飯能の椿本チエイン埼玉工場で開催された「国際興業バスまつり 2024春 in 飯能」に行ってきました。


西武池袋線でこちら方面に行く機会は少なく、数か月前に飯能駅を通過したことはあったけど下車したのは何年ぶりだろうというくらい非常に久々です。


飯能駅から会場までは一般路線もあるけど普段は1時間に1本程度と非常に少ないので、このために臨時バスが多数設定され、時間帯によっては1時間あたり11本という超高頻度運転になっていました。


会場では、まず最初に今回の目玉であろう旧型車のいすゞBU04を撮影。
1980年(昭和55年)式の非常に古いバスで、国際興業で引退後は岩手県交通に売却されてしばらく活躍し、そこでも引退した後は(株)トミーテックで国際興業カラーに塗り替えられた上で保存されてきましたが、今回ついに国際興業への里帰りが実現し、東急テクノシステムにて再度レストアの上で再び公道走行可能な状態になって今回お披露目となりました。


国際興業といえば略称が「KKK」で長年にわたってバスの前面や側面にロゴが入っていましたが、2002年のサッカーワールドカップ開催時に白人至上主義者の団体「クー・クラックス・クラン」と同じ略称なのは誤解を招きかねないということで、急遽ロゴが消されて現在に至っています。レストアされた後はそのロゴがきちんと入っています。


また、いすゞの旧型車というと後輪のハブの中央が出っ張っていて、富士重工製とか違う車体でもこの後輪でいすゞ車であることが容易に判別できました。大型車(CLM/CJM→LV)だと後継の「キュービック」にフルモデルチェンジされたときに後輪ハブの出っ張りがなくなったのですが、大型ショート車(ECM→EDM→LT)だと何故かキュービックにモデルチェンジされた後もしばらくこういう後輪のものが存在しましたね。


そして車内も見ることができましたが、木製の床や今のバスの座席に比べるとかなりショボく見えるパイプ椅子が非常に懐かしかったです。


また、前面の運賃表示器は今だと最新のものだと液晶式、少し前のものでもLED式ですが、かなり昔に使われていた幕式のものが再設置されているのもポイントです。


そして前扉の窓ガラスは、今だと上から下まで1枚のガラスになっていますが、この当時のバスは上下で2つに分かれていてこれも懐かしいですね。この頃くらいを最後に2枚窓のドアは姿を消して現在主流の1枚窓に移行したのではないかと記憶しています(会社によってはこれくらいの年式でも1枚窓のものがあったと思います)。


なお今回は会場でエコバッグを配っていて、BU04と現行の最新車両がプリントされています。


旧車の展示を見終えた後は隣に置かれていた高速バス車両を見学。


夜行仕様なので横3列シートになっていてゆったりしていて、トイレも設置されています。


次いで隣の貸切観光バス車両を見学。車種は高速バスと同じいすゞ「ガーラ」ですが、こちらは横4列シートになり座席の前後間隔も詰められています。安い高速バスだと夜行でもこういうシートになりますが、同時に乗り比べると夜行専用の3列シートがいかにゆったりしているか、その違いを実感できました。


その隣には「乗合ワゴン飯能市おでかけむーま号」のトヨタ・ハイエースコミューターが展示されていました。


原市場地区(旧名栗村)、南高麗地区といった市街地からやや離れた山間部寄りの地区を走るバスで、乗客が少なかったり狭いところを通るなどでハイエースが使われているそうです。
ちなみに国際興業カラーのハイエースはこれが初めてではなく、2011年頃には見沼代親水公園を起点として川口市内のバス不便地域を通る「新郷ミニバス」に使われていました。
2年間の試験運行として路線が新設されるも思うように利用が伸びなかったのか、結局試験運行だけで正式路線に昇格することなく廃止されてしまい、車両はカラーリングそのままで大阪支社に異動となり大阪市内で淀川区福祉バス「夢ちゃん号」に使われていたようですが、これも短期間で廃止されてしまったそうで、使われていた車両も売却されて現在は和歌山バス那賀(南海グループ)で活躍中らしいです。


ちなみに新郷ミニバスは、カード対応の運賃箱が設置できないという理由で現金しか使えなかったというのも不便だったのですが、今のハイエースバスはICカードリーダーがついていて現金対応の小型運賃箱もあるので、支払いにおいて他のバスとの利便性は変わりありません。


また、バスと並んで何故かトヨタ・センチュリーが展示してあり、これは国際興業ハイヤーの車両になります。


やはり物が物だけに、さすがにバスのように車内に足を踏み入れさせてはもらえませんでしたが、時々ドアを開けて車内の様子を見せてもらえましたね。


また、会場内ではこのほかにアニメ「ヤマノススメ」のラッピングバスも展示されていました。この作品のことは詳しくは知りませんでしたが、主な舞台が飯能市であり登場人物の通う学校も聖望学園だそうですね。
そして、多分私は相当疲れていたのでそのせいなのだろうと思いますが、ある登場人物の髪型とファッションセンスのせいか、この中の一人が某所の土屋太鳳の物真似をする丸山礼かプロレスのスターダムの舞華みたいな人、もう一人が某劇団と接点があった横澤夏子みたいな人に見えて仕方なかったです。
間違っても彼女らをアニメ化しても逆にキャラを実写化しても全く似ないと思いますし、あまり下手なことを書くと当該キャラの推しに狂信的な人がいようものなら「◯◯ちゃんを丸山礼と一緒にするな!ボケ!」「◯◯ちゃんは女子プロレスラーじゃない!しばくぞ!」などクレームが来そうですし、場合によっては嫌がらせで出前や大量のカラーコーンがうちに届いたり「お前の家に高性能爆弾を仕掛けた。3:34に爆破する!」などと爆破予告される恐れもあります。
また、今回はあいにくの天候で雨が降り続いていたし、時々何だか雪が混じっているように見える降り方もしていただけに寒く(この頃に同じ飯能市内でも山間部は雪が降っていたそうです)、会場内のキッチンカーで味噌ポテトを買って食べました。
ちなみにイベントは荒天中止となっていたので、もし完全に雪に変わっていたら中止になっていたかもしれません。


イベントを一通り見終えたので帰路につき、帰りも臨時便が出ていて行きは会場直行だったけど帰りは椿本チエイン始発だけど一般路線扱いで各停留所に普通に停車していましたね。
ちなみに帰りのバスの社番「6915」に見覚えがあったのですが、つい最近まで志村営業所にいた車両で2月に飯能営業所に転属になったばかりのものでした。


また、今回乗った路線は本来だと「双柳循環」で途中にも「双柳」とつく停留所がいくつかあったのですが、この読み方は「ふたやなぎ」でも「そうりゅう」でもなく「なみやなぎ」と読むことを知りました。
難読地名になるかと思いますが、ここの双柳稲荷神社の社伝によると、「平安時代の弘仁5年(814年)3月、神社の西南にあった柳の老木の下に2匹の白狐が並んで影を現したことから、この地を「双柳」と云うようになり、空海により稲荷が勧請された。」とのことです。
地名の由来がなかなか興味深いエピソードなだけに、この辺を色々散策してみたくもなりますが、こんな天候なので断念せざるを得ませんでした。
他の行先の「間野黒指」の読みが「まのくろざす」、「苅生」の読みが「かろう」というのも印象的でした。


飯能駅に到着後は食事にし、どこに入ろうか迷いましたが駅前すぐのところにぎょうざの満洲があったのでここに入りました。
期間限定で「ピリ辛うまか麺」というのがあったので、これの焼餃子セットを注文。野菜たっぷりで辛口でこういう寒い日だと特に温まるラーメンですね。


天気が良ければ駅周辺の散策などもしたかったのですが、このまま駅改札に向かうと改札前で地元産木材の板やベンチなどを売っていました。


また、この時期は市内各所で「飯能ひな飾り展」をやっていてこれも気になるところでしたが、取り敢えず駅構内に置かれた飾りだけを撮りました。


最後は帰りがけに、今は飯能より先でしか見られないし、いつまで走るか分からないけど引退することが決まっている4000系を撮りました。

今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
http://blog.livedoor.jp/silkroad_vx/archives/23620115.html

 

 

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