神社仏閣めぐりで長野県大町市の若一王子神社を訪れた。
| 神社名 | 若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ) |
| 社格等 | 旧県社・別表神社 |
| 鎮座地 | 長野県大町市大町2097 Google地図 緯度,経度 36°30'56.3"N 137°51'12.7"E 36.515625, 137.853534 |
| 主祭神 | 若一王子、天照大神、伊弉冉尊、仁品王、妹耶姫 |
| 創建 | 【伝】垂仁天皇の時代(仁科濫觴記) |
| 御神徳 | |
| 参拝日 | 2026年(令和08年)05月29日 |
【国】重要文化財(建造物)【名所・旧跡 - 長野県】
・若一王子神社本殿(1931年(昭和06年)01月19日指定)
(引用)ウィキペディア(Wikipedia)
若一王子神社は垂仁天皇の時代、当地を治めていた仁科王が、水分神である伊奘冉尊(いざなみのみこと)を祀った社を建立したことに始まるとされる。 創建された場所は、仁科氏が鎌倉時代に開発した堰とよばれる用水路の傍の、水流をまちなかに引き込むに当たって重要な位置となる。 創建は鎌倉時代、安曇郡一帯を治める国人領主の仁科盛遠が紀伊国熊野権現に詣でた際、那智大社第五殿に祀られる若一王子を勧請し、 仁科荘の鎮守とし、それ以降「若一の宮」(若一王寺、王子権現)と称されるようになった。 その際、盛遠は後鳥羽上皇の知遇を得て西面武士として仕えた。 仁科氏が主家の武田氏とともに滅亡すると、織田信長以後の天下人は安曇郡を歴代松本城主の所領とし、松本藩の庇護を受けるようになった。 明治の神仏分離の際に、寺号を廃して現社名に改称した。

