群馬県北東部の廃校休校巡り(2019/03/12) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回は、群馬県北東部の廃校休校巡りですが、具体的には

上図の1市2村になります。

 

沼田市は、群馬県北部に位置し、古くから木材の集積地であり、市場町として発達しました。

利根川とその支流の片品川・薄根川が形成する日本有数の河岸段丘上にあり、

真田氏の築城以来400年にわたり、城下町として栄えた歴史と自然環境に

恵まれた市です。

2005年(平成17年)2月13日 利根郡白沢村・利根村を編入、市域の拡大に伴い

「H」のような形になりました。

 

川場村(かわばむら)は、群馬県利根郡に属し、農業が主産業の村です。

清涼な水から育てられた川場村産こしひかり「雪ほたか」は、米・食味コンクールに

おいて金賞を連続受賞しました。

また、果物の栽培が盛んで、主にリンゴとブルーベリーが栽培されています。

 

片品村(かたしなむら)は、群馬県の北北東に位置し、新潟県、福島県、栃木県と

隣接しています。人口は4,406人です。(令和元年5月1日現在)
関東地方唯一の特別豪雪地帯でありスキーが盛んな地として知られ、毎年冬になると

多くの観光客で賑わいをみせます。

 

国道17号を利根川沿いに北上し、渋川市から沼田市に入ります。

岩本町の集落の中、小さな広場に古い門柱を見つけました。

判読し難いですが、「川田尋常高等小学校」です。

 

片方の門柱は、「第三分教場」です。(こちらも読みづらい)

 

トタンの屋根と壁の簡素な造りの建物が一棟建っていますが、

往時の校舎なのか詳細はわかりません。

 

タイル地の手洗い場

蛇口は外してあります。

 

陰にラッパ型スピーカーが仰向けに転がっていました。

 

古タイヤやジャングルジムの遊具

 

川田小学校岩本分校(1977年閉校)

特に学校跡の石碑など見受けられませんでしたが、

往時の門柱が残っているので、分校跡で間違いないでしょう。

創立時は「第三分教場」だったのですね。

 

引き続き、国道17号を利根川に沿って北上します。

日本最大の流域を誇る利根川の上流と遠くに雪を戴く

武尊山(ほたかやま)を眺めながら走ります。

 

屋形原町の集落に2棟の木造校舎が残っています。

往時の門柱がありますが、表札は外されて文字も消えていました。

 

フェンスの看板は、かつて児童が通っていたことを窺わせます。

文字が風化していますが、「すすんであいさつ」でしょう。

 

さきほどの正門の横にも2本の門柱が立っていますが、

基礎が砕けており、目の前に遊具という不自然な位置から

先ほどの正門より古い年代の門柱と思われます。。

 

左側のトタン屋根に板張りの棟は講堂だったのでしょう。

 

右側の棟と比べてかなり劣化しています。

捲れ上がった屋根、割れた窓ガラス、壊れた窓枠、欠落した張り板は

簡単に修繕できないほどです。

 

路線バスの停留所になっていました。

 

講堂の裏側

 

右側の校舎は、入母屋屋根に外壁もトタンですが、講堂よりも

整備されています。

 

木板の表札は、文字が風化していますが、

「屋形原町農村婦人の家」です。

人影もありませんでしたが、選挙では投票所として使用されているようです。

 

カラフルなタイヤ跳びの遊具

 

川田小学校屋形原分校(1977年閉校)

特に学校跡を証する石碑も二宮尊徳像もありませんが、

分校跡で間違いないようです。

かつては各町に分校があったようです。

40年以上前に岩本分校とともに本校に統合されました。

 

沼田市街と武尊山(ほたかやま)

 

武尊山の標高は2,158mで日本百名山に選定されています。

ズームアップすると、さらに神々しくヒマラヤのように見えますね。。

 

沼田市街地を過ぎて上川田町に入ります。

正門へとスロープを上がります。

 

フェンスに掛けた看板は屋形原分校でも見ましたね。。

標語は、「明るい一日あいさつで」でしょう。

付け足しの「グットモーニング」は愛嬌です。

 

校庭(広場)に2棟の平屋が並んでいます。

黒い瓦屋根の木造と赤いトタン屋根のモルタルの建物です。

 

木造は玄関に丸時計、ラッパ型スピーカーが見えますので

往時の分校校舎であったと思われます。

 

モルタルの建物は、地区の住民センターとして使用されています。

かつて講堂か何かの学校施設で改修したものなのか、閉校後に

増築されたものか詳細は不明です。

 

校庭の様子

砂場へ2基の滑り台が下りています。

目を引くのは、盆栽のような松の木です。

複雑に絡んだ枝が、絶妙にバランスを取っています。

 

川田小学校上川田分校(1972年閉校)

特に学校跡記念碑のようなものはありませんでした。

往時の学び舎であった足跡を残す石碑がたとえ一基でもあれば、

卒業生や地元の方々をはじめ、小生のような遠方から訪ねてくる

廃校訪問者にとってはありがたいのですが。。

 

沼田市街から国道12号、県道64号を経て利根郡川場村に入ります。

村役場の南側に資料館入口の案内板が立っています。

その←方向へ目を向けると。。

 

美しい木造校舎が高台に構えています。

平屋ですが、横に長く均整の取れた校舎です。

 

 

瓦葺き、入母屋屋根、下見板張りは明治期の建築様式によく見られます。

 

正面玄関ポーチも入母屋屋根で風格がありますね。

 

現在は、川場村歴史民俗資料館として活用されています。

1910年(明治43年)に建てられた旧川場尋常高等小学校校舎を

1986年(昭和61年)に移築・復元して開設したものです。

 

 

広場の岩には、旧白沢村(現・沼田市)出身で薄幸の望郷詩人、

小野忠孝(おのちゅうこう)の詩碑、「ふるさと 川場」が刻まれています。

山青し 川場 

天に向いて

こころざし 清し

武尊嶺

 

二宮尊徳像

屋根瓦のような重く分厚い本を広げ、悩ましい表情にも見えます。。

 

校庭(広場)の様子

 

里山の風景(梅花と武尊嶺)

望郷詩人も見た光景でしょう。。

 

川場尋常高等小学校(1985年閉校、国登録有形文化財)

村人たちの慣れ親しんだ懐かしい学び舎を後世に伝えるため

移築・復元されました。

1998年(平成10年)に国登録有形文化財の指定を受け、

川場の村人たちの誇りとなっています。

現在は、川場村歴史民俗資料館として地域の歴史、民俗資料を収集、

保存し展示しています。

 

沼田市街から県道62号を片品川沿いに東へ進みます。

この道標では左折し旧利根村穴原集落に向かいます。

 

人家の無い険しい山道を奥へと突き進みます。

深い谷間に高沢川が流れていますが、木々の茂みで隠れて見えません。

 

手掘りの隧道を潜り抜けて進みます。

 

視界が開けると集落に一つの学校跡がありました。

 

コンクリートの正門に往時の表札が残ったままです。

 

車が一台停まっていますが、辺りは静まり返っていました。

 

校舎前は、園芸資材や古タイヤなど転がっていて雑然としています。

 

正面玄関の近景

表札もないので何に使用されているのか分かりませんが、

現場の状況から、集会所のような公共の施設ではなく、

個人使用の倉庫、作業場のようです。

 

外壁のスピーカーやストーブの煙突が学校の面影を残しています。

 

校舎の裏側

 

錆びた滑り台は枯れ枝に絡まれています。

廃タイヤは遊具の名残ではなくて単に打ち捨てたものでしょう。。

 

見事な枝ぶりの松

川田小学校上川田分校でも同じ光景を見ましたね。。

 

東小学校穴原分校(1990年閉校)

グリーンのトタン屋根が印象的なこじんまりとした平屋校舎です。

1875年(明治8年)穴原小学校として開校。

利根村立東小学校 (後の沼田市立利根東小学校。2016年3月廃校し、

利根小学校に統合)への統合に伴い115年の歴史に幕を下ろしました。
1987年(昭和62年)の全校児童は11名でしたので、

閉校時は数名だったのでしょうね。

 

国道12号を北上、沼田市から片品村に入ります。

摺淵(するぶち)地区の丘陵に、以前から訪れてみたかった校舎が

あります。

 

重厚な門柱に表札は往時のままです。

「武尊根」は「ほたかね」と読みます。

文字のとおり、武尊山の麓にある小学校です。

 

校舎の全景

木造校舎ですが、昔ながらの郷愁漂う校舎ではなくて、

未来に向かって夢と希望を感じるような近代的な校舎です。

正面より左側に玄関がある斬新な構えです。

校舎は、かなり引かないと全景が撮れないほど大きいものでした。

 

左肩に武尊山が聳えていますが、桜が咲く頃は最高の光景でしょうね。。

 

武尊山は片品村を代表する霊峰です。

北アルプスの穂高岳と区別するため、上州武尊山とも呼ばれています。

山名の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の故事による

ものとされているようです。
 

玄関屋根の上の凝ったデザインに異国情緒が漂います。

 

縦長3列の窓は、よく見ると真四角な小窓が3段並んでいます。

破風にもアーチ型の小窓があり、洒落ていますね。

目立たないですが、お馴染みのラッパ型スピーカーや丸時計も付いています。

 

朝礼台と動物のオブジェ

 

標高は797m、やはり市街より冷んやりしています。

 

校庭の様子

県境の山々に囲まれています。

隣にログハウス風の建物が建っています。

 

近代的な木造体育館です。

 

武尊根(ほたかね)小学校(2016年閉校)

武尊山麓に抱かれて建つ校舎は、瀟洒な洋館を彷彿とさせる

見応えのある外観です。

沿革をみると、

1875年(明治8年)に摺渕小学校として創立
1965年(昭和40年)に独立校となる

1990年(平成2年)の全校児童は27名

最後の児童は11名、卒業生は1名
片品村では、片品小学校、片品北小学校、片品南小学校、

武尊根 小学校の4校ありましたが、統合により片品小学校一校となりました。

閉校直後は取り壊し案も出たそうですが、現在はNPO法人により

キャンプやバーベキューなどアウトドア体験施設として活用されています。

 

武尊根小学校を後にし県道64号を北上、花咲地区に入ります。

かつての校舎は解体済で学校跡の石碑が残っていました。

 

岩に墓標のように刻んだ言葉は、

「この地で昭和30年度から平成27年度まで花咲のこども達

1,148名が学び巣立ちました」

単に卒業児童の記録ではなく、学び舎を巣立っていった子供ら

一人一人がこの地で育ったことを忘れずにいてほしいとの村人たちの

メッセージのように感じました。

 

校歌の碑

「朝日に映える武尊山~」

 

片品南小学校(2016年閉校)

校庭には人影もありませんでした。

1987年(昭和62年)の全校児童は74名

最後の児童は27名でした。

片品小学校への統合に伴い60年の短い歴史に幕を閉じました。

 

片品村役場から国道120号を日光(金精峠)方面に進みます。

約3kmほど走ると、青い看板を目印に脇の坂道を上がって行きます。

 

青い看板は、分校の案内です。

高い位置にあるのは、積雪のためでしょうか。。

 

山林に埋もれそうな平屋校舎が見えました。

校庭には雪が残っています。

 

立派な門柱に明瞭な表札です。

 

伸びすぎた植栽が立ちはだかり、校舎の全景は不明瞭です。

単管が組まれているのは、何かの工事のためでしょうか。。

 

植栽を避けて反対側から撮った校舎

 

玄関の近景

学校というより集会所のような簡素な造りです。

横には、青と白のストライプの灯油缶が設置されています。

 

ブルーシートに覆われた矢倉

盆踊りのシーズンまで解体せずこのままにしておくのでしょうか。。

 

盆踊り大会の横断幕

 

長らく使われなくなったコンクリートの投的板

 

元気の無くなったバスケットゴール

 

校庭から見た集落

片品小学校東小川分校(2000年閉校)

かつては、付近にスキー場があり冬場の寒さの厳しい場所です。

少子化により本校へ統合されました。

1987年(昭和62年)の在校児童は21名でした。

 

鎌田交差点に戻り、国道401号を北上します。

約3km進むとこじんまりとした平屋校舎が見えてきます。

門柱は先ほどの東小川分校と同じ重厚な造りです。

 

表札は、何故か分校の箇所が欠けています。

 

黒い瓦屋根にパステルブルーの外壁の平屋校舎です。

3月中旬ですが、突き刺すような冷風が吹き、ここではまだ冬のままです。

軒下や校庭の雪と寒色の校舎を見ると身震いがします。

 

反対側から見ると、屋根はマンサードのように折れ曲がっていますね。

 

正面玄関の近景

東屋のような簡素な造りです。

柱に小さな巣箱が見えますが、周辺では野鳥が生息する豊富な

自然があるのでしょう。

 

標高は833.5m

寒いはずですね。。

付近に幾つものスキー場があるのも頷けます。

 

校舎裏には、屋根から落ちた雪が残っていました。

 

 軒下にポツンと立つ埴輪も寒そうです。。

 

校庭と周辺集落の様子

赤い矢倉が見えますが、これも盆踊り大会用でしょう。

 

関東一周マラソンコースとは、実際に開催されたマラソン大会でしょうか。

おそらく、校庭を周った回数によって関東一周できるように設定した

ものなのでしょう。

児童らに目標を持たせて地理の勉強にもなる架空のマラソンコースと

思われます

愛媛県大洲市の旧岩谷小学校でも四国一周マラソンのコース図を

見たことがあります。

 

片品小学校越本分校(2000年閉校)

尾瀬高原からの冷たい風が吹き付け根雪が溶けない場所です。

東小川分校と同時期に少子化のため本校に統合されました。

1987年(昭和62年)の在校児童は13名でした。

現在は地区の集会所となっているようです。

 

国道をさらに北上し片品温泉を過ぎてほどなく、近年閉校となった

学校跡があります。

校舎は解体済で体育館だけ残っていました。

 

体育館の壁に手造りの表札

 

片品北小学校(2014年閉校)

閉校後の2年間は村役場の向かいにあった片品小学校の仮住まいとして

使用されましたが、新校舎の完成に伴い解体されたようです。

1987年(昭和62年)の在校児童は89名でした。

村で唯一の小学校となった片品小学校は、2016年から新校舎で

再スタート、在校児童は154名です。(令和元年5月1日現在)