ほんとうの・このくにのかたち    上巻   日本の起源  その4

 

ひじかた すいげつ

 

 

つづき

 

 

アダムは古くても紀元前7000年より新しいといわれる。

 

 

これまで述べてきたように、地球上で人類ができたのはアフリカ大陸で、それが何百万年か前らしいが、

ホモサピエンスはもっと後、20万年前ぐらいらしい。

そして、10万年前くらいに出アフリカ(出エジプト)。

氷河時代(氷河期とはいわないらしい)には、人類は暖かいところに住んだ。

しかし、食糧の多いところには人がたくさん集まり、奪い合う。

そのため、食料の少ないところに追いやられた人も出てきた。

でも、食糧がなければ生きていかれないので、食糧の保存方法を考えた。

夏には手に入れた食料を保存する方法を考えた。

それが土器であった。

 

最も古い土器はブリヤート人の残した20000年前の遺跡で出土した。

分厚い素朴なものであったが、12000年前に新宿に居た人たちは薄い精巧な煮炊き用の土器を使っていた。

 

北から来た人たち以外に、北からよりも少なくはあったが南から来た人たちもいた。

氷河時代には100-140m海が下にあった。日本の南方にある東南アジアの島々はもとはズンダランドといわれる大陸であった。そこが島になるまでの海面上昇があり、昔も「地球温暖化」で居場所がなくなった流浪の民がいた。その人たちは暑い南から温暖な北―日本に来た。

 

当然日本以外の他の地域に行った人たちも多かった。オーストラリア大陸やユーラシア大陸に移った人たちが多かったと思われるが、日本に来た人たちもいた。南九州や四国南岸には彼らの遺跡がある。

南九州の桜島にある上野原遺跡には9500年前の彼らが住んでいた。三内丸山遺跡よりも4000年古い。

 

彼らは7500年前にすでに精巧な大型の壺を作っていた。焼酎を入れていたのかどうかは知らないが、最も古いといわれる5500年前のメソポタミア文明でつくられたのは2300年前。上野原遺跡の人たちは最古と呼ばれる文明より5000年も早かった。

 

メソポタミア文明5500前、三内丸山遺跡5500年前、上野原遺跡9500年前、日本にはやはりもっと昔に文明があった。そしてその人たちのうち「日本」に残った人たち以外に、外に流浪の民として出て行った人たちがいた。彼らが他の文明を作ったと「帝皇日嗣」は言う。

 

彼らがウバイドか?

 

 

つづく

 

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