夏休み真っ只中。
時間があるので、一学期の自分の教育実践をゆっくりと振り返ることができる。
ほっと一息ついたところで考えてみた。
自分の一学期の教育実践はどうだったのか?
子ども一人ひとりの力を伸ばすことができたか?
子どもは教室で自分の存在感を強く実感することができたか?
教室は全ての子どもにとって心地よい空間となっていたのか?
一人ぼっちの子どもはいなかったか?
保護者が「手習いにあげた我が子を見違える」ーそのような事実を作ることができたか?
できない子どもが市販テストで90点、100点取ることができたか?
白熱する討論の授業を作り出すことができたか?
具体的な事実をもとに反省する必要がある。
例えば算数のテスト平均点は何点だったか?
漢字テストはどうだったか?
討論の授業ならば、全ての子が発言をし、深く考え、それを評論文として書けたか?
このように考えてみると、以下に自分の実践が未熟なものかがはっきりしてくる。
自分の力不足、勉強不足を痛感させられる。
上の問いに自信を持って
この点はばっちりできた。
と具体的事実をもって示せるものは一つもない・・・・・・。
先日、尊敬するベテラン先生に言われた。
私「早く一人前の教師になりたいです。」
べ「一人前になろうなんて百年早い。私だってまだまだ半人前だ。」
まったくおっしゃるとおり。
気を抜くとすぐに天狗になってしまう自分がいる。
ちょっと勉強しているから
すこしばかり教育書を読んだから
といってすぐに実力がつくと錯覚するのは大間違いだ。
謙虚に謙虚に謙虚に、そして頑固に学んで行かねば!!
喫茶店で読了した本。
- 向山 洋一
- 千年紀を生き抜くインターネットランド
「向山君、親の評価の基準は昔から一つだ。”手習いにあげた我が子を見違える”このように教育してくれる教師なら、親は黙って応援してくれる」
そうー「手習いにあげた我が子を見違える」ーそのような事実をつくることこそ、教師の目標だ。
まわりの教師が何と言おうと、どのようなことをしてようと、勉強不足の管理職が何を言おうと関係ない。
「子どもを教える」ー神様にしか許されないような仕事をしている私たちは、神の前に報告するような謙虚な気持ちで仕事をふりかえるべきだ。