京都府南丹市南部の廃校休校巡り(2018/10/08,11/03) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

南丹市(なんたんし)は、京都府中部の丹波地方に位置する市です。
2006年1月1日に船井郡園部町・八木町・日吉町、北桑田郡美山町が

合併して誕生しましたが、旧町名は引き続き使用されています。

 

南部で訪れたのは上図の6校です。

過疎少子化に伴い2015年に統合のため閉校となりました。

校区は以下の通り再編されました。

園部・摩気・西本梅小学校通学区域⇒園部小学校
園部第二・川辺小学校通学区域⇒園部第二小学校
八木・吉富小学校通学区域⇒八木西小学校(旧八木小学校)
富本・新庄・神吉小学校通学区域⇒八木東小学校(旧富本小学校)
 

国道9号を北上、吉富(よしとみ)交差点から県道491号に折れて進み

八木町鳥羽地区に入ります。

 

右側の正門には往時の表札が残っています。

(往時と言っても、閉校となってから3年ほどしか経っていませんが。。)

 

左側の表札は、閉校後に取り付けたものです。

 

中庭の案内板に小学校創立から「吉富ノ庄」誕生までの沿革が

掲示してあります。

1873年(明治6年)開校、2015年(平成27年)小学校再編により閉校。
「吉富ノ庄」は、地域住民の絆を深めるため、旧校舎を交流の場として
活用しようと命名されたものです。

 

近くを大堰川(おおいがわ:八木町における桂川の呼称)が流れており、

かつて船着き場がありました。

鳥羽の名が由来となっている鳥羽村は合併により消滅しています。

1889年(明治22年)4月1日鳥羽村⇒吉富村へ編入
1951年(昭和26年)4月1日吉富村⇒八木町へ編入

 

左手の校舎は、教室棟です。

 

右手の校舎は、管理棟で図書室、職員室、校長室等がありました。

 

太陽光発電システムが導入されていた先進的な小学校

 

正門付近は狭いのですが、奥の校庭は視界が開けて爽快です。。

 

遊具とプール

 

校庭から見た校舎群

正門からは気が付きませんでしたが、奥にもう一棟、

2階建て鉄筋校舎がありました。

 

吉富小学校(2015年閉校)

八木西小学校への統合に伴い閉校となりました。

閉校時の全校児童は46名でした。

2015年11月23日からは「吉富ノ庄」という地域の交流施設として、

またベンチャービジネスの拠点、シェアオフィスなどに利用されています。

 

大堰川上流に進み、男前豆腐店本社前を過ぎてほどなく

正門が見えてきました。

黄色の帽子、赤い長靴、ランドセルを背負って右手を挙げた

交通安全人形は吉富小学校でも見かけましたね。。

 

往時の銘板と「新庄郷育館」の表札が縦に並んでします。

「新庄郷育館」は閉校舎を再生利用した地域活性化の拠点施設です。

 

校舎は、左右とも高さ・形状の異なる個性的な外観です。

 

正面玄関

 

二宮尊徳像

 

トーテムポール(製作年不詳)

 

日時計「希望の時計」は1976年(昭和51年)度の卒業記念制作です。

 

校舎に隣接して建つ蒲鉾屋根の体育館

 

壁にはカラフルな手形

最後の児童が残したものでしょう。。

 

体育館の隣には、フェンスで囲んだ敷地に石積みのモニュメントが。。

 

古代遺跡、ストーンヘンジの類のようにも見えますが。

 

モニュメントの意味は分かりませんが、閉校記念に芸術家が

製作した作品であることは間違いないようです。。

 

ナイター設備もある広い校庭

雑草の宝庫となった花壇

 

遊具の地面にも雑草が覆っています。

逆上がりの補助板が懐かしい。。

 

雑草にも負けず咲いていたコスモス

 

新庄小学校(2015年閉校)

八木東小学校(旧富本小学校)への統合に伴い閉校となりました。

最後の全校児童は48名でした。

新たな地域づくりのセンターとしての役割を果たすべく

「新庄郷育館」として再利用されています。

 

県道25号を北上、桂川を上流へと進み旧園部町に入ります。

JR山陰本線、船岡駅前まで進むと立派な校舎が見えてきます。

 

ソテツの枝に絡まれても、ひたすら勉学に勤しむ二宮尊徳

 

手前が管理・特別教室棟です。

 

右手奥が体育館です。1990年(平成2年)築ですが、

まだ現役と変わらぬ外観です。

円形の広いロビーが斬新で、屋上に澪標(航路の標識)を

イメージした時計台が聳え立っています。

 

一段下の校庭には、カラフルな壁の手洗い場が見えます。

花弁と音符の壁画は、満開の花が音楽にのって空中を舞っているようで

楽しそうです。。

2014年度(平成26年)の卒業記念制作です。

 

正門は、体育館の奥にありましたが、

表札は抜かれています。

 

広い校庭には人影もありません。

赤い屋根の平屋の建物は、かつて保育所でしたが、

現在は福祉施設となっています。

隣のフェンスで囲ってあるのはプールです。

 

バックネットのブロック塀にも壁画が描かれています。

 

閉校記念に残した手形

手形の数が最後の児童数でしょうか。。

 

川辺小学校(2015年閉校)

小学校再編計画により園部第二小学校へ統合となりました。

最後の全校児童は27名でした。

現在は「おいでーなかわべ」という地域の交流および防災拠点と

なっています。

 

山陰本線を跨ぎ、県道19号を北上し旧日吉町へ入ります。

田原川に沿って進むと、四ツ谷地区の沿道に「森の学舎 五ヶ荘」の

看板が見えてきます。

数年前に訪れた時はこの看板はありませんでした。

 

校舎へ続くスロープをゆっくり進みます。

 

門柱は残っていましたが、以前に掛かっていた表札は外されていました。

 

校庭側から進むと階段になっています。

 

3棟が中庭を囲むようにコの字型に建っています。

 

目を引くのは左側の木造体育館です。

下屋付きで見応えがありますね。。

 

各地の廃校巡りをしていますが、校舎が木造で残っていても、

体育館は鉄筋の頑丈な構造物である場合が多いのですが、

こちらは真逆のケースです。。

 

下屋を支える筋交いや木枠の窓に郷愁が漂います。

 

卒業生が成人式を迎えたことを記した黒板

 

木材まつりのポスターに隠れた卒業を祝うメッセージ

 

コの字の中央の建物が職員室・音楽室等があった棟です。

 

正面玄関

木板の表札には、「住みよいまちづくり協議会」、

「住んで良かった、来て良かった、住んでみたいと思える地域を

みんなで作って行こう」を合言葉に2015年に発足した協議会です。

地域の活性化、若者の定住を図るために各種の企画を立案、実行されています。

 

木製の青いポスト

1988年度(昭和63年)の卒業記念作品です。

青は速達用ですが、こちらの手造りのポストは何故青に塗られたか

不明です。。

 

かなり劣化していますが、卒業記念に製作されたモニュメント(製作年不詳)

 

前庭のカゴには野鳥を飼育していたのでしょうか。。

 

右辺の校舎が教室棟です。

 

緑一杯の校庭

 

地域のイベント等で使用しているためか、

ナイターの照明も設置されています。

 

近くの田原川から撮った学舎

丘の下に校庭が広がっています。

周りは山に囲まれており、看板にあった通り、「森の学舎」ですね。。

 

五ヶ荘小学校(2007年廃校)

殿田小学校への統合に伴い閉校となりました。

2017年(平成29年)4月から地域活性化センター「森の学舎五ヶ荘」として

リニューアルオープンしました。

不定期開催イベント「森の学舎(まなびや)オープンデー」会場となっており、

仮装工作コーナーや、フェイスペイント、木工体験、

古書店、占い、フリーマーケットなどなど、多種多様な催し物を楽しむことができます。

また、校庭では月に2回(日曜日)に五ヶ荘ファーム(朝市)が開かれており、

地元の方々が野菜・花き類・米・加工食品・木工加工 などを持ち寄り安価で販売

されています。

1991年度の在校児童は22名でした。

 

南丹市街から国道477号を南下、国道372号を篠山方面に走ると

沿道の山中に大きなグリーンの屋根が見えます。

 

近付いてみると数年前に閉校となった小学校です。

入口の門標が銀色に輝いています。

 

スロープを上る途中、見慣れない看板が。。

「Soi」(ソイ)は、地方での起業・サテライトオフィスを支援・誘致する施設です。

一粒の豆を表したロゴは、地域に根付き、豊かな実りを

もたらすことを目指して種をまくというコンセプトだそうです。

 

校舎は丘の上にあります。

Soiは校舎の3階を改修しサテライトオフィスとして整備しています。

 

校舎の前庭に盆栽のような美しい姿の松が。。

 

旧園部町のまま残る銘板

 

重厚な造りの校舎

 

正面玄関

西本梅(にしほんめ)地域活性化センターとなっています。

 

さきほど沿道から屋根が見えたのはこの体育館でした。

 

ブロック塀に刻んだ「大志」

 

裏面に卒業児童の名前が。。

1971年度(昭和46年)の卒業記念製作品です。

 

お馴染みの百葉箱

 

野鳥を飼っていたケージ

 

校庭は整備された公園のように綺麗です。

 

タイヤを埋め込んだ飛び遊具

 

西本梅(にしほんめ)小学校(2015年閉校)

園部小学校への統合に伴い閉校となりました。

1991年に107名の全校児童がおりましたが、過疎少子化の影響で、

最後は38名まで激減しています。

2017年5月からは、南丹市や同志社大、NEC、IT企業などでつくる

「地域ビジネス研究会」が、総務省の「ふるさとテレワーク推進事業」の

採択を受け、Soi(ソイ)を開設しています。

地方での起業・サテライトオフィスだけでなく、野外フェスやキャンプも

企画し地域振興の拠点となっています。

 

旧西本梅小学校から県道453号を北上、園部町宍人(ししうど)地区に

入ります。

沿道に3棟の校舎が見えましたが、現役と変わらぬ外観です。

 

コンクリート塀に銘板がそのまま残っています。

摩気(まけ)と読みます。

 

手前が管理棟、奥が南館です。

 

手入れされた花壇

 

正面玄関

NPO法人「摩気高山の郷振興会」によって再利用されています。

この学校を中心とした「教育立村」の理念を継承し、地域振興の為に

設立されたそうです。

関係者の方に「高山」は地図に載っていないが地名ではないようだが、と

尋ねたところ、目の前に見える山が高山と呼ばれているとのこと。

低いけど高山なのだと苦笑されてました。
そこで、改めて振り返ってみると。。

 

まぁ 確かに山間地域ではどこでも見られるような山ですが。。(独り言)

 

ロビーの様子

了解を頂いて館内を見学します。

色鮮やかなコスモスに目を奪われます。。

 

壁には、少年野球大会の表彰状、明治初期の学校跡碑のモノクロ写真、

新校舎(南館)が完成した平成元年に詠った郷土や子供たちへの

想いが綴られています。

 

数々の学校行事の思い出

年代がぐっと下ってカラー写真になっていますね。。

 

木製の校内案内板

南館、体育館、北館の順に並んでおり、

南館は1~4年、北館は5~6年の教室がありました。

2006年度(平成18年)の卒業児童による手造りの記念制作です。

 

廊下の様子

床の光沢を見ると、普段から手入れされていることが分かります。

 

教室の様子

清掃時には、このように椅子を机の上に置いていましたね。。

懐かしい光景です。

 

階段の踊り場

 

窓にも児童らの描いた作品が。

体育の様子でしょうか。。

1996年度(平成8年)の卒業記念制作です。

 

手前のミーティングルームは体育館と横に繋がっています。

目を引くのは、奥の薄茶色の校舎(南館)です。

 

南館

洋風なアーチ窓の洒落たデザインが印象的な校舎ですが、

2001年(平成13年)築とそれほど年数が経っていません。

「摩気高山子ども未来塾」という地域全体の学びの場として、

学童保育施設として使用されています。

 

校歌を刻んだ石碑

 

裏面には沿革が記されています。(逆光で上手く撮れませんでした。。)

明治初期は8村に分かれていたようです。

1872年(明治5年)創立、1875年(明治8年)3校分立の学校跡碑は

さきほどロビーの壁に掲示してあった写真のとおりです。

 

敷地内に3校分立時代の「発英小学校」跡碑が建っています。

元来この場所にあったのか、別の場所から移設されたものか

詳細は不明です。。

 

摩気(まけ)小学校(2015年閉校)

園部小学校への統合に伴い閉校となりました。

1991年度に169名いた児童は、閉校時には48名まで減少、

過疎少子化の流れに逆らうことはできませんでした。。

明治から引き継がれてきた「学びの郷」が今後も永く地域振興の

拠り所として利活用されていくことを願います。