録画していたムラビンスキーの番組を見た。

ロシア貴族の家系だったのに、革命ですべてが変わってしまった・・・


ん、何か覚えのあるストーリー。と思ったら以前読んだ「たゆたう春」と雰囲気が似ている。

確かあの著者もロシア革命前の時代を懐かしむひとりだ。


ムラビンスキーのチャイコフスキーとかグラズノフとかショスタコビッチを聞くにつれ、自分の中で勝手な

退廃美のストーリーが生まれてきて、番組を見終わったころにはすっかり帝政ロシアのとりこになってしまった。


ほかに心惹かれた退廃美は、国は変わるが、ドイツオーストリア。

ビスコンティの「ルートヴィヒ」と「地獄に堕ちた勇者ども」の世界にもどっぷり浸った。


終わりがあると知っているからこそ惹かれるもの。

逆にそうでなければ物事に魅力を感じない自分が問題か・・・。

ニコニコ数ヶ月ぶりの歌舞伎座演劇

今日の目当て、多くの人にとっては海老蔵や菊之助かもしれない。

私は地道に踊り目当て。日舞の先生から、(今回の踊りの演目は流派独特で)面白いから一度お稽古してみるのもいいわね、という言葉を受けたから見たかったのだ。

「三ツ面子守」と題するこの踊りは、踊り手の見栄えはよくない(田舎から出てきた小娘が子守に外に出て、神社で踊って遊ぶ)のでお姫様のようなきらびやかな衣装で舞台に立てるイメージを持ってはいけないべーっだ!

でも、三津五郎さんの踊りには光があった。華があって楽しく鑑賞できた。

いつも思うのだが、彼ひとりが舞台で踊っているのに、ひとりを感じさせない存在感がある。

身体も小柄なのに、舞台がちょうどよい大きさになる。

そういう踊り手さんはなかなかいない。

ちなみに、坂東流では、この踊り、上半身は男踊り、下半身は女踊りをするという技巧が求められる。

娘がひょっとこやら弁天?さまの仮面をかぶってその振りをして踊るからだ。


おかめにもなるし、とにかくあわただしいあせる。色々な人を演じなければならない。

身体が覚えられるか、能力が追いつくかさえわからないが、踊れるようになったら立派な踊り手さんだ。


いつかなれるかしらん富士山

オケの方からたけのこをいただいた。その日の朝、町内会でたけのこ取りをしたそうで、おすそわけだった。


私は芋掘りも、たけのこ取りも、山菜とりも、潮干狩りも、(あと知らないから思いつかない) 基本的な”~取り”一連を経験したことがない。一般的に幼稚園や小学校で芋掘りや潮干狩りが行事として組まれているようだが、ちょうどその時期を海外で過ごしていたからだ。

両親も自らそういうことを企画する類ではないので、ついぞ経験したことがない。特に経験したいとは思わないが、”~取り”は一種未知の楽しみを潜めているイベントではある音譜だから、いただいた取れたての食べ物も、自分は当事者でないにもかかわらず、(想像上の)取る過程の楽しみも含めて味わえる。


まずは、ニンニクの芽、豚肉、エノキとで炒めものにした割り箸するとすると、なんとも甘く、香り高いタケノコが自己主張するではないですか。

これは若竹煮にしなければ。と思ったら時間がなかった。ので、またもやチャーハンに使った。炒めたタケノコにしょうゆ風味がとても美味しく、忘れられなくなってしまった。


そしてスーパーでもタケノコの価格がすかさず目に入ってきて、含み笑い。

あ~、おいしかった!ニコニコ

それにしても、旬の食材をうまく調理できるようにならないといけませんね。