本日、朝の8時34分に福岡市南区大橋の地禄神社の近くの老司川にかかる橋を渡ってびっくりした‼️
水が涸れているのだ。
1
上流の方向も!
2
下流の方向も!
何故、涸れたのか?
直ぐにその訳を知りたく思ったのだが、今日は探梅が主目的なので、後回しにした。
これが老司川の地図の一部である。
地図1の下流の地図2という順に流れている。
この老司川の由来はおそらく江戸時代に農業用水路として整備されたものであろう。
しかし、この筑紫平野の主流の那珂川には古代より日本一古い農業用水路の裂田の溝(さくたのうなで)がある。
そういう経緯から老司川がいつからあるのか?本当のことはよく分かってないのでは?と思う。
江戸時代の編纂の筑前風土記にどのような記載があるのか?興味深い。
さて、この地図の老司川の那珂川からの取水口の老司の堰の水の取り入れ口を先ず見るのが先決と考えた。
A
老司の堰側の水位である。
もう、老司川に流れる水が不足なのでホースで水を送っているのだろうか?
B
老司川の下流方向に水が申し訳程度に流れている。
堰側の動画をA、老司川の下流方向の動画をBとしておく。
地図の動画ABのことである。
さて、何処から水が涸れているのか?
3
最初に涸れていたのは、地図1の3の位置が初めてであった。
また、そのあと水が流れ始めた。
色々な農業用水などの流入もあるからだろうか?
そして、本格的に涸れ始めたのは、地図2の4の位置からであった。
今回の老司川の水涸れの大きな原因は、老司の堰の水位の異常な低下によることが分かった。
俳句の世界では、「水涸る」は冬の季語である。
この季節にも野菜作りなどに農業用水は必要だろうから、何とか流そうとホースで水を汲み出していたのであろう。
今年の1月14日に老司大堰が干上がっているのいう記事を書いていた。
その頃、老司川の水が涸れているのに気付いたことはない。
いつ頃から老司川の水涸れが起きたのだろうか?
「水涸るや野菜作りは大丈夫」
ハイジャン男
この大丈夫のあとには?も付けたいのだがそんな俳句を見たことがないので敢えて?を付けないことにした。