ヘクター・ピーターソン博物館 | あれもこれも

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ハマるとものすごいテンション上がるけど結局妄想するだけで何もせずに家と職場を往復する日々。  

本当のタイトルは「あれもこれも(やる気はあったはずなのに…)」です。

ずいぶんと日が開いてしまいましたが、4月上旬に行ったアフリカ南部ツアーの続きです。


この日は4月13日(火)で、南アフリカのプレトリア観光を終えたツアー一行はバスでソウェトに到着。

ソウェト(SOWETO) ってのは“South Western Townships”の短縮形で、

細かいことは省略しますがその昔「黒人はここに住め」と決められてた地区のこと。

ヨハネスブルグ郊外にあります。

アパルトヘイト撤廃後は“象徴”として観光ツアーなんかも行われているみたいです。

午前中の後半は、このSOWETO地区にあるヘクターピーターソン博物館を見学します。


ヒィーロゥはどの国に行っても美術館や博物館にはよっぽどのことがないと行きません。

なので旅程表を見たときに「博物館イラネ」と思いました。

でも行ってよかったです。

いろいろと思うところがありました。

思うところがありすぎて、この記事自体を書き始めることができなくなってました。

なのでもういっそのことサラッといきたいと思います。

よろしくどうぞ。


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いやー、それにしても博物館ってのはガイドさんがいるといないとでは大違いだねえ。

知識の豊富な現地ガイドさんとその説明を日本語に通訳してくれる添乗員さんのおかげで、

写真パネルだけザザッと見て終了する普段の博物館見学とは雲泥の差でございましたよ。


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博物館のなかは撮影禁止。

外の広場はOKです。

左奥に写ってる写真を拡大してみましょう。


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口から血を流して死んでる男の子がヘクター・ピーターソン君(13)です。

この博物館の主役。

詳しくはこちら を読んでいただけると分かりやすいかと思われますが、

ソウェト蜂起の際に外国人ジャーナリストが撮ったこの写真が世界中にばら撒かれたことにより

アパルトヘイト撤廃へと繋がった、象徴的な写真です。

左側に写ってる人は彼のお姉さんで、今はこの博物館で来館者を案内したりしています。

ヒィーロゥ達が訪れたときも彼女は別のお客さんを案内中。

チラ見だけした彼女は普通のおばさんで、とてもそんな修羅場をくぐり抜けてきたようには見えません。

この写真が撮られたのは1976年ですからね、彼女はたぶん今50歳前後。

「アパルトヘイト」という言葉を学校の授業で勉強しただけのヒィーロゥには

そのことだけでもかなりの衝撃でございました。


二階建ての館内にある展示物はそんなに多くはないのですが、お姉さんを見た後だけにいちいちリアル。

黒人さん達が溜めに溜めてきたパワーが当時の写真からも感じ取れるほどです。


そして、見学の最後に案内されたのはメモリアルゾーン。

ここは撮影OKです。
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中庭にはたくさんのタイル。

ソウェト蜂起で亡くなった人たちの名前入り。


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こんな感じで、中庭一帯にタイルが転がってます。

壁に埋め込んだりせずに転がしてあるってのは「そういう風に死んだんだ」ってことなのかもな。

もちろん、この下に死体が眠ってるってわけではないですよ。


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主役のヘクター君。


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身元不明の人。


現地ガイドのシャーミーさんが「質問どうぞ」と言うのでヒィーロゥはいろいろ聞いて答えてもらいましたが、

一番聞きたかったことは聞けず。

「シャーミーさんはその時どうだったの?」ってね、本当は聞きたかったのだけどね。

白人で50代(たぶん)の彼女はもしかしたらどこかから移住してきただけかもしれないけど、

親の代から南アフリカに暮らしていたとしたらシャーミーさんはアパルトヘイト施行中と撤廃後を

リアルタイムで経験しているわけですからね、白人として、どう感じたんだろうな、とね。

でもさすがに聞けませんでした。

これまで差別のことなんてほとんど考えたことのないウキウキジャパニーズが

一時間やそこらの見学で勝手に胸を痛めたうえに

生き証人に本当のところを質問するなんておこがましいことはできないのだ。


というわけで。


博物館嫌いの人も、ガイド付きならここオススメです。