『日本国記』 限りなく真実に近いアナザーストーリー 26B  【日本人のルーツ その24】 『日本国記』スメル(シュメル)とウバイド4   ひじかたすいげつ

 

 

 

 つづき

 

 エジプトの王は「現人神」であったが、メソポタミアの王は「神」ではなかった。メソポタミアの王は「神王(ゴッドキング)」ではなく、「神官王(プリーストキング)」であったという。

 

 メソポタミアの王はすべて「牛の角をつけた“帽子”」をかぶっているという。時代によって形は違うが、シュメルの初期王朝のときからそうである。 従来よりいわれているように、「スサノヲ」がほんとうに「牛頭天王」であるとするならば、「スサノヲ」は「メソポタミアの神」である「神官王」ということに。「神」は別にいた。「アン」である「ディンギル」のほかにもたくさん神はいた。

 

 メソポタミアでは初期から「マルドゥク」が主神とされることが多くなった。「エンキ」や「エンリル」よりも重要視された。それに対し、「神官王」は「人」であって「神」ではなかった。しかしそれでも、「牛の角の付いた冠(兜)」をかぶっているときには「神」と同様の存在になることができた。

 

 この牡牛の力を表現する文明は、メソポタミアに限らず、4,000年前を中心に栄えたエーゲ文明の中のミノア文明(クレタ文明)にもみられた。このミノア文明の文字も「聖刻文字」と呼ばれる象形文字であるが、解明されていないが、勝手な想像ではあるが楔形文字の原型と見えなくもない。

 

 バビロニアのカッシート時代のクドゥルにはアヌ(アン)の象徴として描かれ、アッシリアでは国家神アッシュルの象徴であった。神殿上の冠を三つ並べて、「アヌ(アン)」、「エンリル」、「エア(エンキ)」あるいは「アッシュル」、「アヌ(アン)」、「エンリル」を表すこともあったという。

 

 そして、アッカド王朝の第4代王である「ナラム・シン」は、シュメルのすべての都市が起こした反乱を鎮圧し、自らを神格化し、「月神シンの最愛の者」という意味の名を名乗った。 彼は地中海岸からペルシャ湾までの地域を征服したという。そして、エラムの首都「スサ」を占領したという。

 

 B.C.15世紀頃のメソポタミアは、アナトリアには「ヒッタイト」、ユーフラテス河源流域には「ミタンニ」、ティグリス河源流域には「アッシリア」、南には「バビロニア」が、そしてその東には「エラム」が鼎立していたといわれる。「エラム」がいたのはイラン高原の「スサ」であった。

 

 「スサ」の王とはだれか?


 

 つづく

    

 

 

         

 

 
 

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