『日本国記』 限りなく真実に近いアナザーストーリー アジスキタカヒコネの伯父たち(八王子)とその子供たち5 25C ニニギと建御雷 ひじかたすいげつ
つづき
アジスキタカヒコネの伯父であるオオドシ大年は、出雲の者であったにもかかわらず大和のアマテラスになった。天照国照彦火明櫛玉饒速日と呼ばれた。オオドシがアマテラスになり、大国主は大国彦となった。大国主が始祖であったのか、それともオオドシが始祖であったのか?
オオドシの亡き後、三輪山に祀られた。そして大国彦の子が神武天皇に?いや、アマテラスはオオドシ。オオドシの子がアマテラスになるはず。
ところがそうではなかった。古事記では神武天皇を助けたオオドシ饒速日は亡くなり、神武天皇が始祖となった。
天孫はどこから?
神武天皇の父はウガヤフキアエズ、その父はニニギである。大和はヤスノ河原で思金神を委員長として会議を開いた。アメノオシホミミが使わされるはずだったが、彼は戦いが得意ではなかった。そのためその子のニニギが葦原の中つ国を平定に向かった。天孫降臨である。
そして、当時の日本である葦原の中つ国を平定したという。
平定したのはニニギ。国譲りを迫ったのは武甕槌と経津主。
どうつながりがあるのか?
場所が違う。国譲りを迫ったのは出雲の稲佐の浜であり、ニニギが降り立ったのは日向の高千穂であった。
九州の大和と畿内の大和。
出雲は一つであったが、大和はふたつ。
それで邪馬台国はややこしいことに。
畿内説は九州説を黙殺。“黙殺”は勝てないときの常套手段ではある。
官僚は本当の自分の意見を言ってはいけないという。
霧島神宮は欽明天皇の御代540年元宮創建とある。
ずいぶん新しい。
そして明治になり霧島神宮となった。
天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊を祀る。
つづく
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