京都府南丹市北部の廃校休校巡り(2018/11/04) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

南丹市(なんたんし)は、2006年1月1日に船井郡園部町・八木町・

日吉町、北桑田郡美山町が合併して誕生しました。

前回に引き続き京都府南丹市を訪れましたが、

今回は北部(旧北桑田郡美山町)の廃校休校巡りです。

 

北部は県境に近い山間地域で、福井県大飯郡おおい町と接しており積雪の多い地域です。

北桑田郡美山町(みやまちょう)は、1955年(昭和30年)に、知井村、平屋村、宮島村、

鶴ヶ岡村、大野村の5村が合併し誕生しました。

上図の6校を訪れましたが、美山町合併時の村名が引き継がれています。

※平屋小学校内久保分校については、1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴い

平屋村が発足した当時に合併となった村の一つが内久保村です。

現在、旧美山町地域の小学校は、少子化による再編により美山小学校1校のみとなっています。

現行の知井・平屋・宮島・鶴ヶ岡・大野小学校通学区域⇒美山小学校(2016年4月~)
美山小学校は、旧宮島小学校校舎を使用し新たな校章・校歌で再スタートして

います。

 

京都市街から国道162号(周山街道)を北上、南丹市美山町に入ります。

「道の駅美山ふれあい広場」を過ぎて交差点を右折、県道38号に入ると

ほどなく高台に校舎が見えてきます。

コンクリートの門柱には銘板が残っています。

肌色を基調にした暖かみを感じる校舎

1998年(平成10年)3月築の比較的新しい校舎です。

 

奥に建つ体育館も現役さながらの新しい外観です。

広い校庭、重厚な校舎と体育館が並び背後に尖った山が聳え立っています。

 

校舎前の植栽も綺麗に手入れされています。

 

正面玄関

 

階段の脇に横笛を吹く少年の像

台座には「真実」の文字が。。

 

「平」の漢字を星のようにデザインした洒落た校章

 

管理者の方に挨拶をして校内に入ります。

現在は、「平屋地域活性化センタ-」として使用されています。

 

小さな黒板に書かれた歓迎の言葉

手造りの木製スタンドには、児童らの名前や似顔絵のレリーフが

施されていました。。

 

壁に掲示してあるのは校歌と「平屋の子供」(昭和22年頃に作られた歌だが

作者不詳とのこと。)

 

始業式、授業参観、なわとび大会など学校行事

各月の思い出の写真

 

年度別に並べた卒業記念の集合写真

平成27年度(2015年)で途絶えていました。。

 

昭和初期の教科書

80年以上前の書物なのに、破ることも無く大切に保存してあったのですね。

 

昭和20年代の教科書

表紙に児童らの絵が挿入されて明るい配色となっていますね。

 

校舎の変遷を撮った写真や剣道大会、運動会での優勝トロフィーや盾

短冊の数だけ栄光を手中に収めたということでしょう。。

 

旧美山町の頃に書いた校舎

校舎の周りは緑がいっぱいです。

 

懐かしいあそび道具(百人一首、かるた、けん玉など)

 

廊下の様子

綺麗に手入れされています。

交代で清掃するのだが、校舎が広くて大変だと管理人の方が

言っておられました。。

 

最後の児童は30名でした。。

 

「歴史と想い出」コーナー

 

廊下の壁だけでなく教室の中にも、思い出や栄光の数々が

展示されていました。

再び屋外に出ます。

 

校舎の建つ高台から校庭を眺める。

山すそに広がる平屋集落。

 

フェンスに掲げた学校標語

「平屋っ子」には地域ぐるみで子供達を大切に思い、

育てようという思いが込められていますね。。

 

時計台の壁面には、数々の思い出のイラストがLINEスタンプのように

描かれています。

2006年度(平成18年)の卒業記念制作です。

 

小学校跡石碑

 

墓誌のように刻まれた沿革

1872年(明治5年)大内校として開校。

1874年(明治7年)平屋校の前身となる済美館が開校。

1892年(明治25年)平屋村のもう一校である内久保小学校が開校。

2016年(平成28年)3月美山町内5校を1校に統合。

「平屋小学校は終焉を迎えた」で終わっていますが、

無念さが伝わって来ますね。。

 

平屋小学校(2016年閉校)

1991年度は61名いた全校児童は、最後は30名と半減、統合を

余儀なくされました。

当時の配信記事をみると、閉校記念式典には卒業生や地域住民ら

およそ300人が集まり、昭和38年まで歌われた児童会の歌をはじめ、

平屋小学校校歌、美山小学校校歌を歌い継ぎ、最後は「ふるさと」を

全員で合唱し、平屋小学校の143年の長い歴史に幕を閉じたそうです。

 

平屋小学校を後にし、ほどなく沿道から高台を見上げると

正門跡が見えました。

 

土手から丘へと階段が続いています。

 

表札は抜かれていました。

校舎が建っていたと思われる敷地は広い更地となっています。

現在の平屋小学校の前身である済美館の校地跡でしょう。。

 

石積みの台座に鎮座する石碑は「学舎の跡」

右書きに年代が感じられます。

 

岩の裏の銘板に刻まれた沿革誌

さきほどの平屋小学校で見たものと同様の内容です。

1972年(昭和47年)7月創立百周年を記念して記したものです。

 

石碑の建つ丘からの風景

 

県道38号を進み、近隣の内久保集落に入ります。

沿道右手の高台に上がると古色蒼然たる校舎が残っています。

庭の植栽も綺麗に手入れされています。

晩秋を迎える山並みも趣があります。

 

瓦屋根の平屋校舎ですが、板張りの壁や木枠の窓、そして何よりも

屋根に突き出た換気塔が年代を感じさせます。

 

入母屋屋根の玄関ポーチも見応えがありますね。。

 

現在は地区の公民館となっています。

 

廊下の様子

 

床や壁板は老朽化により白く変色していました。

 

講堂の様子

 

側壁を支える柱一本一本がアウトリガーのよう見えます。

 

校舎裏

思った以上に横に長い外観です。

一段の上の校庭はゲートボール場になっていました。

人影もありません。。

 

「耕心」と刻んだ石碑

 

晩秋の雨に真紅のモミジが映える。

 

平屋小学校内久保分校(1958年閉校)

沿革をみると、1892年(明治25年)内久保尋常小学校開校

1941年(昭和16年)平屋国民学校内久保分校に改称、

1947年(昭和22年)平屋小学校内久保分校に改称、

となっています。

往時の面影がそのまま残っている貴重な木造校舎です。

現在は公民館となっています。

 

県道38号を引き続き東へ進み、美山町北地区に入ります。

沿道から数多くの茅葺の民家が見えます。

 

美山町を代表する観光スポット「かやぶきの里」

1993年(平成5年)12月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

日本の原風景に出会える場所として、多くの観光客で賑わっています。

 

かやぶきの里を過ぎてほどなく、沿道の山林に石碑群が

見えました。

奥に聳えるお墓のような石碑は、上野先生の顕彰碑です。

後日調べたところ、上野先生は1873年(明治6年)、地元の知井で

ご生誕の教育者だそうです。

 

知井小学校の校歌碑

顕彰碑の先生も校歌碑の作詞者の名前も上野(姓)は一致していました。

周りは森林が生い茂り、石碑のほかに校舎や校地跡は確認できませんでした。

 

そのまま県道を直進すると校舎が見えてきます。

石垣の上に建つ近代的な木造校舎です。

 

石碑のような表札

 

体育館入口の石碑には「知井泉涌處」

いつ頃建立されたのか分かりませんが、

知恵が泉のように湧き出る処といった意味なのでしょうか。

校歌にも似たような歌詞がありましたね。。

「流れて止まぬ由良川の 源清き知の井戸と」

校名の由来となっています。。

隣の白っぽい頑丈な造りの建物は体育館です。

 

やはり目を引くのは、木造校舎ですね。。

 

木目を活かしたベランダの壁や筋交い柱は補強するのみならず、

洒落た見映えある校舎に仕上げています。

林業の盛んだた旧美山町ならではの校舎ですね。。

 

風格の漂う正面玄関

 

玄関の柱の表札も落ち着いた感じです。

 

玄関に入ると、木板の表札や柱時計、表彰状や掲示板、

茅葺家屋の絵画等が。。

ミニ黒板には最後の児童や先生の名前と学び舎への感謝の言葉がありました。

 

陳列ケースの中には数々の盾やトロフィーで飾られています。

 

廊下の様子

綺麗に保たれています。

 

両側の壁には、学校での思い出の写真がいっぱい。。

 

最後の「知井っこ」と先生たちの写真

 

階段の壁にも学校ニュース等が掲示されています。

 

知井(ちい)小学校(2016年閉校)

沿革を調べたところ、

1873年(明治6年)継福寺での組合立小学校に始まり、

1874年(明治7年)「習長館」として開設から143年間

長い歴史を歩んできました。

山村留学を導入などにより存続を図って来ましたが、

少子化による学校再編に伴い閉校となりました。

閉校時の児童は34名でした。

校舎はまだ新しいので、地域活性化の拠点として再利用されると

思われます。

 

【追伸】

かつて知井小学校には分校が4校ありました。

美山町立知井小学校田歌(たうた)分校(1961年閉校)

⇒すでに校舎は解体済。


美山町立知井小学校知見(ちみ)分校(1961年10月閉校)

⇒校舎は倉庫となっています。↓

美山町立知井小学校知見(ちみ)分校(2020年7月24日撮影)
知井小学校付近より県道369号を北上、八原バス停を過ぎて
左手のお寺の下に建っています。
赤いトタン屋根の平屋校舎です。
 

美山町立知井小学校佐々里(ささり)分校(1980年閉校)

⇒校舎は、インターネット通信制の私立美山高校として再利用するも廃校となっています。


美山町立知井小学校芦生(あしう)分校(1983年休校、1987年廃校)

⇒校舎は、木工所として再利用されているが、別の目的で使用される予定。↓

知井小学校芦生分校(2020年7月18日撮影)

芦生集落の高台、「芦生山の家」の隣地に建つ木造2階建て校舎です。

小さな集落の分校なのに大規模な校舎です。

小中学生が一緒に学んでいたからと、地元の住民(卒業生)からお聞きしました。

木工所のとして使用されておりましたが、教室にあった資材や工具、機械は

片付けられて空っぽになっていました。

 

国道162号(周山街道)まで戻り、旧美山町北部に向かいます。

鶴ケ岡交差点から脇に入ったところに校舎が残っています。

 

校舎前の道幅が狭いので、全景は撮れませんでしたが、

左右対称形の調和のとれた建物です。

 

白壁に格子模様の洒落た校舎です。

最初に訪れたのは2010年6月のことでしたが、

約8年振りに見た校舎は、現役校と変わらず綺麗な外観です。

変わったのは、児童がいなくなったことです。。

 

正面玄関の近景

 

三角屋根の壁も柱も木材で組まれています。

 

校歌を刻んだ小学校跡の石碑

 

脚が錆びた百葉箱

 

校舎裏側も耐震補強の柱が組まれていますが、

白壁に調和した筋交い模様が随所に施されています。

 

奥にも校舎や体育館がありました。

 

男女児童のモニュメント

ボールを高く掲げるポーズ、台座には「感動」の二文字です。

球技での感動的な勝利を表現しているのでしょう。。

 

木造体育館

地元産の木材を使用し趣向を凝らした建物です。

こちらも筋交い模様のアクセントが印象的ですね。。

 

かつて体育の授業で使用していたであろう一輪車、4台だけ掛けてありました。

 

広い校庭と迫る山並

伐採した杉の木で校舎を建てたのでしょうか。。

 

鶴ケ岡小学校(2016年閉校)

南丹市旧美山町の北西部、鶴ケ岡地区に位置する小学校です。

寒さも厳しく積雪も多い山間地域ですが、野鳥のさえずり、

鮎の泳ぐ清流もあり自然豊かな場所です。

かつて、西の鯖街道と呼ばれた国道162号(周山街道)が中央を走っており、

若狭湾で水揚げしたサバを京の都まで運んでいました。

学校再編により閉校となりましたが、

地元産の木材を使用、地元の建築業者の手によって

建てられた美しい木造校舎、体育館は、今後も地域の誇りとなり

交流拠点として利用されていくことでしょう。

最後の全校児童は16名でした。。

 

国道162号を南下、県道12号を経て美山町西部の大野地区に向かいます。

由良川沿いの沿道の高台に再編で閉校となった小学校があります。

コンクリート塀の表札も確認できましたが、美山町立⇒南丹市立に

付け替えた箇所は文字の色も濃く残っています。

 

 

 

3階建ての鉄筋校舎と体育館

 

校舎の全景

現在は、「大野虹の湖交流センター」として活用されています。

虹の湖とは、直下を流れる由良川を堰き止めて1961年に完成した

大野ダムのダム湖のことです。

大野ダムは、ダム湖百選に選定され、周辺ではさくら祭りや

もみじ祭りも開催されます。
 

校庭の遊具、奥にプールと体育館。

2018年1月には、体育館にボルダリングウォールが設置され、

内外からの新たな訪問客の呼び込みに取り組んでいます。

ボルダリング(クライミング)は東京オリンピックの正式種目に

採用され全国的に注目を集めています。

 

校門付近で見かけた一本柱の東屋

用途は分かりませんが、日陰で休憩するためでしょうか。。

 

大野小学校(2016年閉校)

最後の児童は21名となり、少子化による再編により閉校となりましたが、

「大野虹の湖交流センター」として活用されています。

施設は、地元のサークル活動やアイドルグループ、アーティストの

合宿場所などとしても利用されています。

大野ダム周辺は、広く整備されており、多目的広場や散策路、

アウトドア施設を整備しピクニックやアスレチック、昆虫取りが

楽しめ、ブラックバスの釣りスポットとしても人気があります。

ボルダリング設備も加わり、訪れる人たちも増えるでしょう。

地域振興のシンボルとして学校が第二の人生を歩み続けていくことを

願います。

 

小学校5校の統合後の校舎は、南丹市美山支所の近くにあります。

旧知井小学校、旧鶴ケ岡小学校と同様に、地元の良質な木材を

使用し、建築技術の粋を結集して建てた温もりのある木造校舎です。

 

1875年(明治8年)に済美教場として創立し、141年の歴史を重ねて

きました。

 

宮島小学校(2016年閉校⇒現:美山小学校)

最後の児童は34名でしたが、5校統合後は127名となりました。

校舎は継続利用し、新たな校章と校歌で美山小学校として

再スタートしています。