慶雲廃寺を探し求めて(その2)~探訪記 | 日出ヅル處ノ廃寺

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古代寺院跡を訪ねて

愛知県の豊田市もしくは知立市にあったとされる慶雲廃寺(けいうんはいじ)

 

3月中旬でしたが、クルマでの用事のついでに、慶雲廃寺の候補地のひとつである豊田市駒場町朝日の「今上駐蹕之所(きんじょうちゅうひつのところ)」と、慶雲廃寺の後身寺院であるという知立市八橋町の無量寿寺を訪れてみたことがあります。

 

早咲きの桜と今上駐蹕之所の石碑

 

両方とも初めて訪ねた場所でしたが、早咲きの桜が青空に映えて春の到来ムード満点。さらにこの辺りは鎌倉街道が通り、在原業平にまつわる史跡が点在していて、なかなか楽しそうな場所であることを知りました。

 

これは徒歩か自転車でのんびり巡ってみると良さそうだと思い、どうせならカキツバタの咲く5月に改めて来てみようと思ったわけです。

 

そしてやってきた2023年ゴールデンウィーク。時は満ちた!

 

かねてからの計画を実行すべく名鉄電車で知立駅へ。高架化事業の進む知立駅を降りると、なにやら賑やかな様子。知らずに来たのですが、当日は江戸時代から続くという知立神社の祭礼「知立まつり」の日で、駅近くの通りに花車が集結しておりました。

 

知立まつりは本祭と間祭を交互に行うらしく、今年はコロナ禍開けの4年ぶりの間祭。間祭には山車ではなく「花車」を繰り出すのだそうです

 

思いがけず良いものが見れて幸先の良いスタートになりましたが、本来のミッションはこれから。まず、知立駅近くの「知立市駅前自転車駐車場」に向かいます。

なぜかというと....

 

なんとここでは市が無料で自転車を貸してくれるのだっ!

スゲーぞ、知立市‼

「カキツバタ」と「大あんまき」しか無い街だと思っていたが(ごめんなさい)、見直したぜ!

 

受付で自転車のカギとカードを借りて、このカードで駐車場ゲートを通り抜けるというシステム


ではチリフ5号機を駆って「街道・カキツバタ・慶雲廃寺」のミニトリップにレッツラゴー!

 

 

まずは東海道を東進

 

今回のミッションは、まず知立駅から東海道を東に向かって安城市の北部を目指す。

というのは、同市の不乗森神社から今度は逆に鎌倉街道を西走し、界隈の旧跡を巡るという算段だからです。慶雲廃寺とは関係のないものがほとんどだが、こういうのもよいでしょう。

 

東海道池鯉鮒宿の東端にあたる「御林」で国道1号線とクロスをすると、昔ながらの松林を両側に従えた「東海道らしい」眺めとなります。交差点から少し東側に行くと石碑・案内板コーナーが登場。当地が「馬市」で知られていたことがわかる広重の絵や万葉歌碑がある。

 

馬市は毎年4月から5月上旬にかけて行われ、400~500頭の馬が集められたのだとか

 

松並木の道をさらに東進すると、来迎寺一里塚。左右に残った双塚はめずらしいらしい。

 

道路の両側に松が生えているところが一里塚。県指定の史跡です

 

安城市内に入って今本町西の交差点を左に折れ、北東方向を転進。道中、和服のような色合いのアヤメがきれいに咲いておりました。

 

ジャーマンアイリス(ドイツアヤメ) と言うらしいです。舶来品のようですね

 

 

お猿さんを祀る「不乗森神社」からプチ史跡巡り

 

安城市里町にある不乗森神社(のらずのもりじんじゃ)に来ました。お猿さんを神様の使いとして祀っている全国的にも珍しい神社だそう。

 

これから向かう豊田の駒場は「下馬観音」、こちらは「不乗森」。どちらも街道を往来する人々が下馬して通行したことからついた名称ですが、言い方が違っているのが面白い。

 

ここらへんでは珍しい「山王鳥居」。神仏習合を表しているらしい

 

「見ざる」「言わざる」「聞かざる」は日吉山王神道の基礎となる教え。ほー知らんかった

 

不乗森神社の北にある「縄文二タ股遺跡」の碑。安城市埋蔵文化財センターのウェブページでは紹介されていない超マイナー遺跡。確か石鏃が出土したのだったかな。今は調べがつかず詳細不明。

 

お地蔵さんに花も添えられのどかなムード

 

西に向かうと、付け替えられた道路の脇に「条里制一町田跡」の碑。さきほどの碑と同じタイプだな。この付近が条里制の跡だとはあまり聞かないのですが、地域の方々が熱心に地元の遺跡の継承に努めておられるようです。

 

あたりは一面の田んぼ。地図を見るとこの西側に方形の田が多少あるので、これが条里制の名残なのかも

 

こうやって点在する史跡を巡るには自転車は最適ですね。改めて知立市に感謝!

そして今度は進路を北東にとって、やってきたのが「花の瀧伝承地」。

 

かつて鎌倉街道の脇にあった菖蒲池の中にあったという

 

「花の瀧」という名前が素敵ではありませんか! 

かつては八橋八景の一つとして数えられていて、昭和50年代に圃場整備がされるまでは、森の中に小さな瀧があったようです。

 

この地を詠んだという、慈円(『愚管抄』の著者。歌人としても有名)作と伝わる歌が残っています。

 

 風わたる 花をみかはの 八橋の くもでにかかる 滝のしらいと

 

なかなかいい歌です。現在は記念碑と説明板が残るだけですが、当時の様子を思い浮かべるのもまた一興。

 

 

かきつばた祭でにぎわう無量寿寺へ

 

さて、知立市に入ってまずは無量寿寺を再訪。春先に訪れたときは行楽客はあまりいなかったが、その時は八橋旧蹟保存会の方々がかきつばた園の手入れを行っておられました。こうした方々の地道な努力のおかげでわれわれはカキツバタを楽しむことができるわけです。感謝、感謝。

 

行楽客でにぎわう無量寿寺と八橋かきつばた園

 

無量寿寺近くにあった「八橋の歴史ウォッチング」の案内板。今回のミニトリップもこのコースをたどります

 

見ごろとなったカキツバタ

 

平安のプレイボーイ在原業平さまの銅像

 

別の日ですが八橋ゆかりのギザギザ橋

 

普段はシャッターが閉まっている建物が臨時の店舗として大活躍

 

朝飯代わりに生八橋。この祭り期間だけの限定販売「かきつの香り」を食す。美味

 

さて、無量寿寺境内に点在する旧跡の類はいろいろな方がネットで紹介しているので、ここでは別の話をば。庫裏の唐破風玄関は(その1)で書いたとおりです。

 

一方、本堂の建物は、特段珍しい要素はないように見えましたが、ふと見上げると....

むっ! こっ、この瓦は!?

 

この文様、どこかで見た気が....

 

知立市歴史民俗資料館の寺領廃寺(安城市)複製瓦の展示。慶雲廃寺と同じ「北野廃寺系」という独自の文様

 

丸瓦の文様は違っていますが平瓦のギザギザ模様が同じことがわかります。写真がありませんが、『新修豊田市史』に掲載されている慶雲廃寺出土の丸瓦の文様(素弁六弁蓮華文様)は、無量寿寺の軒瓦の鏡部分(でいいのかな?先端の丸いところ)の文様と同じなのですね。

 

現在の無量寿寺の瓦がいつ葺かれたものかまではわかりませんが(本堂は大正期に火災にあって、その時に業平作と伝わる観音像も焼失したとか)、あきらかに慶雲廃寺出土と伝わる瓦の文様をなぞったものに違いありません。これは面白い発見でした。

 

 

鎌倉街道沿いの八橋名所めぐり

 

無量寿寺を後にして、これ以降は先ほどの案内板に記された八橋の旧跡を順に訪ねていきます。八橋界隈ではよく知られた場所ばかりなので、さくっとご紹介していきましょう。


まずは街道からは少し離れた場所にある八橋古城跡。台地の縁辺部に立地する中世の城跡で、現在は児童公園になっています。写真にある石碑は別の場所にあった葦香城(あしかじょう)から移設したものですが、ここにあったのは八橋古城。『無量壽寺縁起』によると、古くはこの辺が「野路の宿」と呼ばれていたようです。

 

公園の片隅にある「葦香城址」の碑と八橋古城跡の説明版

 

八橋古城は発掘調査で戦国期の堀や井戸の跡が確認されていますが、古代の竪穴住居跡から古瓦の破片が出土したとのことです(『八橋古城跡II』知立市教育委員会 2012年)。古瓦だけでは決め手に欠けますが、何か古代寺院との関連があった場所なのかもしれません。


鎌倉街道に戻ります。知立市内の街道沿いの電柱には「鎌倉街道」の表示が巻き付けてありました。

 

ほとんどすべての電柱に巻き付けられていて間違えようがありません


在原業平の菩提を弔うために建立されたという在原寺(ざいげんじ)。『東海道名所図会』では、ここが「下馬観音」であるかのように描かれていましたが、多分間違い。境内には案内板がいくつも出ておりますが、無量寿寺とは対照的にひっそりとした雰囲気でした。


在原寺境内。5月5日に開催される「一人茶会」でも知られているようです

 

あまりよく知りませんが、庭園には歌碑・句碑などが点在

 

在原寺からさらに西へ進むと「根上りの松」。根の様子がまるでタコのようですが、根が上がってきたわけではなく、覆土が削られて根が露出したためにこんな姿になったのだとか。『東海道名所図会』にもそれらしき松が描かれていましたね。

 

このような「根上りの松」は全国各地にあるようですね


坂を下り、名鉄三河線の踏切を越えてすぐの場所に「八橋旧跡碑」。その奥の小高い場所に「業平供養塔」と呼ばれる宝篋印塔があります。寛平年間(889~897年)に在原業平の骨を分け、ここで供養するために塚を築いたと伝わりますが、宝篋印塔は室町時代の様式のものだそうですよ。

 

「愛知縣名勝 八橋傳説地」とあります

 

つぶれていますが、左側が業平供養塔


吾妻男川を超えて街道から北に少し入ったところにある、かきつ姫公園内の「落田中の一松」。一説に在原業平が有名な「かきつばた」の和歌を詠んだ場所といい、「八橋十景」の一つとしてよく知られた名所だったようです。

 

案内板によると、以前は別の場所の湿田の畔に一本松が自生してたそうですが、宅地開発によりここに移されたそう

 

知立市による「八橋の歴史ウォッチング」案内板の名所巡りは、ここで終了となります。

 

知立市への入口に設置された鎌倉街道の案内板

 

 

慶雲廃寺と下馬観音

 

衣浦豊田自動車道の高架下の「八橋町大流」交差点を越えると今度は上り坂に。ここまでが知立市内でこれからは豊田市内になります。左手に「下馬山」の森をながめながら坂を上っていきます。

 

鎌倉街道から眺める下馬山の森


知立市から豊田市内に入ると鎌倉街道の表示も変わりますね。

 

よく見たら世界遺産ならぬ「とよた世間遺産」。笑わせてくれますな。


『下馬観世音縁起』によると、この辺りが「下馬山」と呼ばれていたようですが、今では住宅地となっていて、古代寺院はおろか観音堂があった痕跡もまったく残っておりません

 

この縁起では、下馬観音が下馬山から移転した時期を「いつの頃か」としていて、地元の方でもいつ移転したのかはすでにわからなくなってしまったようです。今では「下馬」という小字名が残るのみです。

 

下馬山の北側、慶雲廃寺の候補地のひとつである今上駐蹕之所(きんじょうちゅうひつのところ)にやってきました。あまりなじみのない名称ですが、今上駐蹕之所とは、昭和2年に当地で行われた陸軍特別大演習に、昭和天皇が視察に訪れたことを記念した大きな石碑が建てられている場所です。

 

入り口にあたる場所に「御乗換之所」の碑

 

立派な記念碑の周囲には、もしかしたら古代寺院の礎石では?と思わせる石がいくつか見受けられますが、詳細は不明。記念碑正面に埋め込まれた、上面が平らになった石は見た目がいかにも礎石といった感じですが、『新修豊田市史』によると、これは外部から持ち込まれたものであるといいます。

 

中央の立派な石碑に「今上駐蹕之所」と刻まれております

 

同史にも言及されていますが、この一帯を注意深く観察してみても、残念ながら近現代の瓦以外には古代寺院跡にみられるような古瓦の散布は認められません。

 

かつてはこの斜面地から古瓦が出土したといいますが、その割に現在はかけらも見つからないというのは、ちょっと変な感じですね。必殺奥義「瓦めくりを行うことなく、次に向かいます。

 

「今上駐蹕之所」を遠望。周囲よりも少し小高い場所はいかにも古代寺院がありそうであるが....

 

ふと空を見上げると「慶雲」ではありませんが、太陽の周りに笠ができておりました。


「ハロ」と言うらしいですね。天気が下り坂のサインだとか

 

鎌倉街道から北の方に向かって行き、ここが現在の下馬観音です。所在地がよくわからなくて、ずっと探していた場所ですが、今回ここにようやくたどり着き、ご対面がかないました!


暗渠化された「枝下用水」の上にあります

 

小ぢんまりとした観音堂ですが、覆屋には『下馬観世音縁起』が掲げられていて、この観音の数奇な経歴を知ることができます。

 

天井裏左側に『下馬観世音縁起』

 

下馬観音については(その1)の最後の方に書いておきましたので、そちらをご参照ください。

 

 

ラストは大あんまきと知立神社

 

最後は知立神社に向かいますが、その前に国道1号線沿いの「藤田屋」で大あんまきを購入。知立といえば「藤田屋の大あんまき」なのですが、元々は同じ知立市内にある小松屋本家が始めたものだそう。知りませんでした。(今日は知らんことばっか笑)


期間限定販売の大あんまき「ほうじ茶」を食す。美味

 

小腹を満たして知立神社です。はじめに書いたように本日はこの神社の「間祭」の日。境内には出店もあり、多くの来訪者で賑わっていました。こちらでもカキツバタが咲き誇っておりました....が違うことが後で判明。

 

実はこちらは「花菖蒲」


ところで、知立神社といえば多宝塔国の重要文化財の指定を受けた室町時代建造の塔です。この多宝塔、明治期の神仏分離令により取り壊される運命にあったのですが、それを惜しんだ刈谷藩主土井利教の一計により、入母屋瓦葺きの「文庫」として魔改造され(その当時の写真がある)、難を逃れたらしい。今となっては笑い話ですが、当時の方々の思い入れの伝わるエピソードです。

 

今は元どおりの端正な姿。多層塔とは異なる相輪(九輪の上部の請花×3と火炎宝珠)がシブい

 

知立駅に戻って、自転車を返却。知立市さん、どうもありがとうございました。

これにて「街道・カキツバタ・慶雲廃寺」のミニトリップは終了です!

おつかれさまでした~

 

おまけです。

帰りの名鉄知立駅構内に掲出されていた観光ポスター。今日巡ってきた所がカッコよくデザインされていましたよ。これを見て知立神社では花菖蒲が咲いていたことを知ったわけです。

 

花の咲く時期も少しズレるのですね

 

次回は慶雲廃寺の場所について考察してみます。