「日本100名城」めぐりで三重県伊賀市の伊賀上野城を訪れた。
| 城名 | 伊賀上野城(いがうえのじょう)
三重県伊賀市上野丸之内 Google地図 緯度,経度 34.770157, 136.126975 |
| 別名 | 白鳳城、伊賀上野城 |
| 城郭構造 | 梯郭式平山城 |
| 天守構造 | 5重5階(完成間近に倒壊) 層塔型3層3階(復興、木造・1935年築) |
| 築城年代 | 天正13年(1585年) |
| 築城主 | 筒井定次 (主な改修者)筒井定次、藤堂高虎 |
| 主要城主 | 服部氏、仁木氏、筒井定次、 脇坂安治、藤堂氏 |
| 廃城年 | 明治4年(1871年) |
| 遺構 | 石垣、堀、武具蔵 |
| 再建造物 | 天守(模擬、木造) |
| 登城日 | 2026年(令和08年)04月08日 |
【国】史跡
・上野城跡(1967年(昭和42年)12月27日指定)
【国】重要文化財
・俳聖殿(2010年(平成22年)12月24日指定)
・日本100名城(47)
(引用)ウィキペディア(Wikipedia)
上野盆地のほぼ中央にある上野台地の北部にある標高184mほどの丘に建てられた平山城である。 北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地にある。 かつて上野城の場所には要塞としても利用された平楽寺や仁木氏館があった。 織田信雄(北畠信雄)の家臣である滝川雄利は平楽寺の跡に砦を築いたが、 小牧・長久手の戦いの際に脇坂安治によって落城させられた。 その後天正13年(1585年) に筒井定次によって改修を受け、 慶長16年(1611年)に徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張したが、大坂の陣によって、 当時高虎が従属する家康に対立していた豊臣氏が滅んだため築城が中止され、 本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま江戸時代を過ごした。
▼日本100名城のスタンプと御城印は、大天守閣1階で頂きました。
▼伊賀上野城のパンフレットと入城券
▼収集していた切手より「伊賀上野城」の意匠切手です。



