日本の歴史(History of japan) ほんとうの・この国のかたち 世界は「縄文」を知ってしまった。その2
ひじかたすいげつ
「縄文」は世界遺産に。
神武天皇の母は海神族。
縄文人とも中国夏王朝の王「禹」の末裔ともいわれる。
「禹」はよく日本の川にもある「大禹漠」にも見える「蛇身」であり水神の「龍」でもある「三皇五帝」の一人である。殷周革命に出てくる「女媧」も「蛇身」や「龍身」で描かれることが多い。
出雲は象神と龍神を祀る。
出雲はクナトノカミとサイノカミとサルタノカミを祀る。
クナトノカミは太陽神。大山であった。東の大山からは太陽が昇る。
サイノカミは三瓶山であった。三つの瓶ではない。それはずっと後に付けた屁理屈。
サイノカミである三瓶山は、元は幸姫山サイヒメヤマであった。名前を消されてしまった。
サルタノカミは象神ガネーシャ。インドのクナト国にいたときには象もいた。インド象であった。
サルタノカミはいつのまにかサルタヒコノカミにされた。八街ヤチマタの神に。道案内の神に。
それで九州では同祖神みたいな神に。そしてなぜかほかの地域では猿田彦-芸能の神に。
猿田彦の妻は猿女サロメに。もとはイエスとマグダラのマリア。
そして龍と蛇は古志のヤマタノオロチ八岐大蛇ヤチマタノオロチにされてしまった。
後には三輪山の神に。
酒好きの蛇神にされてしまった。
由緒ある神は関係のない面白い神話にされてしまった。
彼らは縄文人であった。
縄文人ではあったが、北から来た渡来人でもあった。
B.C.10世紀も弥生であれば、出雲も弥生になってしまうが。
倭人は鯨面文身(入墨)をしていた。
「晋書」倭人伝には、倭人自ら「周王朝の皇子であった太伯の末裔」を自称していたともいわれる。
彼は蘇州を都とし「呉」を建てた。
「呉」はB.C.473年に滅亡。その後日本列島に渡ったともいわれる。
しょして、海龍に咬まれないために文身(入墨)をしたともいわれる。
彼らは縄文人ではない。
いわゆる弥生人であった。
倭人は九州にいたが、弥生人であったのかそれとも縄文人であったのか。
周の皇子太伯の末裔である呉から渡ってきたのが倭人なら縄文人ではない。
倭人は弥生人か?
そうであれば縄文人はどこに?
遺伝子的には沖縄琉球列島には今も縄文人がいるという。
九州四国を含む西日本は弥生的。
そして東北に行くほど縄文的であると。
しかしアイヌは全然違った遺伝子。
彼らは縄文人ではない。
オホーツク文化人であった。
遺伝子は面白い。
いろんなことがわかってきた。
日本の縄文時代 |中国旧石器時代
縄文時代草創期 16,000~11,700年前 | 中国新石器時代
縄文時代早期前半 11,700 | 早期文化
縄文時代早期後半 ~7,000年前 | 中期文化
縄文時代前期 7,000~5,500年前 | 晩期文化
縄文時代中期 5,500~4,400年前 | 末期文化
縄文時代後期 4,400~3,200年前 | ~3,750年前
縄文時代晩期 3,200~2,400年前(2,300年前) | 中国青銅器時代
日本の弥生時代 2,400~1,700年前 | 夏王朝B.C.1994年
| 殷王朝B.C.1523年
| 西周王朝B.C.1027年
| 東周王朝B.C.771-221年
| (春秋戦国時代)
日本にしかない縄文時代は、世界的には旧石器時代である16,000年前から始まる。
やはり、文明は日本から。
つづく
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