とくにないよ | 全然生きてる

全然生きてる

全然生きてます

気が触れている、あるいは無為無能な奴。私のことを紹介するにあたってこれ以上適している言葉はない。

どうしようもない奴と言うのは最初からどうしようもないのだ。私は、例えるならば隣人の死を望むような人間だ。善良で幸福な他人を妬み、憎み、生きていくことしか出来ない人間だ。こんなことなら何処か山奥で一人で生きていた方がいい。このまま此処で他者や自身の悪意に呑み込まれ生きるくらいなら、殺してくれ。殺してくれ。

母と久しぶりに買い物に出かけた時に花やに連れてかれ何か鉢植えの花を選べと言った。最初に選んだのは濃い紫色の花だったが、何となく花弁の中心がピンクで外にかけて白くグラデーションになっているものを選んだ。母はその花を過剰に褒めた。嗚呼、まるで精神病患者を治すみたいだ。昔、本で読んだことがある。植物や動物を育てさせることで人として正常な心を取り戻させるものだ。付け焼き刃の知識で私を健全な精神状態の人間に戻そうとしているのだろうか。

いいや、いいや、私は正常だ。恐らくこれを読んでいるあなた方よりよっぽど正常だ。通学途中の駅で呼吸が上手にできなくなり叫び出したくなった時も、生きるの辛そうだと憐れまれた時も、そんなことで過呼吸を起こすのかと笑われた時も、私は、私は、正常だ。この感覚を正常と言わずしてなんと言えばいい。

許されたい。許されたい。自意識過剰なのかもしれない。気が触れているのかもしれない。あからさまな、あからさまな言葉だ。しかし、私は、私はこの世界に許されたい。生きていて許されたい。許されたい。狡い、私だけ許すことを強要してきたのに誰も何も私を許してくれないじゃないか。いいや、いいや、嘘だ。こんな言葉は嘘だ。嘘だ。

悲しい、ずっと、ずっとそうだ、悲しい。ずっと、ずっと悲しい。悲しい。嬉しい感情はいつだって嘘っぽいのだ。ああ、だって私はいつだってそれを過剰表現してるのだ。

私の悲しみなんて、苦しみなんて、痛みなんて、誰もが興味などなく『退屈な話』なのである。いいものを共有しなければ、罵られる、憐れまれる、やめろ、やめろ、やめてくれ、そんな、そんなことをするくらいなら触れないでくれ、触れないでくれ。嘘に騙されていてくれ、追求しないでくれ、その方が都合がいいんだ、そうだろう、私にとっても君にとっても都合がいいんだ。それでいいだろう。君じゃ私を救えない。私を救うのは、私を許すのは私しかいない。でもそんな日は、生きてる限り一生来ない。私は、私はずっと許さない。私が私である限り、君も私も許さない。絶対に許さない。だから救えない。救われない。報われない。

諦めている。いつだって諦めているふりをしている。私は人間として素晴らしい生を歩むことを諦めている。野垂れ死にすることを願っている。そうでもしないと、私は、本当の意味で私自身を諦めきれない。不幸にはなりたくない。幸福にはなれない。なら、ならどうすればいい。手首をきればいいのか?それとも頸動脈か?わたしは、わたしは、間違っているのか。間違っているのだろう。なんていったって悲観的なのだ。そうだ、何に対しても悲観的で…嗚呼、お前も私に説教がしたいのか、いいよ、いいよ好きにしたらいい。