石川県金沢市の木造校舎と廃校休校巡り(2014/07/06) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。



今回は、北陸の中心都市である金沢市を訪れました。

隣接する白山市、津幡町の廃校(各1校)も含んでいます。


金沢市は、石川県のほぼ中央に位置する、石川県の県庁所在地です。

1996年4月1日、中核市に指定されました。
県庁所在地として交通網や商工業も発展しており、北陸有数の都市として高い利便性も

持ち合わせています。

南東部は山地で、奈良岳(1,644m、金沢市の最高峰、犀川の水源)をはじめ、
見越山 ( 1,621m) 、大門山 (1,572m) 、医王山(いおうぜん、939m)などがあります。
人口は452,144人です。(平成26年1月1日現在)
日本海側気候で、「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるくらい雨の多い地域です。
春や夏は好天の日が多い反面、冬は曇りや雨の日が多く、積雪もあります。
雪化粧した兼六園や長町武家屋敷跡などの風情は、金沢ならではのものです。 
また、高い湿度は伝統工芸である漆塗りや金箔製造に適しています。


白山市(はくさんし)は、2005年2月1日に1市2町5村が新設合併して誕生しました。
県内の自治体で最大の面積を有し、人口でも金沢市に次いで2番目となります。
南部は自然豊かな山々に囲まれ、日本三名山の白山を有しております。


津幡町(つばたまち)は、石川県の中央部に位置する町です。
河北郡に所属し、南部は金沢市と隣接しています。


鳥越保育所1


鳥越保育所2

鳥越保育所3


鳥越保育所4

鳥越保育所(閉所、現:ワンネススクール鳥越校)

遠方に行くときは、例の如く、深夜に出発し一般国道を走り

日が昇る頃に最初の目的地に着くようにしています。

道路は渋滞もなくスムーズに走れることと、高速代を節約できることが

大きな理由です。

今回は、国道8号を北上し北陸を目指します。

小松市から国道360号へ進み、中ノ峠を抜け白山市に

入りました。

旧鳥越村別宮町(べっくまち)の長閑な田園に木造校舎が

あります。

集落の狭い道を抜け、開けた小高い場所に青と赤のスレート屋根が見えました。

近付いてみると、建築資材等が無造作に置かれていて雑然とした雰囲気です。

人影もありません。

正面玄関に「ワンネススクール」とあります。

調べたところ、子育て支援を行うNPO法人でボランティア活動として

子ども達が自然と触れ合うイベントを開催したり、

大工仕事など共同作業をしているようです。

玄関横に手作りの簡易トイレがありましたが、これも子ども達が作ったものでしょう。


鳥越小学校後1

鳥越小学校後2
旧鳥越小学校跡(1976年閉校)

実は、さきほどの旧鳥越保育所を旧鳥越小学校だと思っていたのですが、

地元の方に確認したところ、小学校の校舎は取り壊されていることが判りました。

閉校記念碑と二宮尊徳像だけが、原っぱの片隅に残っていました。

高い台座の上の二宮尊徳像は、苔生しており長い歳月を風雪に耐えてきた姿そのものでした。


北陸学院小学校1

北陸学院小学校2


北陸学院小学校3


北陸学院小学校4
北陸学院小学校(現役)

白山市から国道157号を北上し、金沢市内に入ります。

市内と言っても、南部の山間地域の高台にあります。

県内唯一の私学の小学校です。
正面の木造校舎は、アメリカ人宣教師によって創設された

金沢女学院当時のもので、築100年以上の建物がここに移設され、

現在も使用されております。

伝統と品格を感じる洋風建築物です。


犀川小学校鴛原分校1


犀川小学校鴛原分校4


犀川小学校鴛原分校2


犀川小学校鴛原分校5

犀川小学校鴛原分校3
犀川(さいがわ)小学校鴛原(おしがはら)分校(1988年廃校)

県道207号を犀川上流に向って進みます。

途中から枝道に入り、鴛原町に差し掛かったところで、

沿道に赤い屋根の3階建て鉄筋コンクリ校舎が見えました。

正門や表札は無く、「金沢市おしがはら工房」のプレートが

フェンスに掛けてあるだけです。

職人さんがガラスや陶芸などの作品を造っている工房です。

以前は木造校舎だったのですが、鉄筋校舎に建替えられたようです。

分校であったことを示すものとしては、フェンス越しに垣間見える

二宮尊徳像と「吉村先生」と刻まれた大きな石碑でした。

地元の教育や郷土の発展に尽力された先生の功績を讃えるものでしょう。


駒帰小学校4


駒帰小学校1


駒帰小学校8

駒帰小学校7

駒帰小学校3


駒帰小学校6


駒帰小学校5
駒帰(こまがえり)小学校(2002年閉校)

枝道から県道207号に戻ります。

駒帰町で折り返します。

山を背に平屋の木造校舎がひっそりと建っていました。

目を引くのは、校庭一面に広がるクローバの絨毯に

浮かぶ木造の体育館です。

校舎は木造でも、体育館は重厚な鉄筋コンクリートの建物であるのが

一般的ですが、このように木造の体育館が現存しているのは

非常に珍しいことです。

年季と威厳を感じる素晴らしい建物です。

校庭の隅に、沿革や学校跡の記念碑が並んでいました。

学校のスローガンが刻まれた古い石碑は、「実践」かと思いきや、

「誠実」でした。

右から読むのは、かなりの年代ものです。

1991年度の在校生徒は20名でした。


石川県立第二中学校1


石川県立第二中学校6

石川県立第二中学校4


石川県立第二中学校2


石川県立第二中学校5

石川県立第二中学校3

石川県立第二中学校7
旧石川県立第二中学校(現:金沢くらしの博物館)

県道207号、県道10号を経て、折り返し金沢市内中心部へ入ります。

1899年に建てられた現存する西洋風木造校舎です。

金沢市および石川県の文化財に指定されています。

薄いピンクの板張りの壁や青く尖った屋根と丸窓が

伝統と品格を感じさせます。

正面玄関ポーチの造りやデザインも洒落た雰囲気を与えています。

ただ、正門と校舎の間に松の木々が生い茂り、外観がはっきりと

見えないのが残念です。


第四高記念館6


第四高記念館3


第四高記念館2


第四高記念館4

第四高記念館5

第四高記念館1
旧第四高等学校本館

こちらも松や桜の木々に覆われていますが、中央公園に続いており

市街地にしては広大な敷地にあり寛げる場所です。

赤レンガの重厚な建物です。

大きな門柱が正面にありますが、左右に異なる表札を掲げています。

左は「石川四校記念館」、右は「石川近代文学館」とあります。

沿革を調べたところ、1886年の帝国大学令により、北海道・沖縄県を除く

全国を5区に分割しそれぞれに高等中学校を設置することが定められましたが、
このうち新潟・富山・石川・福井の北陸4県からなる「第4区」では、
金沢に石川県専門学校(その前身は加賀藩の藩校明倫堂および

維新後に設立された金沢中学校)を母体とする高等中学校が置かれることとなり、

東京の旧制一高、京都の三高に次いで第四高等中学校の設立となったものです。

正面玄関の軒下には、カラフルな短冊を纏った竹が括り付けられ季節感を

醸成しておりました。

庭先には、3名の学生の記念碑がありましたが、

昭和33年に建てられた、明治・大正・昭和3代の四高生の姿を表現したものです。


竹又小学校1


竹又小学校2


竹又小学校8


竹又小学校3


竹又小学校7

竹又小学校6

竹又小学校5

竹又小学校4
竹又小学校(1991年閉校)

金沢市街地東部を周回する国道159号から国道304号に入り

富山県南栃市方面に進みます。

県境近くに「たけのまた友愛の家」を指し示す看板が目印です。

閉校後は、福祉施設となり第二の人生を送っています。

校舎の庭先にイルカに乗ったキューピットが目を引きましたが、

卒業記念作品かどうか不明です。

かなり、年季が入っており少々グロテスクに見えました。

閉校時の在校生徒は31名でした。


あじさい1


あじさい3

あじさい2
雨上がりに咲いた紫陽花

沿道に色の異なる花が咲き乱れていました。




辻子原小学校3

辻子原小学校1

辻子原小学校2


辻子原小学校4


辻子原小学校5

辻子原小学校7


辻子原小学校8


辻子原小学校11

辻子原小学校6

辻子原小学校9

辻子原小学校10
土子原(つちこはら)小学校(1991年閉校)

竹又町からここに至るまでは、迷路のような曲がりくねった道程です。

特に標識もなく経験と感で進み辿り着きました。

当日は、地元の子ども会とPTAで屋外バーベキューをされており、

焼肉の匂いが充満し、談笑する声が聞こえていました。

校舎は、改修され宿泊棟となっておりましたが、造りはそのまま継承した

綺麗な木造校舎です。

桜のマークの校章も立派です。

広場のフェンス傍に、お馴染みの二宮尊徳像、学校跡記念碑が並んで

いました。

椅子に座った女子生徒と肩に手を遣る男子生徒のモニュメントが

手造りで独特の閉校記念碑になっています。

台座には「巣立ち」平成3年3月とあります。

閉校時の在校生徒は僅か6名でしたので、

卒業生は、モニュメントの2名だったのでしょう。



朝日小学校1


朝日小学校3

朝日小学校4

朝日小学校9

朝日小学校7




朝日小学校6


朝日小学校5


朝日小学校8
朝日小学校(2015年3月閉校)

土小原町から国道359号を跨ぎ、県道213号に入り西へ進みます。

山間集落の加賀朝日町の沿道に校舎があります。

下見板張りの美しい現役木造校舎です。

コンパクトな感じですが、時計塔が屋根続きの棟となり

迫り出して存在感があります。

校舎裏や体育館の壁には、横文字で名前が表示されています。

海外との交流もあるのでしょうか。

調べたところ、ユネスコスクールに加盟し、グローバルな教育方針を

実践されているようです。

在校生徒(2014年4月現在)は、僅か8名です。

2015年4月には、金沢市中心部に近い不動寺小学校に統合が決まっていますが、

少数でも個性を失うことなく輝き続けて欲しいと思います。

大きな台座に立つ小さな二宮尊徳像の姿が子ども達と重なって見えました。


上平小学校1


上平小学校2


上平小学校3


上平小学校4

上平小学校9

上平小学校6


上平小学校8

上平小学校7

上平小学校5
上平(うわだいら)小学校(2002年閉校)

再び国道359号に戻り、県道212号を北上し、

山間集落の上平町にあります。

集落の狭い路地を曲がると校舎の横顔が見えました。

学校の表札はそのまま壁に残っていましたが、

それより大きなボードで「旭日もくようクラブ」とありました。

閉校後は地元のコミュニティセンターとなっているようです。

アットホームな雰囲気の木造校舎です。

その隣には、庭園を囲むようにコの字型に平屋建ての校舎が

配置されています。

植栽や花壇は綺麗に手入れされており、閉校後も

大事に保たれていました。

1991年度の在校生徒は、僅か4名でした。


旧吉倉小学校1


旧吉倉小学校2


旧吉倉小学校8

旧吉倉小学校9


旧吉倉小学校6


旧吉倉小学校4

旧吉倉小学校5
吉倉小学校(1983年廃校)

県道212号を北上し河北郡津幡町に入ります。

北陸本線を跨いで県道219号を北上し、富山県境近くの吉倉集落にあります。

山間集落ですが、沿道に「津幡町歴史民俗資料収蔵庫」の案内があり、

見つけ易い場所です。

廃校から30年余りが経過しておりますが、取り壊されることなく

地元の資料の収蔵庫として再生利用されていることはありがたいことです。

往時の木造校舎はほぼ原型を留めており、校舎や庭園の記念碑を含めて

資料館と言って良いでしょう。

門柱は、地中に埋まっているかのように低く小さいのですが、

ボーリング球を載せた独特の形状です。

しっかりと「吉倉小学校」と刻まれていました。

手入れの整った植栽と並んで目を引くのは、二人の石像です。

廃校舎に乃木大将の石像が立っているのを、実際に目にしたのは

これが初めてです。

今では教科書にも登場しない日露戦争の英雄であり、明治時代の鏡として

多くの人々に慕われた軍人は、何も言わずに遠くを見つめておりました。

もう一人は、二宮尊徳と思いきや、髪結い姿の女性です。

これもまた珍しいものです。初めて目にしました。

勤勉さに男女の違いは関係ないのですが、規定概念を崩した作者に感動しました。

建てられた由来は判りませんが、乃木大将の力強さとは対照的に柔和で清楚な表情です。