「紀伊之国十三佛霊場」めぐりで和歌山県田辺市の高山寺を訪れた。
| 山号・寺名 | 正南面山 高山寺(こうざんじ) |
| 宗派 | 真言宗御室派 |
| 御本尊 | 大日如来 |
| 所在地 | 和歌山県田辺市稲成町392 Google地図 緯度,経度 33°44'25.7"N 135°22'43.9"E 33.740469, 135.378857 |
| 創建年 | 飛鳥時代 |
| 開基 | 牟婁の長者、(中興)空増上人 |
| 御真言 | おん あびらうんけん ばざら だとばん |
| 御詠歌 | ありがたや みかげがふちに うつしおく だいしはここに おわしまします |
| 参拝日 | 2026年(令和08年)04月05日 |
【国】史跡【名所・旧跡-和歌山県】
・高山寺貝塚(1970年(昭和45年)08月17日指定)
・紀伊之国十三佛霊場 第12番
・近西国三十三ヶ所南紀霊場 第4番
(引用)ウィキペディア(Wikipedia)
寺伝によると推古天皇の時代に、熊野国牟婁郡に住んでいた牟婁の長者と呼ばれる金持ちが飛鳥に出かけ、 そこで摂政をしていた上宮太子(聖徳太子)に感動し、太子の御意を得て私財をもって当地南面山に勧修問寺を建立した。 平安時代の弘仁7年(816年)初夏、弘法大師空海が熊野巡錫の途中にこの地に立ち寄った。 その際、この地で密教の法を修し、また旅に出ようとしたところ人々に引き留められ、 それにほだされて空海は自らの像を彫ってここに安置したとされる。 戦国時代の天正13年(1585年)、羽柴秀吉による紀州征伐を受けて伽藍は全焼した。 しかし、上宮太子像と弘法大師像は伊作田の岩窟に匿って無事であった。しばらくしてから高野山の僧である空増が入寺し、伽藍を復興する。 江戸時代になって名称が興山寺になるが、更に現在の高山寺と変更された。 境内には国指定史跡の高山寺貝塚、五反田古墳、南方熊楠や植芝盛平の墓がある。
高山寺貝塚 繩文時代早期の貝塚で、押型文土器を出土する3か所の小貝塚で構成される。 近畿地方における代表的貝塚であり、繩文時代早期の標式遺跡としても著名である。

▼紀伊之国十三佛霊場の御朱印です
