは第7惑星であるから。」
どこから見ての第7なのか?
冥王星からである。
1冥王星-2海王星-3天王星-4土星-5木星-6火星-7地球-8金星-9水星
1ガガ-2エア-3アヌ-4アンシャル-5キシャル-6ラフム-7ティアマト-8ラハム-9ムンム
太陽アプスは「最初から存在したもの」であった。
ここには10個の天体しかない。12-10=2。あとの2個は?
ここにはマルドゥクがいない。
マルドゥクが王であった。
マルドゥクから見て7番目の天体が地球であった。
マルドゥク以外の惑星は太陽を左回りに公転するとすれば、マルドゥクはその反対に太陽を公転するといわれる。その公転は地球の3,600年であるという。つまり、マルドゥクの一年は地球の一年の3,600倍であった。
現在すでに、人類は月に行き、月は地球と全く同じ組成であることが分かっている。そして、地球が天体の衝突からでき、その片割れが月であることが定説となっている。
その衝突を「エヌマエリシュ」は描く。
マルドゥクはティアマトと接近した。その衝突は免れたが、マルドゥクの衛星が衝突した。
ティアマトの半分が壊れた。その半分は小惑星帯となり、残りの半分が地球キと月キングウとなった。
1ガガー2エア-3アヌ-4アンシャル-5キシャル-6ラフム-7キ-8ラハム-9ムンム
10キングウ 11マルドゥック 12アプス太陽
つまり、あとの2個は、ティアマトがなくなった代わりにできたキ地球とキングウ月とマルドゥクであった。
10+1-1+2=12であった。
マルドゥクは、地球の3,600倍の逆回転の公転時間を持つ12番目の星であった。
マルドゥクはハレー彗星のような小さな天体ではない。地球の何倍も大きな太陽系惑星であった。
この祝典は春分点の一致している1年の最初の月であるニサンの1日目から始まる。
そして11日の間、他の神々は定められた秩序の中でマルドゥクと謁見する。
12番目の日にそれらの神はそれぞれの位置にもどり、マルドゥクは一人にされた。
メソポタミアの神々の王はマルドゥクであった。
新年の式典は、12番目の星マルドゥクが冥王星-海王星-天王星-土星の4つの惑星のそばを通り、4日目の終わりには、マルドゥクの見えるところに木星イクが姿を現すことになっていた。このあと天の戦いが起こった。司祭が「天地創造の叙事詩」を朗唱する。5日目になると太陽系が12になったことを示すマルドゥクの宣誓が始まる。
5日目のその後マルドゥクの息子ナブが船で到着する。6日目にはバビロンの寺院に入る。その時彼は6番目の惑星火星であることを示す。創世記は6日間で「天と地がつくられた」というが、この6日目には小惑星帯と地球と月がつくられたという儀式も完了する。
7日目は、地球の出来事であった。マルドゥクと他の神々とは地球の統治権を争ったという。
8日目には、勝利したマルドゥクは「エヌマエリシュ高きにいますときに」として地球上で最高の力を持った。
9日目には他の神々がマルドゥクを「安芸津の家」まで運ぶ行列が始まる。
マルドゥックと11の神々はそこに11番目の日までとどまり、12日目には自分たちのそれぞれの家に戻って儀式は終了する。
これが「バビロニアのアキツの祝日」であった。
「アキツの家」はB.C.3,000年頃に作られた。
「ビットアキツ」は「地球上で生命をつくる家」であったという。
つづく
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