アルマジロ・アマリリス旅団 -14ページ目

オダギリジョー

TVに「オダギリジョー」 が出るたび、妻がこう言う。


オダギリジョー に迫られたら、浮気する!」


しかし関連本を買ったり、DVDを買ったりするわけではない。

もちろん家には、写真やポスターといったものない。

TVで見るだけで満足な、お手軽プチファンである。



そんな妻が友達A子さん、B子さんの3人で集まったときの話。

何でそんな話になったか分からないが、



  妻  「私、オダギリジョー となら浮気するわ」


A子さん 「私は、妻夫木君 となら浮気する」


B子さん 「私だって、大沢たかお となら絶対浮気するわ」



と、声高らかに宣誓を交わしたらしい。

よくもまぁ、夢見がちな女性ばっかり集まったものだが、

名前の上がった芸能人としても、夢が売れて良かったんじゃないかな。



そして、自分だけ浮気するのは悪いと思ったのか、

頼んでもいないのに、私が浮気してもいい芸能人を選んでくれた。


チャン・ツィイー  
長谷川京子

滝川クリステル


綺麗な方々ばかり、3人も。

でも「チャン・ツィイー」 はいつもハリウッドだし、

「滝川クリステル」 は、毎日夜勤の「夜型人間」で時間が合わないし、

浮気するなら「長谷川京子」 かなぁ。


でも「滝川クリステル」 は、確実にあの時間、あの場所にいるから、

出会いやすい気もするなぁ。



イカン、イカン。

最近、妻の影響を受け過ぎだな。

妄想癖がうつってきた気がする。

夫婦は似て来るって本当だな。

ちょっと、怖フィス・・・。

リタ

風呂に入ろうとしたとき、

テレビを見ていた妻が声を掛けてきた。


妻 「イタが、カテゴリー3になったらしいよ」


私 「イタ?・・・どの?」


妻 「はぁ? リタ!ハリケーンのリタ!


私 「あぁ、リタね!」


妻 「何だと思ったの?」


私 「うん、って聞こえた 何のスレッドのことかと思って・・・」


妻 「2chの見過ぎだって!」


私 「・・・・・・」

ダチョウ倶楽部

昨日「ダチョウ倶楽部」についてちょっと触れたので、

「ダチョウ倶楽部」を調べて、分かったことを紹介。


1984年、20人のパフォーマンス集団「キムチ倶楽部」を結成。

1985年、「キムチ倶楽部」の精鋭2名(南部・肥後)で、「ダチョウ倶楽部」を結成。

一説では、当時の日本のテレビ界では韓国の話が出来ず、

止む無く「ダチョウ倶楽部」に改名したとも。


改名後のメンバーを紹介。


南部 寅太

肥後 克広

寺門 ジモン

上島 竜平


「キムチ倶楽部」「ダチョウ倶楽部」と、共にリーダーを務めてきた南部寅太だが、

1987年に脱退することになる。

南部寅太はその後、1990年 南部寅弾と改名し、「電撃ネットワーク」を結成。

ここでももちろんリーダーである。



南部寅太の脱退には、色々な説がある。


1つは、他の3人との方向性の違いから追い出された説


 当時の4人の芸風は、「肥後が仕切って、上島がボケて、それをジモンが突っ込んで、

 更に南部が大きくボケて、最後に南部以外の3人が全員で突っ込む」というパターン。

 

 しかしこの芸風も、次第に受けなくなってくる。

 そこでラサール石井の提案で、ショートコントや瞬間芸に活路を見出す。

 

 リーダーの南部は、更に瞬間芸を受けるものにするため、

 より過激なものを3人に要求していく。

 しかし他の3人は、あくまでコントにこだわったため、

 南部とは対立するようになる。


 そしてある日、南部がTVを見ていると、

 生番組に、南部以外のメンバーが出ていた。

 これを見て、慌てた南部が事務所に電話して、


  「番組、とちっちゃいました」 と言うと、


 事務所からは、


  「別にとちってないよ。これからダチョウ倶楽部は、あの3人でやっていくから」


 と言われ、追放されるような形で事務所から脱退した説。



もう1つは、先輩芸能人「ハナ肇」を怒らせて、事務所から脱退した説


 「ひょうきん予備校」に出演した際にスタッフから、


  「面白いから、先輩を怒らせろ」


 と言われたことをいいことに、大先輩であった「ハナ肇」に対して、


  「あなた本当に面白くないですね」と言ってしまって、


 それがハナの逆鱗に触れて、事務所から脱退されたという説。

 その後残ったメンバーの中で、一番長身だった肥後がリーダーになった。



どちらも真相は藪の中だが、

脱退した南部も、現在の「ダチョウ倶楽部」も、その後ブレイクしたので、

南部の脱退は、結果的にはオーライだったね。

リーダーが脱退しても、コンビ名は残ったし。

ビジーフォー

昨日ウガンダのことを書いたので、ウガンダのことをちょっと調べてみたら、

彼は、元々「ビジーフォー」だったのね。

ずーっと掛かっていた靄が晴れた気がした。


と言うのも、私が物心ついた頃の「ビジーフォー」は、

既にモト冬樹グッチ祐三の2人だけだったから。


あの頃の「ビジーフォー」は、モノマネ番組によく出ていて、

他の人が日本の歌や流行の歌のモノマネをするのに対して、

洋楽の往年の名曲を、よく歌ってた気がする。

子供心に、


「知らん歌、歌うな!」

「やけに評価、高過ぎ!」

グッチの歌声、耳障り!」


と、ほざいていた記憶がある。

そんな、「ビジーフォー」の歴史を紐解いていくと、


1976年、「いそがしバンド」を結成。

1977年、「ビジーフォー」に改名する。


そのときのメンバーが、


グッチ祐三 (Vo)

モト冬樹 (Gt)

イタッケ島田 (Ba)

ウガンダ・トラ (Dr)


イタッケ島田さんがリーダーだったらしいが、リーダーの存在感が薄過ぎる。


1984年、解散。「イタッケ島田」「ウガンダ」がメンバーから離脱。

しかし「モト冬樹」「グッチ祐三」が新たにメンバーを加え、「ビジーフォースペシャル」を結成。


そのときのメンバーが、


グッチ祐三 (Vo)

モト冬樹 (Gt)

ウーロン茶 (Ba)

エデン東 (Dr)

紅一点 (Key)


この時点で、既にフォーではない。


1992年、グッチ祐三「グッチ祐三とグッチーズ」を結成。

他のメンバーは、新メンバーを加え「モト冬樹とフリーマーケット」を結成。

このバンドは、後に「モト冬樹とナンナラーズ」に改名。


ここまで来ると、オリジナルメンバーはもうバラバラ。

結論を言えば、ウガンダだけでなく、メンバーはみんなもう「元ビジーフォー」



「フォー」じゃなく、「倶楽部」にしておけば、

「ダチョウ倶楽部」みたいにリーダーが抜けても、丸く収まったかも。

塩崎やすひさ

民主党の代表が、「前原誠司」 さんに決まりましたね。

TVで挨拶している前原さんを見て妻が、


「前原さんって、どういう人か知ってる?」


と聞いてきたので、こう答えた。


「あー、知ってるよ。母子家庭で育った、SLマニアだろ?」


「う、うん間違ってないけど・・・、何か違う・・・」



そんな おバカな会話はさておいて、

民主党の代表になった前原さん は、現在43歳。

そこで、現在の小泉首相は任期延長はしないと宣言しているので、

自民党にも是非、代表の若返りをしてもらいたいものだ。


前原さん と同世代で、個人的に気に入っている自民党議員が2人いる。

それは、野田聖子議員塩崎恭久議員

この2人は、「総理総裁になる器量を持っている逸材」だと思っている。


しかし野田さんは、「郵政民営化法案」に反対の立場を取ってしまったので、

その芽は、完全に無くなってしまった・・・。

自民党員でいられるかも危ういところ・・・。

そこで私は塩崎さん に、勝手に期待することにする!

塩崎さんに関しては、こちらのHP からどうぞ!



でも段階を踏んで、先ず安倍さん がなった後でもいいかなとも思う。

あまり急に若返ると、長老議員達が時の流れに付いて行けそうもないから。

国会議員の定年を65歳にすれば、少しは国会もすっきりすると思うのに・・・。