先日は所用で昼頃に石神井公園にいました。


昼は久々に丸亀製麺に入り、食後に石神井公園の池の周辺を散策。桜がまだ満開なことに加えてツツジもぼちぼち咲き始めていて、同時に楽しめたのがよかったです。


石神井公園を散策した後は、一旦駅に戻ってから線路沿いを大泉学園方面へと歩きました。
途中で高架がスパンの長い橋梁になっている場所を発見し、何だろうと思ったら「外かん2号架道橋」と書かれていました。
現在この地下に自動車専用道路としての東京外環自動車道が建設中ですが、既に開通済みの区間と同様に並行する一般道の計画もあり、その準備が高架化時より既にしてあるようですね。
但しこの辺も含めて大部分が住宅密集地であることを考えると用地買収は簡単なものではないし、都市計画が決定している区間もほとんどないようなので、計画倒れに終わるか実現したとしても何十年後とかの話でしょう。と思ったら、この架道橋の前後の1km弱の区間のみ2月に都市計画決定になったようですね。
あと、既に開通済みの区間の一般道部分は国道298号線ですが、大泉以南の一般道部分は国道ではなく都道になる予定だそうです。


そして大泉学園駅に到着。
今回は、取り敢えず路線図だけ作った架空鉄道「白子鉄道」のルートを実際に歩いてみようと思い、その起点である大泉学園に来ました。
ここからだいたい白子川や外環道に沿うような形で北上し、土支田、成増、西高島平、下笹目、戸田を経て蕨まで向かう路線という設定で、今回は西高島平まで歩いてみました。
白子鉄道は元々地平ホームだったけど、駅北口の再開発に伴って地下化され、この辺りに地下ホームがあるという設定です。


まずは駅近くの妙延寺を見てから東映東京撮影所方面へ。
東映アニメーションミュージアムにも寄りたい気分でしたが、取り敢えず日が暮れる前に西高島平を目指したいので今回はスルー。
ミュージアム隣には天祖稲荷神社がありましたが、正面に集会所風の建物があるだけで、その一角に賽銭箱が置いてあるという変わった神社でした。稲荷神社の本殿は集会所風の建物の中にあるのかもしれません。


東映前駅は、まさに東映東京撮影所の前にあるという設定です。

東映の先では外環道の工事現場を通過し、ここは工事に伴い道の付け替えが行われている最中でしたね。


工事の都合で曲がりくねったところを通過すると目白通りと交差する比丘尼交差点に辿り着き、この手前に小さなお堂があり「新栄講不動尊社」であることが分かりましたが、詳細については情報があまりにもなくて不明ですし、天下のGoogleまでもが新栄「溝」と思いっきり誤記している始末です。新栄講というのは成田山のものらしいですが。


また、ここから見て左側が大泉JCTになりますが、目白通りと関越道と外環道の間に広大な空き地があり、「オーケー大泉町店」の建築計画の看板が立っていて昨年10月に着工予定になっているけど、今のところ工事らしきことは何も行われていません。


この場所がまさに比丘尼橋駅の想定位置になりますが、手前には外環道のトンネルが建設中でここには関越道の高架があり、さらに地平には交通量の多い目白通りがあり、今のご時世にここが地平のままというのは無理なので立体化するという設定が必須でしょう。
そして外環がちょうど地下に潜る場所を横切るので、ここにトンネルを通すとなれば外環よりさらに深くしなければならないので難しく、結果として現在の比丘尼橋駅は関越道の高架のさらに上を行く高さの高架駅にする必要がありますね。


この先の関越道沿いには精進場稲荷神社がありました。
そして、この先には昔の用水路跡ではないかと思われる歩道があったり蔵のある家があったりと、新しめの家が多い住宅街ながらも見どころが点在しました。


そして土支田地蔵に到着。
お地蔵さん自体は小規模ですが交差点名にもなっているなど、ある意味この辺のランドマーク的な存在といえます。


そしてこのすぐそばに都営大江戸線延伸ルートの土支田駅交通広場予定地があります。
今のところ緑地と公園のようになっていますが、ここを土支田駅の駅前広場にすべく今から土地を確保しているのだそうで、他の大江戸線新駅予定地もこのようになっているとのことです。


なお白子鉄道の土支田駅の場所は、交通広場予定地より50~100mくらい西の土支田地蔵北交差点の南側付近を想定しています。
その後は住宅街を抜けて笹目通り方面へと歩きました。この辺は農地が点在しますが、大江戸線が延伸された暁には農地が軒並み宅地化されてしまうのでしょうね。


そして笹目通りの土支田交差点付近は都県境が入り組んでいますが、交差点付近が高台という地形的に白子川の旧流路という訳でもなさそうで、どういう経緯でこんな都県境になったのか謎です。
白子鉄道の向山橋駅は、笹目通り土支田交差点の北東側付近のロードサイド店舗が立ち並ぶエリアを想定していて、この交差点を境に北側は埼玉県となっています。


なお、笹目通りはここから北で一気に下り坂になってその先でまた上り坂になっていて、道が一直線ということもあってその様子が分かりやすいのですがこの谷の部分が白子川で、笹目通りに「向山橋」が架かっています。


白子川が向山橋のあたりで渓谷のようになっているのも面白いのですが、この「向山」の読みがどうやら統一されていなく、成増駅~石神井公園駅のバスなどが通るバス停の読みが「白子向山(しらこむかいやま)」なのに、近隣には「向山(むこうやま)地域センター入口」というバス停もあるようで、長州力の如く「どっちなんだコラ!」と言いたくなります。
ちなみに豊島園付近の地名も向山で、ここと名前の由来がどうやら同じらしいのですが、あちらの読みは「こうやま」になります。


そして向山橋の下流にある小源寺橋は古風なコンクリートの橋で、橋の袂には武家屋敷のような立派な古民家が建っていたりもして、なかなか味わい深い風景でした。


さらにその古民家の反対側の坂を上がったところには浩乃湯という銭湯もあり、これがなんと和光市で最後に残った銭湯なのだそうです。牛房駅はこの付近を想定しています。


そしてこの付近に「ここから練馬区」という看板があり、その境界にはいかにも河川跡な細い隙間がありました。白子川に向かって谷を降りていくような道筋なだけに白子川の支流か何かでしょうか。


次いで妙安寺に立ち寄りました。この辺では最も大きいと思われる寺で、緑が深くツツジも咲き始めていましたね。
旭町駅は妙安寺横の坂を上がったあたり、豊渓中学校付近を想定しています。
そしてここから成増駅に向かう商店街の名前は「兎月園通り」で、大正時代に妙安寺の寺領の一部を借りるなどして整備されたレジャー施設の名前だそうですが、兎月園自体は戦時中になくなって住宅地などになってしまったそうです。


白子鉄道の成増駅の想定位置は東武東上線ホームの西端の踏切付近の真上(写真の場所)という想定で、白子鉄道の駅の中では唯一開業当初から高架という設定になりますが、今の成増駅南口の商店街のごちゃごちゃした感じだと、小田急が地平だった当時の下北沢駅っぽい雰囲気が思い浮かびますね(要するに白子鉄道≒京王井の頭線と言った感じで)。


そして、駅の西側の踏切を渡った先の尾根のような道を抜けて百々向川緑道や菅原神社方面へと歩きました。成増ヶ丘駅は菅原神社のそばにあるという設定です。
この道は菅原神社付近から成増団地方面に向かって長い下り坂になっていて、途中には白子川の支流のこいど川緑道(小井戸川)もありました。


そして坂を下りきったところに成増団地があり、大部分の建物は近年に建て替えられたようですが、1棟だけ古い建物が残っているも閉鎖されていました。


この団地の一角にある成増北第一公園付近を架空鉄道の駅として想定していて、ここで白子鉄道と城北単軌鉄道(城北モノレール 松戸~清瀬)の2路線が盛大に(?)交わるという設定なのですが、実際は成増駅からも西高島平駅からも微妙に遠いという場所になります。


そのまま道なりに進むと新大宮バイパスと笹目通り≒高島通りの交差点になり、すぐそばが西高島平駅です。白子鉄道のホームは都営三田線から見て新大宮バイパスと首都高反対側、三田線の延伸を阻止するかのように立ちはだかっているパチンコ屋の位置にあるという設定で、西高島平から先で笹目橋の西側に架けた橋で荒川を渡り、下笹目を経由してそこから東へ進路を変えて戸田、蕨と目指すルートになっています。


都営三田線が開業した当初は地平ホームで、後に(都営三田線の延伸断念後以降)高架化されたという設定で考えていますが、ここも笹目通り=高島通りの陸橋を跨ぐ都合、比丘尼橋駅ほどではないにしても高架を高くしなければいけませんね。
今回は石神井公園から西高島平までかなりの距離を歩いただけに疲れたのは言うまでもありません。

今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
(1)http://blog.livedoor.jp/silkroad_vx/archives/24126168.html
(2)http://blog.livedoor.jp/silkroad_vx/archives/24126258.html

 

 

 

 

 

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