奈良県下市町、東吉野村、宇陀市の廃校休校巡り(2016/10/10) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

東吉野村(ひがしよしのむら)は、奈良県東部に位置する村です。
1958年(昭和33年)3月1日 に 小川村・高見村・四郷村が合併して発足しました。

人口は1,661人の過疎の村です。 (2016年10月1日推計)

村内には、小学校、中学校が各1校のみです。

主な産業:木工業です。

 

今回は、東吉野村を中心に5校、下市町で2校、宇陀市で1校訪れました。

再訪した校舎もありますが、約6年振りのため懐かしい気分になりました。

過去の記事はこちらを参照ください。↓

http://ameblo.jp/hiho-haiko/entry-11482479944.html

 

吉野郡大淀町から吉野川を渡ると下市町です。

国道309号を南下し、下市温泉から県道48号を進むと、

沿道に伃邑(よむら)地区のカラフルな案内が出ています。

「もくれんとほたるの里」ならば、春や夏場にもまた行きたいですね。。

 

黄金の稲穂が実る先に、校舎が見えました。

 

壁板の黒ペンキが剥げかけており、木造校舎の深い味わいが

感じられます。

 

側面からみると、枯れたツタに覆われており廃校らしさが

そのまま出ています。

現在は、民間所有となっています。

 

敷地内、左手奥に寄棟屋根の建物がありましたが、

かつて給食室があったそうです。

 

中央にも平屋の木造校舎がありますが、音楽室等があったそうです。

右手にある資材置き場が遮蔽になり、全景は撮れませんでした。

 

目を引くのは、児童らの描いた似顔絵等の作品群です。

 

秋野小学校(2000年閉校)

黄金の田園にピッタリ映える木造校舎です。

現在は、リサイクル工場として使用されておりますが、

地域のシンボルである木造校舎を取り壊すことなく

再生利用されていることは立派な試みと思います。

1991年度の全校生徒は51名でした。

全盛期は、約120名(1クラス30名で4クラス)いたそうです。

児童らの声はもう聴くこともできませんが、秋風に揺れる稲穂の

ざわめきが今でも耳に残っています。

 

県道48号をさらに東へ進み、才谷地区に入ります。

竹藪の下の脇道を山頂へとくねくね登っていきます。

(写真正面の鋭角な坂道です。)

不安な道程ですが、地元の方に聞いた言葉を信じて進みます。。

 

すると、広場(往時の校庭)に1棟の木造校舎が出現しました。

 

玄関入口は意外と狭いですね。

往時のトランペット型スピーカはそのまま付いています。

 

校舎を裏から撮ったものですが、少し雰囲気が異なりますね。

一般家屋に見えます。。

 

収穫前の柚子がほのかな香りが漂わせています。

 

才谷小学校(1970年閉校)

山頂にあるこじんまりとした木造校舎ですが、知らないと辿り着くことは

困難と思われます。

約半世紀を経ても取り壊されることなく残っていることに驚きました。

現在は、地区の集会所として利用されているようです。

 

最後に、壁面のパネルの文字が気になりますが、残っているのは

「ま」「ず」「は」「ん」「こ」「う」です。

「まずハンコ」なら契約社会のルールみたいで見当違いとなります。。

私見ですが、文字が滲んで判読し難い「は」→「け」と思われます。

そして消失した最初の文字は「や」「す」と想像します。

よって、繋げると「や」「す」「ま」「ず」「け」「ん」「こ」「う」

最後にも消失した文字があるのかもしれませんが、

(もしかすると「な」「こ」かも。。)

「休まず健康」という意味ではないでしょうか。

(最後の追加文字もあれば、「休まず健康な子」)

※ご存知の方がおられたらご教授お願いします。。。

※蛇足ですが、奈良県野迫川村に桧股小学校という小さな廃校が

ありますが、こちらも同様に謎解きみたいで興味深いものでした。

 

地元の方に校舎への道を尋ねた際に、その裏に樹齢350年の桜が

あるから是非観てはどうですか。と言われました。

折角なので裏の小径を登っていくと、天空に聳える桜の大木が

ありました。

長い歳月を重ねて延びた枝の重みが、小さい鳥居を潰して

しまいそうです。

何とか支柱で防護していますが、この先何年保つのか心配になります。

「稲荷桜」というそうですが、満開の頃に機会があれば再訪したいと思います。

かつて入学式の頃、児童らを温かく迎えたことでしょう。。

 

学校から臨む才谷集落

集落がとても山深い場所にあること、校舎が山頂付近にあることが

分かりますね。。

 

国道370号(伊勢街道)に戻り、吉野町に入ると窪垣内から高見川に沿って

県道16号を進み東吉野村に入ります。

ほどなく中黒地区の沿道に校舎らしき建物が見えました。

切妻屋根の平屋木造校舎です。

 

往時の正門が残っていますが、フェンスで塞がれ侵入できないように

なっています。

 

中を覗くと、廊下は側溝のように抜け落ち荒廃しておりました。

資材置き場になっているようです。

 

校舎の背面は、雑草に絡まれており長らく手入れもされていない様子です。

 

小川第三小学校(1963年閉校)

地元の方に聞いたところ、往時は複数校舎があったが残っているのが

この1棟のみとのことで、5、6年生の教室として使用されていたそうです。

他の建物は解体済で、学校跡を示す石碑も確認できませんでした。

 

県道16号をさらに進み、東吉野村役場を過ぎて四郷川に沿って

県道220号を奥へ入って行きます。

途中の小(おむら)地区で、沿道から外れ集落の高台へと登っていきます。

石彫の立派な門柱が誇らしげに訪問者を迎えてくれました。

 

木陰から綺麗な木造校舎が姿を現しました。

 

正面玄関もしっかりとしています。

 

破風には校章が堂々と決まっています。

ジャケットのエンブレムのようですね。。

 

真っ白な木枠の窓に、擦れた黒ペンキの壁板が鮮やかなコントラストですね。

 

校庭の隅に遊ばれなくなった遊具と携帯アンテナが。

新と旧、時代の流れを感じますね。

 

閉校後の校舎は複数の肩書がありました。

その一つは、「東吉野村 奉仕活動 リハビリセンター」です。

 

もう一つは、「東吉野村民俗資料館」です。

こちらは、まだ新しい表札ですが、調べたところ、

坪井貞幸氏(明治44年~平成2年)が地元の人々の協力によって収集した
民具約530点が「我楽多館」として昭和58年に旧小川第二小学校に開設。
坪井氏の意思を継承し、新しく「東吉野村民俗資料館として開設されたとのことです。

 

小川第二小学校(1982年閉校)

旧小川村、小(おむら)集落の高台に残る木造校舎です。

下見板張りの美しい校舎が秋晴れの青空に映えます。

約6年前に東吉野村を訪れた際は気が付かずにいました。

沿道から見えず、分かりにくい場所にあったからだと思われます。

旧小川村は、絶滅種である「ニホンオオカミ」が最後に捕獲された村です。

1905年ですから100年以上前の話ですが、小学校創立時(1874年)には

生息していたはずです。

深い山々の残る木造校舎と途絶えたオオカミ、

村人たちは、オオカミを救えなかった代わりに、

木造校舎を残そうとしているのかもしれません。。。

 

県道220号沿いの三尾集落ににかつての学校が残っています。

約6年前と変わらぬ外観です。

 

四郷(しごう)小学校(1991年閉校)

旧四郷村の拠点だった小学校です。

閉校時の全校生徒は40名でした。

現在はデイサービス施設として使用されています。

一段下にある校庭には人影もありませんでした。

 

四郷川上流の大豆生(まめお)地区に往時の木造校舎が

残っています。

こちらも再訪した6年前とほとんど変わっていませんでした。

 

木造校舎は、宿泊施設「ふるさと村」の玄関口にあるビジターセンターと

なっています。約100年前の校舎を再生利用しています。

 

軒先の二宮尊徳像

 

近付いてみると端正な顔立ちです。。

 

校内の展示室では東吉野村の観光情報や、産業・歴史・文化・地理などを

紹介しています。

校名は、「はちまん」と呼んでいますね。

付属施設の温泉は、「やはた」温泉ですが。。

 

山奥の最果ての集落に至るまで教育に注力した明治時代の

人々の熱い思いが伝わってきます。

 

八幡小学校(1977年閉校)

内装はリニューアルされ、「やはた温泉 ふるさと村」として

再生利用されておりますが、外観は往時の面影を残しております。

温泉は、贅沢な古代ひのきを使った、ひのき風呂、御影石を使った岩風呂があり、
窓に広がる四郷川の景色を眺めながらゆっくりと温まることができるそうです。

機会があれば、くつろいでみたいと思います。。

 

東吉野村のさらに秘境と言える日裏川上流に往時の分校が

残っています。

県道もなく集落への林道を只管走りますが、案内板が見えるまでは

民家もなく寂しい道程です。。(約6年前と同じ気持ちになりました。)

主な年中行事やモデルコースが書いてありますが、

このようなひっそりとした山奥に観光目的で訪れる人々は

多くないと思われます。

 

やっと集落に着きました。

こじんまりとした鉄筋校舎です。

 

閉校後は、地区の集会所として使用されています。

 

村のコミュニティバスが往来しているようですが、

このような秘境では、高齢者にとっては貴重な公共交通機関ですね。。

 

運行系統図

中央にポツリと日裏集落の系統が伸びています。

当然ながら、途中に停留所はありません。

 

集落といっても廃屋が散見される限界集落です。

買い物に行くにも不便な場所ですから生活も大変と思われます。。

 

高見小学校日裏(ひうら)分校(1991年閉校)

県道220号から東吉野キャンプ場を目印に、日裏川に沿って分校を目指します。

当日は、土砂崩れのため工事中でしたので迂回をして辿り着きました。

キャンプ場から集落まで約6kmほどの道程ですが、何度通っても暗く不安な道程です。。

かつて林業が盛んな時代には、子供らもそれなりにいたのでしょう。

調べたところ、1908年(明治41年)児童11名で日浦尋常小学校設置。

1926年(大正15年)、ブラジルへの集団移住により児童数半減。

1988年(昭和63年)に最後の1名が卒業し休校。となっています。

山深い秘境での暮らしは快適とは言い難いものだったのでしょう。。。

 

帰路は国道166号(伊勢街道)を北上しました。

宇陀市宇賀志(うかし)地区の沿道に往時の廃校校舎が残っています。

再訪となりますが、立ち寄ってみました。

 

かつての校庭は手入れもされていないようで荒廃していました。

左手に2階建て鉄筋校舎、右手に古い木造平屋校舎が見えます。

 

鉄筋校舎はまだ現役の面影があり、再生利用可能と思われます。

 

平屋校舎は、将来解体されるかもしれません。

 

うつむいて読書に没頭する二宮尊徳像

 

宇賀志小学校(2006年閉校)

かつて、旧菟田野町には、宇太小学校、下芳野小学校、宇賀志小学校の3校が

ありましたが、2006年1月に宇陀市に合併後は、期を同じくして3校は閉校となり

菟田野小学校に統合されました。

1991年度の全校児童は112名でした。