『日本国記』 限りなく真実に近いアナザーストーリー 「ニニギ」と「ニギハヤヒ」 6C ひじかたすいげつ
つづき
古代、北九州から出雲や土佐を含む西日本は、「賀茂」の支配地であった。「賀茂(かも)」は「神(かも)」であり、「鴨川(かもがわ)」も「神川(かもかわ)」である。
そこに天孫が降臨した。天孫ニニギは高千穂に降臨したが、ニニギには兄がいた。彼は次男であった。ニニギは本名も「邇邇芸」であったという。そして古事記での名称は「天邇岐志国邇岐志天津日高日子蕃能邇邇芸命」である。「天も地もめでたい天の最も高いところの太陽の子で万能の次男のニニギ」であった。
それでは、兄はだれか?
兄も天孫降臨した。彼の名は「天照国照日子櫛玉天火明饒速日命」である。「天と地を照らす太陽の子で格別な宝である天の火で照らすめでたい速スサノヲの長男の太陽」であった。
彼の本名は「大年」という。古事記での「大年」の父は「速スサノヲ」、母は「カムオホイチヒメ」である。異母兄弟にヤシマジヌミがいる。ヤシマジヌミの母はクシナダヒメである。
そして「大年」は、伊野姫を妻とし、大国玉と韓神、ソホリ、新羅日、ヒジリを生んだ。輝夜姫を妻とし、「オホカグヤマトオミ(大香久大和臣)」と「御年」を生んだと書かれている。
そして大国主の子は、古志ヌナカワ姫、スセリ姫、八神姫、鳥取、タキリ姫を妻とし、多くの子をなしたが、ヌナカワ姫の子はタケミナカタ。宗像三女神の一人タキリ姫を母として生まれたのが味鋤高彦根命であった。
味鋤高彦根命は「迦毛大神」とも書かれる。「高賀茂大神」である。
そして彼-「高賀茂大神」は「高知」の土佐神社に。
そしてなぜか、「大国主」は出雲のスサノヲの子であり、「大年」もスサノヲの子である。
そして名は「天照」。「邇邇芸命」の兄であった。
「天照」は代々いた。
「豊受」と「天照」に祟られることを恐れた「ヤマト」は宮殿から出し、伊勢に祀った。
「ヤマト」とはだれか?
そして「大和」は、、、、。
つづく
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