阿波市(あわし)は、徳島県北東部の吉野川北岸に位置する市です。
人口は小松島市に次いで徳島県内6番目です。
2005年(平成17年)4月1日、板野郡、阿波郡内の4町が合併(新設合併)し、
県下7番目の市として誕生しました。
東かがわ市は、香川県の東端に位置し、徳島県境に接する市です。
西はさぬき市に隣接し、北東は瀬戸内海(播磨灘。瀬戸内海国立公園に指定)に臨み、
高松市と徳島市のほぼ中間に位置する地域です。
さぬき市は、香川県東部に位置し、瀬戸内海に面し、志度湾や津田湾があります。
市役所は志度地区に置かれています。
徳島県との県境には、標高500から790mほどの讃岐山脈となっています。
高松市(たかまつし)は、四国の北東部、香川県の中央に位置する市で、香川県の県庁所在地です。
四国の経済の中心地で、国から中核市に指定されており、高松都市圏の中心都市です。
また、瀬戸内海に面する港町で、かつて国鉄の宇高連絡船が就航していたこともあり、
四国の玄関口として四国を統轄する国の出先機関のほとんどや、多くの全国的規模の企業の
四国支社や支店、また四国電力やJR四国といった、四国全域を営業区域とする公共サービス企業の
本社などが置かれ、四国の政治経済における中心拠点です。
綾川町(あやがわちょう)は、香川県中南部のの町です。
2006年(平成18年)3月21日、 綾歌郡の綾上町(あやかみちょう)、綾南町(りょうなんちょう)が
合併(新設合併)して誕生しました。
讃岐うどん発祥の地として知られています。
のどかな田園地帯が広がり、町域を綾川が北流しております。
徳島自動車道土成IC下車し、四国八十八箇所霊場の第八番札所である、
熊谷寺(くまだにじ)を過ぎて、県道236号北上し浦池地区まで進みます。
そこからは、枝分かれした細い道を分け入っていきます。
西山分校は地元の方に聞かないと判り難いと思われます。
特に案内もありませんし、生い茂った木々や草むらに埋もれており
瓦屋根と壁面の窓枠が部分的に見えるのみです。
廃校舎の隣に民家が一軒あり、詳細を確認したく近付こうとするも、
10頭ほどの犬が放し飼いにされており、吼えられ、追いかけられたりして
写真を2枚撮るのが精一杯でした。
外観だけ見ても何か不気味な感じの印象です。
廃墟、校舎の墓場と言える独特の雰囲気でした。
これ以上居座ることは、民家の方の迷惑にもなると判断し
足早に後にしました。
廃墟マニアの方にもお勧めできません。
気を取り直して、国道318号に戻り北上し県境を越え香川県に
入ります。そして、国道377号を西へ向かい五名ダムを過ぎて程なく
分校が見えました。
分校と分園と表札と記念碑がありましたので、小学校と幼稚園が一体化した校舎で
あったと思われます。
校舎は比較的新しく平成4年に百周年記念として新築されたようです。
平屋ですが重厚な校舎です。
校庭は綺麗に整備され、ゲートボール場として利用されておりました。
1991年度の在校生徒は、僅か2名でした。(小学生)
国道377号を進み、大坂峠を越えた五名地区中心地にあります。
校門から見て、まず目に入るのが渡り廊下や中庭の木板に書かれたスローガンです。
緑一杯の自然の中で逞しく成長するようにとの思いが込められておりました。
ただし、読み比べてみると、一方は、雪をはねかえす「温もりを」、片方は「根性を!」と
なっており、作風が異なっていて興味深いところです。
さらに中に入ってみると、卒業記念に生徒達が描いた思い出や在校生へのエールがありました。
其々閉校1~2年前の卒業生の作品ですが、各年度の卒業生は5名だったようです。
大影小学校(2000年閉校)
五名トンネル手前を県道2号に入り、1kmほど進んだ場所にあります。
小学校は、県境を越えた徳島県阿波市になります。
こちらも、小学校と幼稚園が一体化した校舎です。
L字型に配置された2階建て鉄筋校舎とアーチ上の屋根の体育館が並んでおりました。
校庭は雑草に覆われ、残った遊具も蔦が絡まっており、長らく遊ばれてないことが判ります。
五名小学校、同鈴竹分校、同長野分校ともに福栄小学校への統合に
伴い2005年に閉校となりました。
長野分校は、国道から少しだけ外れた場所にあります。
中庭に分校分園記念碑があり、その敷地にアパートのような建物がありました。
今は個人所有となっていますが、部屋の入口には職員室と書かれた表札が見えましたので
分校であったことが確認できました。
私有地のため、外から眺めるだけでしたが、敷地に番犬が一頭、ワイヤーロープで放し飼いに
されており、しばらく睨めっこが続きました。(吼えることもなく大人しい犬でした。)
1991年度の在校生徒は、わずか2名でした。
さぬき市に入り、国道377号沿いにあります。
一見、個人家屋にしか見えないために通過して再確認したところ、
校名の表札がありました。
改築され集会所として利用されているようです。
1991年度の在校生徒は、僅か1名でした。
国道377号から国道193号に入り、高松市菅沢町の長閑な田園地帯にあります。
小さな集落にある分校ですが、校舎は想像以上に大きく立派な鉄筋2階建て校舎です。
校庭は枯れ草に覆われたまま、特に手入れもされていない様子でした。
1991年度の在校生徒は僅か8名でした。
高松の奥座敷、阿讃山麓の大 自然にいだかれた山あいの県下最大の温泉郷である
塩江(しおのえ)温泉郷を過ぎて、県道167号に入り南下します。
細い道を奥へ進んだ戸石集落にある小さな分校です。
狭い校庭のため、窓が割れないようにと校舎は全面的に金網フェンスで
覆われていましたが、今は、ボール遊びをする子供も見られません。
県道167号を柏原渓谷方面へと進みます。
マウンテンドームという名のキャンプ施設の向かい側に伝統的な木造校舎が見えました。
香川県内で残っている最も美しい木造校舎の一つです。
精緻な石垣の上に、手入れの行き届いた植木を従え、鎮座した武士のような
品格と威厳を感じました。
校庭の隅には、懐かしい遊具の回旋塔もあり、レトロな雰囲気です。
綾川町西分(にしぶん)地区の県道17号沿いにあります。
赤レンガの壁と玄関が印象的です。
今は、「西分南部公民館」として利用されております。
1991年度の在校生徒は8名でした。
高松自動車道、志度IC付近にあります。
県道141号沿いにある町工場のような地味な外観の平屋建て木造校舎です。
校庭もアスファルトに埋められており、別の用途で使用されているようです。
傾いた閉校記念植樹を示す木柱と、「思い出の末分校」と刻まれた石碑が
隅に淋しく残っておりました。