「日本100名城」めぐりで広島県広島市の 広島城を訪れた。
2026年(令和8年)3月22日に閉城になるため、25年ぶりに訪れた。
| 城名 | 広島城
広島県広島市中区基町 Googleマップ 緯度,経度 34.402622, 132.459073 |
| 別名 | 鯉城、在間城、当麻城 |
| 城郭構造 | 輪郭式平城 |
| 天守構造 | 複連結式望楼型5重5階(非現存) 外観復元(SRC造・1958年) |
| 築城年代 | 天正17年(1589年) |
| 築城主 | 毛利輝元、(主な改修者)福島正則 |
| 主要城主 | 毛利氏、福島氏、浅野氏 |
| 廃城年 | 明治4年(1871年) |
| 遺構 | 石垣、堀 |
| 再建造物 | 外観復元大天守・表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓 |
| 登城日 | 2026年(令和08年)02月26日 |
【国】史跡
・広島城跡(1953年(昭和28年)03月31日指定)
・日本100名城(73)
・日本歴史公園100選(83)中央公園
(引用)ウィキペディア(Wikipedia)
毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯に築いた平城で、昭和20年(1945年)まで天守を始めとする城郭建築が現存していた。 江戸時代では西日本有数の所領となった広島藩42万6千石の浅野家12代の居城となり、 5重と3重の大小天守群以下、櫓88基が建てられていた。
江戸時代初頭に入城した福島正則の増築以降に、城域となった外堀までの約90万m2の範囲のうち、 現在の史跡としての広島城は広島市中央公園内の内堀を含む本丸跡と二の丸跡の範囲で、 広さ約12万m2と三の丸跡の一部が残る。
1945年のアメリカ軍による広島市への原子爆弾投下により、現存していた天守は倒壊し、櫓や城門も失われた。 現在の大天守は1958年(昭和33年)に「広島復興大博覧会」が開催された際、外観復元された。 外観復元された大天守は歴史博物館「広島城」として利用されている。
▼100名城のスタンプは、天守閣入口前通路にありました
▼収集していた切手より「広島城」の意匠切手です。



