土日は
『アラフォー無職、不妊でバツイチ』
だった時代の私の話を更新しております。

現在は『バツイチの私が婚活をする話』
を書いております。


◾︎現在のシリーズ『バツイチの婚活。』
1つ前の話
→13話はこちら

......................

◾︎バツイチになる修羅場話
→最初からご覧になる方はこちらから



→自己紹介はこちら


まず、結婚相手の条件で

母の希望を外す事は、私にとって

「自分で決めた事」という意味で、大きな一歩でした。



やばい話がいきなりぶっ込まれて、びっくりした方もいらっしゃるかもしれませんが、

私は重度の『マザコン』でした。

(現在は軽度ぐらいになったかな?)




余談ですが、

私は「お母さんのいう事を聞く子」でした。

そして弟もそうです。

お母さんが大好き、お母さんの期待に応えたい子ども達です。


でも、新しい家族を築くと言うことは

「お母さんの期待を裏切る事も必要だ。」

と言う事に、離婚してから気がつきました。


マヨネーズだって、

我が家でご飯を食べない母の好み

では無く、夫の好みにするのが当たり前。

それが思いやりであって、人と暮らす事なのに、それが全く分かっていませんでした。


お母さんが作った「私の実家のルール」とは違うルールを、

新しい家庭では作っていかなくてはいけない。


当たり前の事が本当に、分かってませんでした。




そんな私の全ては「お母さんが満足するか」

が基準でした。


結婚式の内容も、

新築の家も

照明のデザインまで。


母が納得するかどうか

が、私の基準でした。


そうでは無い。

私の基準で結婚して、

家族を築く。

こんな当たり前の事が出来ない大人は私でした。



そんなマザコン、離婚されて当たり前だと、今でも思ってます。

読んでる方々には「本当にヤバイ!」と思われると思いましたが、離婚原因は元夫だけでなく、私にも勿論ある。という意味で書かせて頂きました。

不快に感じられてしまった方がいたら申し訳ありません。



私は産まれてから、母の言うことを聞くのが当たり前の人生で(もちろん反抗したり、言うことを聞かない事もありましたが)

お母さんが気にいる事が一番大切だと思い込んで、生きてきました。

私は離婚するまで、これがヤバイと分かりませんでした。

離婚で、自分自身をいっぱい見直して。

やっと気がつけました。




『お母さん基準で生きてきた』事は、

産後も私を苦しめる時があります。

またその話も別の機会にさせてください。




◾︎続き