神奈川県周辺部の廃校休校巡り(2017/03/09) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回は、神奈川県周辺部の廃校休校巡りですが、具体的には、

南足柄市、山北町、愛川町、相模原市を訪れました。

 

南足柄市(みなみあしがらし)は、神奈川県西部にある市です。

神奈川県内では最も人口の少ない市となっています。(42,653人:2017年5月推計)
北部は丹沢山地がそびえ、相模湾のある南から温暖な海風が吹き込むため、

年間を通して温暖な地域です。
また市域のほとんどはスギを中心とした森林が広がる山間部です。

 

山北町(やまきたまち)は、神奈川県の最西端に位置する町で、

町内には1978年に完成した丹沢湖があります。
神奈川県の自治体の中では横浜市や相模原市に次ぐ広さとなっています。
町域の大半は丹沢山地であり、丹沢大山国定公園に指定されています。
 

愛川町(あいかわまち)は、神奈川県北部に位置する町です。
町の中央を中津川が流れ、西部は丹沢山地となっています。

 

相模原市(さがみはらし)は、神奈川県北部にある政令指定都市で、

緑区、中央区、南区の3区で構成されています。
同市は、神奈川県内では横浜市、川崎市についで第3位の人口規模を誇ります。
これにより、神奈川県は全国で唯一の3つの政令指定都市を持つ都道府県となりました。
2017年現在は鳥取県・島根県・高知県を上回る72万人の人口を有しています。

 

関西を早朝に出発して、東名高速を東京方面には走ります。

途中、由比PAにて雲一つない富士山を見上げて、道中の安全を

祈りました。

由比は、歌川広重の「東海道五十三次 由井」にも描かれた絶景の富士見ポイントです。
東海道線、バイパス、高速道路が通るようになった今も、穏やかな駿河湾を悠然と見下ろす

富士山の美しさは変わりません。

 

大井松田IC下車後、県道78号を経て南足柄市へ入ります。

さらに県道723号を南下し「足柄森林公園丸太の森」に着きました。

入園料400円を支払って入場します。

 

入口の高台にある郷土資料館でひな祭りのイベントが開催されていました。

趣のある行燈ですね。。

 

坂道を上って行くと木造校舎が見えてきます。

よく見ると、こちらは裏側です。

表に廻っててみると。。。

 

風格のある立派な校舎です。

 

どっしりとした正面玄関。

 

破風には、梅花のデザインに「福」の文字の校章が見えます。

 

校舎は、市の登録有形文化財として綺麗に保存されています。

下見板張り、木枠の窓、剥げたペンキは、郷愁を感じる木造校舎の3大要素ですね。。

 

小ぶりながら端正な顔立ちの二ノ宮尊徳像

 

正面玄関に学校の由来が記されています。

1987年(昭和62年)に保存のため移築されました。

福澤諭吉がよくこの地を訪れたことから福澤村と呼ばれるように

なったそうです。

 

往時の校舎、児童らの記念写真と地元の自然を讃える校歌

 

廊下を覗いてみます。

白壁は良好な状態ですが、床や引き戸は白っぽくなり、木目の艶や輝きはありません。

 

手前にある校長室

少し殺風景ですが、奥の机に季節の花が活けてありました。

 

校長室の説明

壁には学校の変遷を示した写真や年表等が貼ってありました。

 

教室には往時使用していたであろう小さな机と椅子が並んでいます。

机上のソロバンが相対的にデカく見えますね。

 

こちらは畳の部屋に足踏みミシンが数台おいてありましたが、

裁縫の教室だったようです。

 

旧福澤小学校(閉校後、1987年移設)
昭和8年(1933年)に建てられた木造校舎を移築したものですが、

校長室や裁縫室等が復元され保存されています。

公園内にあるため、沿道から見ることは不可能ですが、

文化財として保存・管理されており、往時の様子を今に伝える貴重な校舎です。

なお、(新)福沢小学校は、当地より南足柄市役所を越えた北方にあります。

 

酒匂川を越え、足柄上郡山北町に入ります。

東名高速を潜り抜けて高松集落へ向かいます。

舗装されているものの山深い丹沢山地を上って行きます。

人家もない寂しい道程です。

対向車にも通行人にも会いませんでした。

 

高松集落へ向かう途中から望む丹沢山地

 

少し不安でしたが、道標があり安心しました。。

ここでは、まっすぐ進みます。

高松山へハイキングする方は左折します。

高松山は、丹沢山地の南部に位置する標高801mの山です。

 

くねくね道を10分ほど走るとパッと視界が開け広場に着きました。

奥に小さな平屋校舎が建っています。

 

味わい深い分校の案内柱

木彫りのフクロウが山の分校らしいですね。。

 

窓から伸びたアルミの煙突は、冬場の寒さを語っています。。

 

校舎裏には、野鳥を描いた数多くのトールペイントが掲示されています。

壁面にびっしりと100枚以上はあります。

 

平成17年度(2005年)のトールペイントと下段に平成16年度(2004年)も野鳥の写真が

展示されていますが、各年度の卒業記念作品でしょうか。。。

 

丹沢山地に位置する高松集落では、こんなに多くの種類の野鳥が観察できるほど、

豊かな自然が残っているのでしょう。

児童らの手造りのトールペイントを見ると、野鳥への親しみを持って描いたことが

伝わってきます。

 

下駄箱の扉にも野鳥がカラフルにそして精緻に描かれています。

児童らは、自分の描いた下駄箱を使っていたのでしょう。。

 

枯れた芝生の広場は往時の校庭ですが、

人影もありません。

 

発掘日2026年5月25日とありますが、その頃は児童らは30代になっていることでしょう。

卒業生たちは、カプセルと一緒に往時の記憶を掘り起こすことでしょうね。。

 

川村小学校高松分校(2010年廃校)

丹沢山地の山深くにある小さな分校です。

1956年(昭和31年)5月 川村小学校の高松分校として開校し、
県内で唯一の分校として残っていましたが、2010年に廃校となってしまいました。

酪農開拓者により開墾された集落は、分校の灯も消え静まり返っていました。

元の自然に戻りつつあるようでした。

1991年度の在校児童は僅か2名でした。

 

厚木ICより国道129号、412号を経て愛川町に入ります。

半原(はんばら)小学校は廃校ではありませんが、

敷地内に木造の旧校舎が残っていると聞いて

立ち寄りました。

現役の校舎は、鉄筋4階建ての重厚な建物です。

全児童数310名(2017年5月1日現在)

 

2階のベランダには、学校のスローガンが掲げてあります。

 

手前の錆びたトタン屋根の建物が旧校舎ですが、ひっそりとした佇まいです。

寄棟造りの平屋校舎は、新校舎を前にして何か控えめに座っている感じです。

 

かつて郷土資料館として使用されていましたが、

現在は目的も定まらず、老朽化のため解体・撤去も検討されています。

 

パステルピンクの剥げた板張りに郷愁が漂っています。

 

正門に移動してみます。

華やかな学校案内看板が目に入ります。

 

正門側から撮った校庭の奥に建つ旧校舎

半原小学校旧校舎は、1925(大正14)年に、江戸時代から同地区に多く住んでいた

宮大工の手で建てられた歴史ある建物です。

県内に現存する最古の木造校舎として、1978年に新校舎が完成した後も

町の郷土資料館として利用されてきましたが訪問者は少なく、

別途郷土資料館が完成した後は、特に用途もなく老朽化も進行していることもあり、

解体・撤去または一部移築保存の方向で検討されています。

できれば保存してもらいたいですが、次回再訪した際は消えているかもしれませんね。。。

 

中央自動車道相模湖ICから国道20号を西へ進み、旧藤野町小渕地区に入ります。

藤野町は、2007年3月11日に相模原市に編入され、

2010年4月からは相模原市緑区の一部となりました。

高台に体育館と校舎が見えますが、

2008年(平成20年)3月に閉校となった小渕小学校です。

かつて、手前の更地に木造校舎が建っていましたが、

2014年10月に解体・撤去されたそうです。。

 

高台に立つ鉄筋校舎は、まだ新しいので何かの目的に利用できそうです。

市で公募していますが、利用者は定まっていないようです。

 

プールも残っていますが、長らく使用されていないようです。

 

校舎前のオブジェ?

 

玄関前には、トルハンバンの石像

台座には花咲爺さんとありますが、意味不明です。

相模原市の藤野地区では、少子化の進展等に伴い、

10校あった小学校を3校に統廃合しました。

花咲爺さんの表情も寂しそうにみえました。

 

相模湖より県道76号を南下し、途中から県道515号に進むと

閉校となった木造校舎が残っています。

正門は、板切れで覆われ塔になっていますが、

当地に集まった創作家によるアートだそうです。

 

銘板は板切れの窓から見えましたが、個人的には、

正門は往時のまま手を加えずに残してほしいと思います。

 

薄ピンクの2階建て木造校舎は、ノスタルジックな雰囲気が漂っています。

 

校舎前の二宮尊徳像

 

玄関前にソーラーパネルが置かれています。

 

後で調べたところ、閉校校舎は「牧郷ラボ」というオフィス・アトリエとして活用され、

いろいろな企画や体験講座が開催されています。

ソーラーパネルは、ミニ太陽光発電システム組立てワークショップの一環として

設置されているようです。

 

枯れ木と同化しつつあるオブジェは、ロダン「考える人」ですね。

表情は分かりませんが、苦悩している様子が伝わってきます。

 

校庭に端にならぶ遊具。

 

牧郷小学校(2003年廃校)

「牧郷ラボ」は旧牧郷小学校を再生した空間で

山のみどりに囲まれた、明るく静かな築約50年の木造校舎です。

芸術や音楽などのイベントを開催し村の活性化に一役買っています。

取り壊されることなく第2の人生を送っていることを嬉しく思います。

1991年度の在校児童は35名でした。

 

県道76号をさらに南下し、菅井地区に入ります。

アパートか簡易宿泊施設のような外観の建物ですが、元は閉校となった菅井小学校です。

 

正面玄関には、Team UKYO の表札

モータースポーツ、サイクリングチームの拠点となっているようです。

 

年季の入った二宮尊徳像

 

改築記念碑

 

菅井小学校(2003年閉校)

山奥の静かな場所で平地もない狭い場所に校舎が残っています。

閉校後は、「菅井ものづくりがっこう」としてカルチャーセンターの役目を

果たし地域の活性化に貢献していましたが、それも閉校となりました。

1991年度の在校児童は16名でした。