奈良県中南部の廃校休校巡り(2016/10/23) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回は奈良県中南部の廃校休校巡りですが、

具体的には、五條市大塔町(おおとうちょう)で1校、

吉野郡天川村(てんかわむら)で2校の短編となります。

そのうち2校は約6年振りの再訪となりました。

 

天川村は、奈良県の中央部南に位置し「近畿の屋根」と称される

大峰山脈の山々が聳える村です。

冷涼な気候は、夏は避暑地、秋は紅葉の名所として観光客を集めますが、
冬季は極めて寒冷な場所です。

村域の大半を杉林が占めており、林業及び製材業が盛んでしたが、
林業不況により従事者が減少して過疎化・高齢化の要因となっています。

 

五條市街から国道168号(十津川街道)を南下していきます。

朱色の大塔橋を渡ると左手の急な坂道をくねくねと登り続けます。

 

登り詰めたところに、往時の門柱がありましたが、かなり劣化して

文字が読めません。

 

2010年8月に訪れた際に撮ったもの↑と比較しても、劣化の進行は

一目瞭然ですね。。

 

 

高台に校舎がありますが、樹木に覆われて全容を見ることができません。

 

正面玄関を見上げると立ち入り禁止の立札が、ガードマンの如く

睨みを利かせています。

6年前はなかったのですが、構内に忍び込んで写真を撮ったり

備品を持ち帰ったりする輩がいるということでしょうね。

 

独特な校章

廃校になって久しいものの、シンボルとして君臨していますね。

「阪」の文字の周りは、ラーメン丼の図柄のように見えますが、

よく見るとカタカナの「モ」が10文字、手を繋いだように並んでいます。

阪モ10=サカモトと言う意味でしょうが、単なるダジャレ言葉で

なく別の意味がある思われます。

友を大切にするとの意味から、友(10モ)達の意味を表していると

想像します。。

 

校舎の敷地が狭いため、この角度が精一杯です。

サッシでなくて木枠の窓が残っていますね。

 

マイクの絵はカラオケではなくて、校内放送の当番表です。

壁に掛けてありました。

 

校庭は落ち葉に埋め尽くされ晩秋を前にした寂しさを感じます。

 

6年前の8月は緑に生命の活力を感じましたが。。↑

 

校庭の一角に残るプール跡 

 

創立百周年記念碑

 

石碑の裏に沿革が刻まれています。

明治6年(1873年)に開校し、昭和期に2度の焼失を経て

昭和32年にこの場所に現校舎を建てたとのことです。

 

阪本小学校(1977年閉校)

急勾配のジグザグの道を登って行かねばならず、

スクールバスも無かった往時の児童たちは、日々の通学に

大変だったと思われます。

 

天ノ川の穏やかな流れ

国道168号との分岐点から天ノ川に沿って県道53号を進み、

天川村に入ります。

青く澄み切った川面を眺めながら走っていきます。

 

ほどなく塩野地区に入りますが、集落の案内が残っていました。

昭和60年(1985年)制作ですが、「文」のマークは表示されています。

 

山腹の道路を進んでいきます。

 

かなり山深い場所に集落があります。

廃屋も散見されます。

 

前方に広場が見えました。

 

校地らしき跡はありましたが、手前にコンテナは置かれ、

奥には新しい建物が見えます。

 

学校は取り壊され、「塩野地区集会所」が建っていました。

 

学校跡を示すものとして、創立百周年記念の石碑が残っています。

 

地元の方から、下に降りたら運動場があるよ。と聞いて行ってみました。

雑木林と化した往時の運動場には、錆びた遊具が残っていました。

 

塩野小学校(1982年休校、1988年廃校)

山間部の小さな集落にある学校跡です。

子供らの声も聴こえなくなって久しい、静かな運動場に

古タイヤがひとつ寂しそうに吊り下がっていました。

 

彩付き始めた天ノ川上流の風景

 

国道168号から塩野地区を経て6kmの地点まで来ました。

 

県道53号沿いから臨む不動滝

紅葉になれば、さらに美しい光景が観られることでしょうね。

 

県道53号をさらに進み、和田地区の沿道に目新しい幟が見えます。

 

体験交流施設として新たにオープンしたようです。

 

壁面には往時の教育スローガンが。

 

旧校舎は借りることもできるようです。

 

往時の門柱に校名が残っていました。

 

2度目の訪問ですが、変わらぬ美しい木造校舎です。。

 

校庭も綺麗に整地されています。

 

正面玄関の近景

寄棟屋根の下にさらに屋根があり、趣向の凝らした造りとなっています。

 

正面から向き合うと、厳粛な気持ちにさせられる威厳と高い格調が

ありますね。。

戦時中の1943年に完成した総檜造りの建物です。

吉野の良質な檜を棟梁達が厳選して建てた自慢の校舎です。

 

手前に入母屋屋根の建物はありますが、

講堂と思われます。

 

こちらも校舎に劣らず、存在感があります。

 

校舎の左手にはアーチ屋根の体育館が見えました。

 

創立百周年記念碑

 

天川西小学校(2002年閉校)

旧天川西小は1886年に開校しましたが、2002年旧天之川小との統合により

閉校となってしまいました。

村人たちの校舎を活用したいとの熱い思いにより、

2016年4月10日に「てんかわ天和の里」という体験交流施設として

生まれ変わりました。

木造校舎の美しさや温もりはそのまま継承し、地域活性化の拠点として

今後も長く保たれることを願います。