広島県豊栄町、吉田町の廃校休校巡り(2017/05/04) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

豊栄町(とよさかちょう)は、東広島市の最北部に位置し、

かつて広島県賀茂郡に存在した自治体です。
2005年2月7日に賀茂郡黒瀬・河内・福富各町及び豊田郡安芸津町とともに

東広島市に編入されたことに伴い東広島市豊栄町となりました。

 

吉田町(よしだちょう)はかつて広島県高田郡に存在した町です。
戦国大名・毛利元就の居城である吉田郡山城の城下町を由来とし、

高田郡の中心地として栄えてきました。
2004年3月1日に高田郡の全6町(甲田・高宮・美土里・向原・八千代・吉田町)が

合併(新設合併)して発足した安芸高田市に移行したため消滅し、

同時に高田郡も消滅しました。

 

今回は、豊栄町、吉田町の各1校の短編となります。

 

東広島市街から三次市方面を結ぶ国道375号を北上し、豊栄町から椋梨川に沿って

国道486号を南下すると程なくグランドが見えてきます。

フェンスには、地域のマスコットキャラクター「アスカ君」が。。。出迎えてくれました。

閉校後、公民館となった当時、地区会長さんが多くの人々が集まってくるようにと

考案したものだそうです。

赤いキャップは地元カープを意識したものでしょう。。

 

校庭の奥に美しい木造校舎が五月晴れに映えています。

みどりの日に国旗もそよ風にたなびいていました。

 

やはり、このアングルが立体感がありますね。

 

正面玄関に木板の表札があります。

 

左側は、「豊栄町民俗資料展示室」です。

2013年に校舎の2階に開設され、 豊栄町内で使われていた民俗資料が

約600点展示されているそうです。

当日は休館日のため入室は出来ませんでした。

 

右側は、「安宿地域センター」

「安宿」は地域名ですが、「やすやど」と読んではいけません。。。

察しのとおり、「あすか」と読みます。

 

校舎前にオブジェや古タイヤで囲まれた庭園がありましたが、

何か雑然とした感じです。

 

校庭のフェンス際に残る鉄棒

 

こちらはプール、手入れされている様子なので、

夏場は地域住民で利用されているのかもしれません。

 

安宿(あすか)小学校(1993年閉校)

豊栄町には、かつて小学校が6校ありましたが、(清武、安宿、吉原、能良、清武西、乃美)

1993年~1995年の統合により豊栄小学校1校のみとなりました。

外観からは朽ちた感じは全くなく立派な校舎です。

地域の交流センターとして、第2の人生を送っていることを嬉しく思います。

 

安芸高田市役所前の県道6号を進み、途中の多治比地区から県道319号に入ります。

程なく、沿道から平屋の木造校舎が見えてきました。

 

 

門柱の表札も往時のまま残っています。

 

保育所も併設されていたのですが、小学校の廃校と同時に

廃所となりました。

 

平屋のながーい校舎です。

 

校舎に並行して鉄棒や古タイヤが並んでいます。

窓はサッシに替わっていますが、板張りの壁は年季が入っています。

 

幾つか屋根が分断されていますが、増築したようですね。

 

玄関、と言ってもサッシの扉だけの入口です。

カラフルなパンジーのプランターが目を引きました。

 

校庭の反対側には、平屋の別棟とアーチ屋根の体育館が続いています。

体育館はまだ新しく近代的な建物です。

 

若葉の木々に埋もれて勉学に励む二宮尊徳。

 

奥に開校百周年の記念碑、手前は忠孝の碑。

 

幾つかの石碑よりも、校庭の一角に聳え立つポプラの木が

大きな存在感がありました。

 

丹比西(たんぴにし)小学校(2004年閉校)

こちらも難読校名ですね。

かつては、丹比東小学校もありましたが、1962年に随分早くに吉田小学校に

統合され閉校となっています。

現在、丹比西小学校は適応指導教室「あすなろ」となっており、
子どもの学校での悩みや相談に応じるとともに、不登校児童・生徒の学校への

復帰に向けて、学習指導や体験活動を行っているそうです。