「広島新四国八十八ヶ所霊場」の参拝で広島県広島市の興禅寺を訪れた。
| 山号・寺名 | 海嶋山 興禅寺(こうぜんじ) |
| 宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
| 御本尊 | 阿弥陀如来 |
| 所在地 | 広島県広島市中区西平塚町10-11 Google地図 緯度・経度 34°23'19.3"N 132°27'56.5"E 34.388689, 132.465690 |
| 創建年 | |
| 開基 | |
| 御真言 | おん あみりた ていせい からうん |
| 御詠歌 | 興されし 正しき道は 忍びあい 禅りあふこそ み仏の道 |
| 参拝日 | 2026年(令和8年)2月26日 |
・広島新四国八十八ヶ所霊場 第53番
由緒:広島新四国八十八ヶ所霊場HPより
永正年代(1500年)の頃から禅宗寺院として広島県高田郡吉田の郡山城の麓にあった。 大永3年(1523年)毛利元就が郡山城に入ってから厚く尊崇されたが、その当時の開基開山は詳でない。 天正19年(1591年)毛利輝元が広島城に移り、翌文禄元年(1592年)興禅寺を現在地平塚に移した。 その後輝元が帰依された雲嶺禅師を名古屋市の海国寺より請じ開山とし臨済宗妙心寺派に属した。 慶長5年(1601年)輝元萩に移り、広島は福島を経て、浅野長晟が元和5年(1619年)広島に封ぜられしより、 雲嶺禅師に深く帰依され、それからは浅野家歴代藩主の信心並びに庇護をうけ宗風大いにあがり、 末寺5ヶ寺を有し広島で屈指の名刹に数えられた。 時はたち明治になり社会情勢の変転の影響をうけ往時をしのぶことはできず、 加えて昭和20年の戦火のため堂宇寺宝記録の一切を焼失した。 昭和35年再建し本尊阿弥陀如来は高田郡甲立町三上家より勘請したもので鎌倉時代の作といわれ 宮島の光明院にあったものと伝えられている。 原爆で吹き飛んだ首なし地蔵・鬼瓦を平和学習の一環として、生徒の皆さんにもお参りいただいています。
▼広島新四国八十八ヶ所霊場の御朱印です

