前回
私はHSS型HSPです。
人の気持ちや場の流れを、
自然に感じ取ってしまうようです。
その場の言葉だけじゃなく、
その裏にある気持ちや関係まで、
無意識に受け取ってしまいます。
人のことなのに、
なぜか見過ごせない。
自分には関係ないと分かっていても、
気になってしまう。
何もしなければいいのに、
頭の中で考え続けてしまう。
もしあなたが、
そんなふうに感じることがあるのなら、
それは、
「気にしすぎ」なのではなくて、
「深く受け取ってしまう」性質なのかもしれません。
HSS型HSPの人は、
目に見える出来事だけではなく、
その裏にある感情や関係性、
この先どうなるのか、
という未来まで、
無意識に考えてしまいます。
心理学では、
こうした捉え方を
「精緻化(せいちか)」
と呼ぶことがあります。
ひとつの出来事を、
表面だけで終わらせず、
意味や背景まで広げて捉える働きです。
だから、
「放っておけばいい」
それができないことがあります。
見えてしまうから。
感じてしまうから。
そしてもうひとつ。
HSS型HSPの人は、
「こうした方がいい」
と感じたことを、
無視することが難しいです。
心理学では、
こうしたあり方を
「内的基準」
と呼ぶことがあります。
周りの正解ではなく、
自分の中の感覚を基準にするということ。
あのときの私は、
彼女も含めて、
彼女の周りの人の、
嘘のまま進む未来が嫌だった。
だから、
見過ごせなかったことも、
関わってしまったことも、
ただの「間違いだった」とは、
言い切れないのだと思います。
あのときの私は、
嫌われるかもしれない、
関係が壊れるかもしれない、
そういうことも、
どこかで分かっていたのだと思います。
それでも、
「選ばない」ということが
できませんでした。
やらない方がいいと分かっていても、
そのままにしておくことの方が、
自分の中では不自然だった。
そんな感覚だったのだと思います。
その「見過ごせない」という感覚は、
その場の出来事だけではなく、
このまま進んだらどうなるのか、
誰がどう傷つくのか、
その先の流れまで、
無意識に見てしまうのかもしれません。
そして、
あのときの私は、
感じたことを
そのまま行動に移していました。
だからこそ、
関係が変わることもあったのだと思います。
私の手紙がビリビリに破られ、
流しに捨ててあった。
さようなら、も
今まで一緒にいてくれてありがとう、とも
言うことができずに
離ればなれになってしまった。
そんな出来事も
起きてしまったのだと思います。
今思うと、私は
あのときのやり方しか
知らなかったのだと思います。
時間が過ぎて、
この気質があると分かった今は、
少しだけ、
この感覚の扱い方が
分かってきたような気がしています。
見過ごせない感覚を、
そのまま外に出すのではなく、
一度立ち止まって、
どう関わるかを選ぶこと。
それができるようになると、
人との関係は、
少しだけ変わっていくのかもしれません。
もし今、
あなたが
「人のことなのに、見過ごすことができない」
そう思っているのなら、
それは、
あなたが
ちゃんと感じ取れているから
なのかもしれません。
それが、
HSS型HSPの
ひとつの特徴なのかもしれません。
当時の私は、
その感覚が
気質からくるものとは知りませんでした。
今でも、
彼女には、
恨まれているかもしれない、
と思うこともあります。
けれど、このあとしばらくして
宮崎の彼に会ったとき、
私は何も変えずに、
そのままでいられました。
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