「キース・ヘリングとグラフィティ」を聴いてきました | 土方美雄の日々これ・・・

「キース・ヘリングとグラフィティ」を聴いてきました

昨夜午後6時半から、黄金町の高架下スタジオサイトD(黄金町美術学校)にて開催された、村田真さんの講演会「キース・ヘリングとグラフィテイ」を、聴いてきました。参加者は十数人。月1回、村田さんの美術のお話を聴く会は、もう、81回も続いているようです。会費は500円。

お話は、たった31歳で亡くなる、キース・ヘリングの画歴と、その中で、1982年から83年にかけて、村田さんが「ぴあ」の仕事で、キースに密着取材した時のお話。その時、撮影した写真の一部が、今回の「キース・ヘリング展」で、展示されたものです。写真は村田さんが、中村キース・ヘリング美術館に管理を委ねたものだそうで、今回の同展で展示されたキース作品も、その大半は、この中村キース・ヘリング美術館の収蔵品だそうです。つまり、巡回展が終わったあと、小淵沢のキース・ヘリング美術館へ行けば、いつでも観ることが出来るようです。

グラフィティとは、キース・ヘリングや、ジャン・ミシェル・バスキアなどの、ビルの壁や地下鉄の車体等に、非合法的に描くアートのことで、アメリカでは、主に、1980年代に盛んになりましたが、その後、都市の浄化が進み、衰退。もっとも、現在でも、バンクシーなどは、世界各地で、作品を残し続けていますね。

こうしたグラフィテイは、いずれ消えてなくなるべき、一時的なアートなので、それを永久保存したり、商品化するのは、そのこと自体が、根本的な矛盾だと、村田さんは話されていました。

それは、たとえばアウトサイダー・アートなども同じで、アウトサイダー・アートの作家たちは、その大半が、人に見せるためにではなく、自分自身のために作品を描いたもので、それがアートとして、ギャラリーによって、高額で転売されているような状況は、それが描き手自身が、望んだ結果なのか、どうかは、微妙なところです。どんなものも、商品化され、利益を生み出すようになるのが、資本主義社会というものです。

でも、キース・ヘリングの場合は、1986年にはニューヨークに、1988年は、日本の青山にも、自らのポップショップを開店し、作品をグッズ化して、売るようになっていたそうですので、グラフィテイだけでなく、売る作品もつくっていたのですね。バンクシーだって、あとで、高額で落札された作品を、シュレッダーにかけるというパフォーマンスを見せたにせよ、作品をオークションに出していたこと自体は、事実。

そんなこと、あんなことを考えつつ、夜遅く、黄金町より帰還しました。